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「生誕190年記念 豊原国周」(太田記念美術館)開幕レポート。明治以降も引き継がれた歌川派の本流を見る【3/4ページ】

 第3章「明治時代の国周」は、明治維新になり新たな風物が登場したなかで、国周がそれらをテーマにした作品が並ぶ。例えば、写真風に描きこんだ役者絵《写真楽屋鏡 初代河原崎権十郎》(1868、明治元年)などはその典型だろう。

展示風景より、右が豊原国周《写真楽屋鏡 初代河原崎権十郎》(1868、明治元年)太田記念美術館蔵

 また、この頃から、国周は豊原国周を名乗り始める。国周よりも力量的に劣る二代歌川国貞が歌川豊国を襲名したことを良しとしなかったとも考えられ、次第に国周は歌川派から独立していく。しかし、渡邉は「自分こそが、歌川派の正統であるという矜持がそこにはあったのでは」と語る。

展示風景より、左が豊原国周《小今三枡五人梯》(1866、慶応2年)太田記念美術館蔵

 国周は、明治の新しい文物を絵の中に取り入れようとも、必ず役者とともに描くなど、役者絵を専門にするという方針をより明確にしていった。これが国周の画風の大きな特徴といえるだろう。

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