九州屈指の温泉地であり、個展形式の芸術祭「in BEPPU」の開催地としても知られる大分県別府市。同市の街中を舞台に、塩田千春の個展「巡る記憶」が始まった。会期は10月16日まで。
塩田千春はベルリンを拠点に国際的に活動するアーティスト。2019年に森美術館で開催された個展「塩田千春展:魂がふるえる」では約66万人(同館歴代2位)の入場者数を記録し、大きな注目を集めた。昨年には十和田市現代美術館で常設作品《水の記憶》を発表。また今年に入ってからは国際芸術祭「あいち2022」にも参加。一宮市の旧毛織物工場を舞台に、赤い糸による大規模なインスタレーション《糸をたどって》(2022)を発表するなど、勢力的な活動を続けている。
本展「巡る記憶」は、「東アジア文化都市2022大分県」のコア事業のひとつとして開催されるもので、主催は混浴温泉世界実行委員会と東アジア文化都市2022大分県実行委員会。混浴温泉世界委員会の総合プロデューサー・山出淳也は何年も前から塩田の個展を開催したいと考えてきたと語っており、大分県と別府市にとっては念願のプロジェクトだ。
予測不可能で困難な時代において私たちが生きる意味を問い、人々の心に希望のあかりを灯すプロジェクトになることを目指すこの個展。その展示会場は、30近い候補場所から選ばれたという市内2ヶ所、双方が徒歩圏内だ。
BEP.Labは、小麦粉や砂糖などを扱う元食品卸問屋。その建物2〜3階部分、もともと従業員の宿舎として使われていた和室がインスタレーション《巡る記憶 − 草本商店》(2022)によって大きく姿を変えた。各階には編み込まれた白い糸が張り巡らされ、そこからは水が滴る。水滴は水盤を揺らし、またその水が循環し、水滴となる。塩田がここまで大規模に水を使った作品は、今回が初めてだ。
白い糸が雲を、滴る水が雲から落ちる雨を思わせるこのインスタレーションは、「循環」がテーマ。大きな自然のサイクルの一部がそこには表出している。
塩田は、別府に立ちのぼる湯けむりを見たことで「大地のエネルギーを感じ、白い糸を編もうと考えた」と語る。ホワイトキューブではなく人々の記憶を感じさせる場所で、記憶を紡ぐように糸が編まれていった。この会場はひと筆書きで鑑賞ルートが設定されており、展示の最後には音による作品が鑑賞者を包み込む。
もうひとつの展示会場は、1973年に建てられ2016年頃まで営業していた中華料理屋「中華園」の跡地だ。かつては多くの人々で賑わいを見せていたこの店舗。ここではその記憶を甦らせるように、実際に使われていた円卓や膨大な食器、岡持ち、そして棚などの家具などが、塩田特有の赤色の糸によってつながれ、空間を埋める。宙を舞う食器の数々は、往時の活気をいまに伝えるようだ。
《巡る記憶 − 草本商店》がマクロな世界を表象するものだとすると、こちらの《巡る記憶 − 中華園》(2022)は別府という街がより身近に感じられる作品だと言える。
塩田は今回の作品を通じ、「コロナ禍で人との関わりが閉ざされる時期だったので、作品を見て通じるものがあればいいなと思っています」と語っている。
本展サテライト会場のplatform05では、塩田千春が「第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展」に日本館代表作家として参加した当時の様子を収めた映像や、過去の展覧会図録などが並ぶ。同じ長屋のSELECT BEPPUでは本展オリジナルグッズも販売されているので要チェックだ。