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葛飾北斎
Hokusai Katsushika
葛飾北斎は江戸時代後期の浮世絵師。1760(宝暦10)年、江戸本所割下水(東京都墨田区)に生まれる。幼少期より自ら好んで絵を描いたといい、14歳の頃から浮世絵版画の彫師としての修行を積むも、後に絵師を志して勝川春章に入門。1779(安永8)年より錦絵を発表するが、春章没後は勝川派を離れ、もっぱら狂歌絵本と摺物の作画を手がける。
北斎の名が広く知られるようになるのは40代後半、曲亭馬琴とタッグを組んだ『新編水滸画伝』『椿説弓張月』の読本挿絵であった。そして70代の数年間に「富嶽三十六景」など代表的な錦絵の揃物を相次いで発表。最晩年は肉筆画の制作が中心となった。1849(嘉永2)年没。生涯手がけた画題の広範さは「森羅万象尽くして描かざるはなき」と言われ、死の間際に「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」と嘆じたという逸話は、「画狂老人」を名乗った北斎の飽くなき探究心と尽きせぬ創作意欲を伝えている。「富嶽三十六景」の一図《神奈川沖浪裏》(1831頃)は、今日「Great Wave」の名称で世界的に知られる名画である。
北斎の名が広く知られるようになるのは40代後半、曲亭馬琴とタッグを組んだ『新編水滸画伝』『椿説弓張月』の読本挿絵であった。そして70代の数年間に「富嶽三十六景」など代表的な錦絵の揃物を相次いで発表。最晩年は肉筆画の制作が中心となった。1849(嘉永2)年没。生涯手がけた画題の広範さは「森羅万象尽くして描かざるはなき」と言われ、死の間際に「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」と嘆じたという逸話は、「画狂老人」を名乗った北斎の飽くなき探究心と尽きせぬ創作意欲を伝えている。「富嶽三十六景」の一図《神奈川沖浪裏》(1831頃)は、今日「Great Wave」の名称で世界的に知られる名画である。