レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに、イタリア・ルネサンスの巨匠とされるラファエロ・サンティ。 1848年、ロイヤル・アカデミー付属美術学校の学生によって結成された「ラファエル前派」とは、このラファエロを否定し、それ以前の「絵画が自然に忠実」であった時代に戻るべく活動した前衛芸術集団だ。
そして、中心メンバーであったダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハント、ジョン・エヴァレット・ミレイら若き画学生らの思想に影響を与えたのが、「ビクトリア朝きっての美術批評家」と言われたジョン・ラスキンだった。
三菱一号館美術館で開幕した「ラファエル前派の軌跡」展は、このラスキンの生誕200年を記念して開催。ラファエル前派同盟の作品を中心に、ラスキンが自著で論じたことでその評価の確立に与した、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの油彩画・水彩画や、ステンドグラス、家具など約150点が並ぶ。
ラスキンがターナーと初めて対面したのは1840年の夏、21歳のときだった。その前後から、ラスキンはターナーの作品コレクションを形成し、43年には若手画家を論じた『現代画家論』を出版。批評家として一躍脚光を浴びることになった本著の出発点は、大胆な筆致と新たな表現によって物議醸していたターナーの擁護論にあったという。第1章「ラスキンとターナー」では、ターナーの作品にフォーカスする。
本展の監修者で美術史家のクリストファー・ニューオルが「ターナーの油絵の最高傑作」と話すのが《カレの砂浜――引き潮時の餌採り》だ。色彩と光の効果を探求すべくターナーが描いた本作は、1章の冒頭で来場者を迎える。
優れた批評家であると同時に、人知れず絵を描いてたラスキン。しかし、画家の活動に執着していなかったというラスキンが絵を展示する機会はほとんどなく、販売したこともなかったという。ここでは、自然観察の重要性を強く説いたラスキンの描く山、木々の描写にも注目してほしい。とくに《モンブランの雪――サン・ジェルヴェ・レ・バンで》は、モンブランの大山塊がどう形成されているか、その理解を示す描写となっている。
ラファエロ以後の陳腐で感傷主義的な表現から絵画を解放し、中世美術のシンプリシティと誠実性を目指す。2章では、そうした志のもとで結成された「ラファエル前派」の軌跡をたどる。
目の前の景色、色、香りを絵画に忠実に写し取るため、ラファエル前派をはじめとする若手画家たちに屋外での制作を勧めたラスキン。その教えを色濃く反映しているのが、「ラファエル前派」と親しい関係にあったフォード・マドクス・ブラウンの《ウィンダミア》だ。最終日は雨のなか、傘の下で描かれたという本作。楕円形のキャンバスは、楕円形に広がる光景を再現するため、また全景を見渡す距離感を強調するためだったとも言われている。
いっぽう、ミレイの《滝》も、本展監修者のニューオルが「描写の巧みさに注目してほしい」という一点だ。右端に描かれている女性はラスキンの妻・エフィ。この作品には、ミレイが「いままでこんなに素敵な女性を見たことがない」と言うほどにエフィに対して抱いていた親密な思い、愛情が描かれている。
ラファエル前派のなかでも、ロセッティはその華やかな表現がとりわけ目を引く。神話上の人物であるウェヌスを描いた《ウェヌス・ウェルティコルディア(魔性のヴィーナス)》、一編の詩をもとに描かれた《祝福されし乙女》といった様々な女性像が並ぶが、なかでもニューオルが「重要作」だと強調するのは、今回日本で初披露される《クリスマス・キャロル》だ。ロセッティが多数描いた楽器を持つ女性像。本作では音楽への恍惚が豊かに表されている。
続く3章は、「ラファエル前派周縁」として、ラファエル前派の広がりを伝える。1850年代、その活動や思想はより広範囲に受け入れられ、ラスキンも、細部に最新の注意を払って絵画や素描を描くように勧める『素描の基礎』といった著作によって依然影響力を持っていた。そして、そんなラスキンが画家としての能力を高く評価していたのが、エドワード・バーン=ジョーンズだった。
そして4章では、聖書、神話、文学の主題をしばしば扱い、つねに現代社会の平凡な現実から遠く離れたテーマを描いたバーン=ジョーンズにフォーカス。ラスキンが「もっとも美しい」と賞賛した《ペレウスの饗宴》や、ヨーロッパ古典芸術における裸体像を表現した《赦しの樹》などが並ぶ。
そんなバーン=ジョーンズと生涯続く友情を築いたのが、ウィリアム・モリスだった。本展の最終章である5章では、ときにバーン=ジョーンズ共同制作も行ったというモリスの活動を展観。モリス商会が制作したソファ、椅子などの家具も実際に並び、「アーツ・アンド・クラフツ運動」へと続く系譜を知ることができる。
作品保存の観点から公開される機会は少ないというラファエル前派の作品。それらをまとまったかたちで鑑賞できる本展で、当時の画家たちの志と熱に触れてほしい。