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名絵師のもとに名版元あり? 「蔦屋重三郎と版元列伝」(太田記念美術館)開幕レポート【5/5ページ】

明治時代を生き抜いた版元たちの軌跡

 地下1階の展示スペースでは、浮世絵衰退期に出版を続けていた2つの版元を紹介している。

展示風景より

 幕末にかけて巨大版元が次々と没落していく最中に現れたのが松木平吉(大黒屋)だ。明治期に入ると、四代目は小林清親とタッグを組み、「東京名所図」や「光線画」と呼ばれる風景画シリーズを展開。洋画を思わせるような新たな木版画の表現などを次々と発表していった。

 浮世絵界の不振は変わらずであったが、明治27年(1894)の日清戦争にあわせて制作された時代の流れをとらえるような作品が注目を浴び、一時的に業界が息を吹き返すような時期もあったのだという。

展示風景より、小林清親《柿に目白》(明治13年10月、1880) 版元=松木平吉
展示風景より、小林清親《旅順ノ大海戦二我水雷露艦二命中スル之図》(明治37年2月、1904) 版元=松木平吉

 もうひとつの「秋山武右衛門」は、なんと明治以降に創業された版元だ。それまでは日本橋で呉服問屋を営んでいたようだが、54歳で転身。月岡芳年と親密にかかわり、多くの仕事をともに行った。芳年の代表シリーズ「月百姿」も秋山屋から出版されたもので、芳年が亡くなった後も、その弟子や孫弟子と協働し、月岡一門による作品の数々を世に送り出した。

展示風景より
展示風景より、月岡芳年《月百姿 南屏山昇月 曹操》(明治18年10月、1885) 版元=秋山武右衛門
展示風景より、手前は池田蕉園《やへかすみ》(明治39年、1906) 版元=秋山武右衛門

 いままでの浮世絵の展覧会は、浮世絵師の視点からその作品を紹介する機会が多かった。しかし、どの絵師がどの版元と組んでいたのか、また、その版元の特徴や戦略はどのようなものであったかを知ることで、有名な浮世絵作品がいったいどのようにして生み出されてきたのかといった、裏側の様子を知ることができる。同じ絵師でも、版元が異なるだけで作風が変わるなどといった、そういった変化も本展では見逃さないでほしい。

 なお、現在、太田記念美術館、大東急記念文庫、印刷博物館、国文学研究資料館、たばこと塩の博物館による企画「五館連携 蔦重手引草」を実施中。文学史、浮世絵史、近世史、印刷史といったそれぞれの分野で高い専門性を持った5館がそれぞれの切り口から蔦屋重三郎を紹介。よりディープにその世界を知ることができる機会を創出している。本展に立ち寄った後には、他館の新たな視点から蔦重をとらえ直すことにもチャレンジしてみてはいかがだろうか。

編集部