特別展「生誕151年からの鹿子木孟郎 ー不倒の油画道ー」(泉屋博古館)開幕レポート。日本洋画に写実をもたらしたひとりの画家の足跡をたどる【2/5ページ】

 本展は全4章で構成されている。第1章「『不倒』の油画道への旅が始まった。」では、鹿子木の画業の初期を紐解く内容となる。鹿子木は、出身地である岡山で、14歳のときに洋画家・松原三五郎の天彩学舎に入門し、洋画の基礎を学んだ。その後18歳で上京し、小山正太郎の「不同舎」でさらに技術を磨く。このとき鉛筆による「たった一本の線」で素描することを徹底的に学び、多くの鉛筆画を残している。鹿子木は、不同舎で学んだことにちなんで、後に自ら雅号を「不倒」とした。

 会場には、14歳のときに制作した《野菜図》や鉛筆で描いた素描が展覧されている。若い頃から基礎技術を徹底して学んでいた姿勢が、これらの作品からも伝わってくる。

展示風景より、鹿子木孟郎《野菜図》(1888)府中市美術館【前期展示】9月27日〜11月3日
展示風景より

 鹿子木は、静物画や風景画に加えて、この頃から油彩肖像画にも挑戦しはじめる。会場にはいくつかの肖像画が紹介されるが、なかでも《老女》という作品は、不同舎に属した鹿子木ならではのモチーフが描かれる。当時不同舎に属した作家に対して、黒田清輝をはじめとするグループも活躍していた。不同舎を「旧派」というなら、黒田らを「新派」と呼ぶように、様々な観点で対比される2つだったが、モチーフ選びにおいて「旧派」は、老若男女、とくに下層階級と呼ばれた農民たちも多く描いた特徴がある。見たままを描く、という鹿子木のスタイルは、この不同舎での学びによるものが大きい。

展示風景より、鹿子木孟郎《老女》(1894)【前期展示】9月27日〜11月3日

編集部