“阿波根さん”が守りたかったもの
小原は、キリスト教信者だった阿波根の運動を「伝道」になぞらえ、「乞食行進は、十字架を背負って丘を歩く“受難”のイメージと重なる。パッションではなくコンパッション、共苦を分かちあうコミュニティの姿」だと語った。「“プロ”とは、前方へ、未来へ、を意味する言葉ですが、阿波根さんにとっては前に出て抗議するプロテストでもあり、前に出て住民たちを守ったプロテクトでもあったと思う。カメラがあれば米軍の行動の抑止にもなると考えたのではないか」。
「前へ」という言葉からイメージをふくらませた港は、「前線から前に投げる相手のなかには米軍がいる。十字架を使ったスローガンが多いのは、神の国であるアメリカ人に向けた、教会の向こう側に投げるものだったかもしれない」と付け加えた。
阿波根が守りたかったものはなんだろうか。小原は「闘争のなかに生活があり、日常のなかに戦場があり、飢餓がある。穏やかな日常がつねに危機と隣りあわせにあるなかで、阿波根さんは愛する者、共苦をともにするような共同体を守りたかったのではないか」と声に力を込めた。実際、阿波根自身も一人息子を沖縄戦で失くしている。「当たり前の日常がどれほど大切か、芯から感じていたのだと思います」。
これまで沖縄で阿波根写真の展覧会を行ってきた比嘉は、来場者の反応を話した。「自分や知っている人が写っている写真を見ると気持ちが出て、写真と会話ができるんですよ。これはあの人のおじさんだとかお子さんだとか、懐かしさも湧いてくる。植民地化された場所では必ず分断が起き、沖縄ではいまも(基地に対する)意見が分かれています。しかし、この写真には分断という発想はない。この写真群を『島の宝だ』と言う人々もいます。それが写真の力であり、我々はこの分断をなくすために写真展を行っているのです。これからは、写真に写った島の人々が、これらの写真とどう関わっていくかが大事」だと語った。
なお、3200枚で阿波根が1枚も笑っていないことに気づいた小原は「いつも怒りの表情で写っている。未来の人に向けて、自分がどう写るかよく考えていたと思う」と話す。筆者は、今年ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会の代表だった故・坪井直氏が怒りの表情を時折見せて核兵器廃絶を世界に訴えようとしていたことを思い出した。
では改めて、阿波根が写真集のタイトルに付けた『人間が住んでいる島』とはどんな意味だろうか。阿波根さんはどういう人たちを“人間”だと思うのか。「それは、植物や動物や人間の共同体であり、(この写真に写っているような)ともに協力し、助けあいながら生きていく人たちのことを“人間”と指しているのではないかと思います」と小原。
港も「写真に写る阿波根さんの視線は真っ直ぐ(こちらを、あるいは未来を)見ている。また、写真に写る人々は70年間ずっと座り込んでいるようにも見えてきます。見る側もまた問われているのだと思います」と言葉を継いだ。比嘉も「もう一度沖縄のあの時代のことを考えてほしい。今後はこの展示を全国巡回することも考えていきたい」と語った。
紛争・戦争によって土地や生活を奪われる人々が絶えない世界。1台のカメラとペンを携えて奮い立った人々がいた。その行動が焼き付けられた写真群が、70年近くを経て再び人々の前に現れている。それらがいま、何を伝えようとしているのかに焦点を当てて見つめ直したい。