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「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」(東京都美術館)開幕レポート。「不屈の情熱の軌跡」をたどる【4/4ページ】

 一村は1958年、50歳で姉の喜美子と別れ、単身奄美へと移住。奄美という亜熱帯気候で育まれた自然を題材にし、独自の絵画世界を築いた。「第3章 己の道 奄美へ」は、一村の奄美における活動に目を向けるものとなる。

 移住当初は与論島や沖永良部島などを積極的に取材するも、2年後に金銭的な事情で千葉へと戻った。千葉では国立千葉療養所の所長官舎に画室として部屋を借り、奄美の風景を描いたという。そして61年、一村は再び奄美へと戻ることとなり、亡くなる71年まで奄美で過ごした。 

 《奄美の海に蘇轍とアダン》(1961)は、奄美から千葉に戻った時期に描かれたもので、奄美滞在の成果が存分に凝縮された名品だ。

展示風景より、右は《アダンと小舟》(1960)
展示風景より、手前が《奄美の海に蘇轍とアダン》(1961)

 また最後の部屋には、晩年の一村が1974年の書簡に「閻魔大王えの土産物」と記した《アダンの海辺》(1969)や《不喰芋と蘇鐵》(1973)といった代表作の数々が展覧。一村が残した《アダンの海辺》の添状には同作の詳細が記載されており、ぜひ目を通してほしい。また、《白花と瑠璃懸巣》や《枇榔樹の森に赤翡翠》といった未完のまま残されていた大作も並ぶ。

展示風景より
展示風景より、左から《アダンの海辺》(1969)、《不喰芋と蘇鐵》(1973)

 東京美術学校の退学から、独自の道のりを歩んできた一村。そこには、全身全霊をかけて「描くこと」に取り組んだ「不屈の情熱の軌跡」を見ることができるだろう。

編集部

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