第4章 五葉の画業
4章と5章では、五葉の画家としての側面をたどりたい。
鹿児島で地元の絵師から日本画を、尋常小学校の図画教室から西洋画を学んだ五葉は、上京して橋本雅邦に日本画を学ぶ。しかし黒田清輝の勧めによって西洋画に転向し、1901年に東京美術学校に入学。新たな表現を追究していった。会場には、東京美術学校時代の初期画や卒業制作などが並ぶ。

東西美術に対する高い素養を持っていた五葉。その成果は装飾美術やポスターなどにも活かされていった。
五葉は東京美術学校時代から装飾美術に興味を示しており、油彩で描かれた衝立形式の《孔雀と印度女》(1907)からはラファエル前派の強い影響をうかがうことができる。

いっぽうで、石版を三十五度刷り重ねたというポスター《此美人》(1911)、絵葉書や雑誌といったグラフィックの数々からは、五葉独特のデザインの世界が見えてくる。





















