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「小林徳三郎」(東京ステーションギャラリー)開幕レポート。知られざる画業を紐解き、再発見への一歩を踏み出す【2/3ページ】

 第一章「洋画家を目指して」では、東京美術学校時代に小林が描いた自画像や妻のスケッチなどを取り上げている。卒業後は、当時新たな美術運動として注目を集めていた「フュウザン会」に参加。展覧会では油彩画や水彩画のみならず、木版やエッチングによる版画制作にも精力的に取り組み、多様な表現方法を自身の創作に取り入れようとする意欲がうかがえる。

展示風景より、右は小林徳三郎《自画像》(1909)
展示風景より
展示風景より。親交のあった眞田久吉、萬鐵五郎、木村荘八、硲伊之助らの作品も紹介されている
展示風景より、小林徳三郎《胸》(1912頃)と「フュウザン会」に関する資料

 第二章「大正の大衆文化のなかで」では、小林が大衆文化のなかでどのように自身の画風を展開していったのか、その仕事ぶりを資料とともに探る。フュウザン会は1913年に解散したものの、前年には文芸雑誌『奇蹟』の表紙画や扉絵、文筆に携わり、翌年には結成されたばかりの劇団「芸術座」の舞台背景も手がけるなど、多岐にわたる活動も見られる。

 本章では、舞台背景や衣装・美術などのデザイン案や、出版物のために制作された下絵や原画が展示されている。

展示風景より
展示風景より、文芸雑誌『奇蹟』に関する資料
展示風景より、舞台『復讐』のためのスケッチ群

編集部