「エコロジー(ecology)」という言葉の語源をたどってみると、ギリシャ語の「家、住居(oikos)」と「研究、科学(logos)」を組み合わせた、ドイツの生物学者で哲学者であるエルンスト・ヘッケルによる造語だという。つまり、「家についての学問」という意味の言葉だ。
こうしたすべての人類の家=地球が今日抱えている、気候変動や環境問題をはじめとする様々な課題を現代アートで問いかける展覧会「私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために」が、東京・六本木の森美術館で始まった。企画はマーティン・ゲルマン(森美術館アジャンクト・キュレーター)と椿玲子(森美術館キュレーター)。
同館館長の片岡真実は開幕にあたり、「(気候変動など)惑星規模の課題を自分たちの問題として考える時期を迎えているのではないか」という思いで、本展のタイトルを「私たちのエコロジー」と考案したとしつつ、次のように述べている。「気候変動の問題は環境問題だけに関わらず、各国のエネルギー競争、あるいは先進国と発展途上国の格差、そしてこれまで人類が地球に対して行ってきた様々な営みなどが複雑に絡み合っている。そうした複雑な絡み合いを本展でご覧いただけると思う」。
キュレーターのゲルマンも、「本展では『エコロジー』を拡張した言葉として使っており、社会生活、政治、科学、歴史はもちろん、植民地主義やフェミニズムとも関連づけている」と話している。こうした様々な取り組みを、本展で16ヶ国のアーティスト34人による約100点の作品を通じて考察することができる。
展覧会は、「全ては繋がっている」「土に還る」「大いなる加速」「未来は私たちの中にある」の4章で構成。第1章では、「エコロジー」を地球上の生物や非生物、商品、データ、廃棄物などあらゆるものの循環やつながりのプロセスとしてとらえ、このプロセスを様々なかたちで表現する作家たちの作品を紹介している。
ドイツ出身のハンス・ハーケは、社会や経済のシステムと、動物や植物などの生態系とをつなぐ視点で撮影した一連の記録写真を展示。屋上に水を落とし、水がどのように流れていくのかを観察した《サイクル》(1969)や、スペインの浜辺に散らばるゴミを集めてピラミッドをつくった《海浜汚染の記念碑》(1970)、グッゲンハイム美術館での個展(開幕直前にキャンセルされた)のために館内に設置した植物《グッゲンハイム・ビーンズ》(1971)などの作品を通じ、人間が惑星規模の循環のなかで生きていることを提示している。
スウェーデン出身のニナ・カネルによる《マッスル・メモリー(5トン)》(2023)は、北海道産の5トンの貝を床に敷き詰めたインスタレーション。鑑賞者はその上を歩くと、貝殻は押しつぶされ粉砕されていく。セメントなどの建材としても使われる貝殻。その変換されるプロセスを鑑賞者が体験でき、生物の一部が建築に近づいていく過程を実感できる作品だ。また、粉砕された貝殻は展覧会終了後、セメントの原料としてさらに再利用される予定だという。
また、タイの映画監督アピチャッポン・ウィーラセタクンの《ナイト・コロニー》(2021)では、白いシーツの上を多種多様な昆虫が群がり、飛び交う様子を映し出しながら、2020年にバンコクで行われた民主化デモの群衆の声も入り交じる。エミリヤ・シュカルヌリーテの映像作品《時の矢》(2023)では、地中海の地震活動によって水没した古代ローマの都市や、リトアニアの原子力発電所、そしてCGで合成された海底環境に設置されたクラウドサービスなどが映し出され、自然に対する文明の脆弱性を浮かび上がらせる。
ゲスト・キュレーターのバート・ウィンザー=タマキ(カリフォルニア大学アーバイン校美術史学科教授、美術史家)が監修した第2章「土に還る 1950年代から1980年代の日本におけるアートとエコロジー」では、戦後の高度経済成長期において、日本のアーティストが自然災害や工業汚染、放射能汚染など当時の社会問題にどのように向き合ってきたかを紹介している。
1954年に第五福竜丸がビキニ環礁で被爆した事件をテーマにした桂ゆきの絵画作品《人と魚》(1954)、社会問題に対する認識を高める中谷芙二子の映像作品《水俣病を告発する会――テント村ビデオ日記》(1972)、生命の誕生を思わせる卵型のアクリル樹脂に様々な日用品を詰め込んだ中西夏之の《コンパクト・オブジェ》(1966/1968)など様々だ。
また同章では、殿敷侃の《山口―日本海―二位ノ浜 お好み焼き》(1987)と谷口雅邦の《発芽する?プリーズ!》(2023)といった2つのインスタレーションにとくに注目したい。
1942年に広島で生まれた殿敷は、3歳のときに父親が原爆によってなくなり、母親も50年に原爆症で死去。92年の没まで原爆症に悩まされ続けた殿敷は、87年に山口県二位ノ浜海岸で集めたプラスティックのゴミを深い大穴に投じて燃やし、プラスティックが溶けて穴の土とくっついた塊を熱が冷めてからクレーンで引き上げるパフォーマンスを行った。本展で関連資料として展示されているこの塊は、殿敷が体験した核の恐怖を表しながら、同じ悲劇を繰り返さないことも警告している。
いっぽう、谷口の作品は1988年に発表された自作を再構成したもの。植物に関わる素材を用いて作品を制作する谷口は、活動の初期から華道の龍生派に所属。鐘をかたどったこの作品では、生け花のようにトウモロコシの根や実などをその表面に組み合わせ、千の手を持つ神々をも思わせる。また、作品には種も蒔かれており、やがて芽生えていくという。それぞれ破壊と誕生を表したこの2つの作品は同じ空間で響き合い、地球における生命の循環を感じさせている。
第3章「大いなる加速」では、産業革命以降、加速度的に発展した科学技術や産業社会によってもたらされた影響を明らかにすると同時に、ある種の「希望」も提示する作品が集まっている。
養殖真珠を主題に、人間の自然への介入と搾取、また人間と自然の共存について考えさせるモニラ・アルカディリの新作インスタレーション《恨み言》(2023)や、何億年もかけて自然に形成された大理石とゴミを高温で溶解したスラグとを並置することで、ひとつの環境をつくり出しながら、「人間はいずれ消滅し、生命は続いていく」ということを示唆する保良雄《fruiting body》(2023)などの作品が、地球と人類との多様な関わり合いを提示している。
展示室の通路の壁面に汚れたシミのように見えるのが、アメリカ人アーティストのダニエル・ターナーによる新作だ。世界最大の船舶解体工場があるインドのアランで解体された日本籍のケミカル・タンカーの気圧計を粉々にしてできたピグメントを用いて、黒い地平線のような抽象画が生み出されている。海洋環境や、先進国から始まった環境危機が周辺国へ及ぶことなどについて考えさせる。
最終章「未来は私たちの中にある」では、エコ・フェミニズムやデジタル・イノベーションなど多様な視点から、新たな未来の可能性を描く。
同章で紹介された、アグネス・デネスが1982年にニューヨークのマンハッタン島南部の埋立地を麦畑に変化させた《小麦畑―対立:バッテリー・パーク埋立地、ダウンタウン・マンハッタン》は、開発主義へ疑問を呈し、地球温暖化と経済格差への抗議を象徴する作品だ。ニュージーランド出身のケイト・ニュービーは、六本木から銀座への道すがら発見した様々なものをタイルに組み込み、新しい未来の地理をつくり出している。
また、自身の死をテーマにした松澤宥の《私の死(時間の中にのみ存在する絵画)》(1970)は、鑑賞者が展示室内の仮設空間に入って自らの死を想像する作品だ。「エコロジーの世界では、私たちは生命や永遠に生きることについて多くを語っている。そして、死についても考えよう。なぜなら、これはこの地球上のすべての人をつなぐものであり、いずれ私たちは皆、地球から消えてしまうからだ。だから、私たちはこの作品を、物質的なかたちではなく、何かを想像するために心の目を使うことで、とても現代的なものだと感じている」(ゲルマン)。
最後の展示室では、ニューヨーク出身のアーティスト、アサド・ラザによる新作インスタレーション《木漏れ日》(2023)が出現。一見、木製の足場のような作品だが、「太陽光が主人公だ」(ゲルマン)というものだ。
この作品は、ラザが同館の故障していた天窓のロールスクリーンを修理し、そのプロセスを作品化したもの。それにより太陽光が展示室に差し込むようになり、夜にはかつて東京を覆っていたであろう太古の森の風景と響き合うように、マルティニークのマングローブの森で録音された音が流れるという。ゲルマンはこう話す。「太陽光がなければ、もちろんエコロジーは成り立たない。だから私たちは、この思考空間が本展を締めくくるにふさわしい瞬間だと考えた。この部屋は、私たちを同じように地球に戻してくれるのだ」。
また、片岡館長は開幕の記者会見で、本展において作品輸送や会場設営に関する様々な取り組みを強調している。具体的には、できる限り作品自体の輸送を減らし、作家本人が来日し、新作を制作してもらうことや、前回の「ワールド・クラスルーム」展の展示壁および壁パネルを一部再利用したり、また再利用したパネルの塗装仕上げを省いたりすること、100パーセントリサイクル可能な石膏ボードを使うことなどに取り組んでいたという。
環境問題が世界共通の喫緊の課題になっている今日。戦後の前衛アーティストから現在世界が注目する国際的なアーティストまでの多様な視点や取り組みを通じ、エコロジーとは何か、地球環境は誰のものなのかなどの問いについて思考を促す展覧会だ。