1950年から数多くのフォトコラージュ作品を生み出し、瀧口修造に見出されてさらに才能を開花させながらも、わずか7年でその活動に終止符を打った岡上淑子。そのユニークな世界を紹介する展覧会「岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟」が、東京都庭園美術館で開幕した。
本展は2部構成。本館での展示は「第1部 マチネ」と名付けられ、貴重な資料とともに初期からコラージュ以降まで岡上の活動を追う。
まずは岡上の作品とともに、コラージュの重要な要素となった50年代の優雅でクラシカルなファッションを紹介。未だ物資の不足する戦後復興期において、あえて生地をふんだんに使った贅沢な装いは人々を魅了した。岡上もそのひとりとして、洋裁学校に通いファッションの世界に憧れながら、作品のなかにその要素を取り込んでいったことが伺える。
続いて並ぶのは岡上の初期作品だ。22歳のとき、学校で出された「ちぎり絵」の課題にインスピレーションを得てコラージュ作品の制作を始めたという岡上。初期作品は、背景に黒や赤など単色のラシャ紙を用いた、シンプルでリズミカルな構成が特徴だ。
岡上が自作のなかで一番好きだと語るのは、《海のレダ》(1952)。会場では、「女の人は生れながらに順応性を与えられているといいますが、それでも何かに変っていく時にはやはり苦しみます。そういう女の人の苦悩をいいたかったのです。(『美術手帖』1953年3月号)」という岡上の言葉が添えられている。
それまでシュルレアリスム運動や美術の知識を持たず、思いつくままに制作していた岡上。しかし、美術評論家の瀧口修造(1903~79)に出会い、マックス・エルンストの作品を知ることになる。エルンストの作品に衝撃を受けた岡上の作品は、それまでのシンプルな構図から、背景にも写真を用いた複雑で奥行き感のある構図へと変化を遂げていく。
第1部ではそのほかにも、岡上が50年代半ばにコラージュの制作に限界を感じて始めたストレート写真や、子育ての傍らで手がけた日本画やスケッチも紹介。突如姿を消したと思われた岡上の、豊かな「コラージュ以降」の表現を見ることができる。
いっぽう新館の「第2部 ソワレ」は、「懺悔室の展望」「翻弄するミューズたち」「私たちは自由よ」の3章立てで、岡上のコラージュ作品を一望する内容だ。
戦後の荒廃した風景と、『ヴォーグ』に代表されるようなハイファッションのきらびやかな世界を組み合わせ、意識せずともシュルレアリスムの手法を見事に実現した岡上。「懺悔室の展望」の章では、戦争体験を視覚化したような作品や、水をモチーフとした災害を思わせるような作品が並ぶ。
しかし「翻弄するミューズたち」「私たちは自由よ」の章では、打って変わって伸びやかな女性の像を多く用いた作品が登場する。「もはや戦後ではない」と謳われたのは、岡上が最後のコラージュ作品を制作した56年のこと。終戦の年から56年までは岡上にとってまさに青春時代であり、作品に登場する女性たちは岡上の明るい情動の一面を表しながら、新たな時代の訪れを告げている。
自らを決して「作家」として押し出さず、誰の影響ともなく多くのコラージュ作品を生み出した岡上。本展ではコラージュだけではなく、岡上による詩篇や写真作品など、多角的にその活動を見ることができる。
展覧会の最後を飾るのは、岡上によるこの言葉だ。「(中略)ただ私はコラージュが其の冷静な開放の影に、幾分の嘲笑をこめた歌としてではなく、この偶然の拘束のうえに、意志の象を拓くことを願うのです」。戦後に生きるひとりの女性として世界を見つめた岡上の率直な眼差しと遊び心から生み出された作品を、ぜひこの機会に堪能してほしい。