「エコロジー」とアートの関わりの変化を見る
エコロジーをテーマに据えた本特集は、1980年代に流行したニューエイジの熱が冷めやらぬ90年に刊行された。特集を見渡していて目に付くのは、サイケデリック、ドラッグ、サーフィン、東洋思想、オカルトなどといったキーワードである。60年代以降のカウンターカルチャーは、宇宙、海洋、精神世界など、様々なベクトルへの「拡張」に特徴づけられる。しかし、83年に世界で初めてHIV患者が確認されたことを境に、その動きは縮小へ向けて踵を返すこととなった。根本的なレベルから、自然と人間の関係性に疑問が呈されたのだ。そんなムードのもとで、新たに人々から歓迎されるようになったのが「エコロジー」という概念である。
また、こうしたムードは今日的でもある。新型コロナウイルスの流行によって、いままさに自然と人間の関係性が再考されているからだ。90年代のエコロジーは、その背景にサーフィンや宇宙といった語彙が見え隠れしていたのに対して、現代のエコロジーは、感染症、気候変動、人新世などの新しい語彙が見え隠れしている。そして、過去と現代のエコロジーに共通しているのが「プラネット」という視座である。
90年代において、プラネットという言葉は、文字通り宇宙から見た地球、あるいはイルカやクジラ、サーフィンなどが象徴する「母なる海」のイメージと結びついていた。それを象徴するのが、見開きで大きく掲載された岩合光昭によるクジラの写真や、まさにこの時期に日本で局所的なヒットを飛ばしていた、クリスチャン・ラッセンの描く「宇宙を飛ぶイルカ」の絵などであるだろう。
それに対して現代のプラネットは、より都市論的なニュアンスで解釈されている。近年進められているプラネタリー・アーバニゼーション(地球の都市化)の研究では、従来の都市/農村という図式が解体され、地球全体がひとつの都市として再解釈される。いまや「母なる海」こそが汚染されており、どんなに美しい海洋リゾートも、資本主義に汚染された「消費の場(=都市)」と化しているのだ。
その意味で、いま見ると、90年に編まれた本特集の記事はどれも牧歌的で、「汚染前のエコロジー」としてとらえることができる。それゆえ、現代にはそのまま当てはまらない内容も多いが、自然との関係性における根本的な反省の態度は、今日でもなお有効なものだろう。しかし、かつての「母なる海」はもう存在しない。地球全体が消費の場と化した現代において、私たちに求められているのは、惑星=都市のなかに新たな「反省の場」を、仮設的にであれ、建設することなのである。
(『美術手帖』2021年12月号より)