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名絵師のもとに名版元あり? 「蔦屋重三郎と版元列伝」(太田記念美術館)開幕レポート【3/5ページ】

敏腕版元は蔦重だけじゃない!

 大河ドラマでは脇役として登場するが、蔦重を取り巻く人物たちも名版元ばかりだ。同館2階には、浮世絵界を牽引してきた版元たちやその活動をともにした絵師たちによる浮世絵作品が展示されている。

 例えば、ドラマの初期でも登場する「鱗形屋」は、初期の浮世絵版画界をリードしてきた、いわば老舗の名版元だ。明暦期(1655〜58)から江戸を拠点に活動を始めており、版本と一枚絵の両輪で出版を手がけてきた。刷りにおける色数の少なさも、浮世絵草創期の作品であることをうかがわせる。

展示風景より、手前は鳥居清忠《大川端座敷遊興の図》(延帝初期頃) 版元=鱗形屋孫兵衛
展示風景より、恋川春町作画『金々先生栄花夢』(安永4年、1775) 版元=鱗形屋孫兵衛

 鱗形屋の勢いが下火となった寛永期(1748〜51)に頭角を表してきたのが、「西村屋与八」だ。蔦重のライバルとしても登場する西村屋与八は、浮世絵師の鳥居清満とタッグを組み、大型絵「浮絵」の数々を手がけた。大型の紅摺絵《浮絵両国涼之図》の発表時には、画面左に「浮絵の紅摺絵の元祖である」といった旨が記されており、新興版元でありながらも意欲的な姿勢が垣間見える。

展示風景より、鳥居清満《浮絵両国涼之図》(宝暦3-明和初期、1753-65頃) 版元=西村屋与八

 また、葛飾北斎によるかの有名な「冨嶽三十六景」シリーズは、三代目西村屋によるものだ。西村屋は風景画を主軸に置いてきた版元でもあり、代々受け継がれてきたその手腕が、ヒット作を生み出すための土壌となっていたことも知ることができるだろう。まさに「名絵師のもとに名版元あり」。浮世絵師と版元がいかに重要なパートナー関係にあったかを考えさせられる一作だ。

 ほかにも同時期において重要なジャンルであった、美人画や役者絵をも西村屋は手がけており、同フロアの壁2面を使い切るほど、その仕事が多岐にわたっていたこともうかがえる。

展示風景より、手前は葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》(文政13-天保2年、1830-31頃) 版元=西村屋与八
展示風景より、磯田湖龍斎《雛形若菜の初模様 若那や内しら露》(安永後期) 版元=西村屋与八
展示風景より、手前は歌川豊国《中村座場内図》(寛政10年10月、1798) 版元=西村屋与八。中央の舞台上の絵柄は毎回変えながら販売された

編集部