「KOGEI Art Fair Kanazawa 2023」のテーマは、「いま手に入れるべき工芸がここに」。ハイアット セントリック 金沢の2階、5階、6階が会場になっているのだが、2階はふたつの宴会スペースがそれぞれ2軒のギャラリーの展示に用いられ、5階と6階は客室が38軒のギャラリーの展示空間となっている。近年、陶芸や漆芸などの工芸にカテゴライズされていた技術を駆使したアート作品が人気を博しているが、そもそも工芸とアートに明確な境界はあるのだろうか。2階の展示のひとつ、レントゲン藝術研究所準備室で親方の池内務に話を聞くと、示唆に富んだ回答が返ってきた。
「現代美術において重要なのはコンセプトではないか、手作業による完成度の追求にどこまで意義があるのか、といった議論は度々起こります。そうしたことを考えたときに、日本的な表現の裏付けのひとつに、工芸的な何かがあるだろうというのが私のひとつの意見です」。
当然池内は、完成度だけを考え、コンテンポラリーアートの根幹にある「言説と作品を等価で考えること」を疎かにしてはならないことにも言及する。そんなコンセプトを念頭に入れながら、40のギャラリーが紹介する200名に及ぶ作家たちの展示から、魅力的で今後のさらなる展開を期待させる表現をいくつかピックアップしたい。
先述したレントゲンヴェルケ藝術研究所準備室の展示タイトルは、「Hysteric Nature」。花鳥風月と称して自然を愛でてきた日本だが、気候変動や災害などを通して自然環境の悲鳴のようなものが聞こえてくる。そんな現代において、自然をモチーフとする作家の表現を「新世代的花鳥風月」とし、「Hysteric Nature」のタイトルが生まれた。出品作家は坂田あづみ、ミヤケマイ、石黒昭、松本涼ほか。
2階のもうひとつの展示は、金沢が拠点の縁煌(えにしら)。器など用途をもつ工芸作品をおもに扱う画廊だが、北陸三県の作家による、空間を彩り、見て楽しめることを重視した作品を集めた。
5・6階の客室へと向かう。GALLERY KTOの展示は、陶や既製品を用いて「夢で見たもの」を作品化する近藤南や、絵画を手がける山口真和が並行して制作するようになった陶のレリーフなど、現代アートをバックグラウンドとしながら工芸的な要素を取り入れる作品を集めた。
TARO NASUのハイライトは、ライアン・ガンダーと金工作家である中村友美のコラボレーション作品だ。ガンダーが手がけた指輪を、中村の銅器と組み合わせる。銅器のフォルムがもつ隙のないバランスに、異物として入り込む指輪。使用する際に邪魔だったら取り外せるように、との意図でハンドル部分を1箇所だけ本体と固定してあるのは、中村のユーモアでありアイロニカルなガンダーへの返答とも読み取れる。
工芸的技術に裏付けられた作品であり、高い完成度に裏打ちされ、なおかつ用途を備えた実用品のみではなく、空間の装飾や鑑賞して愛でることを目的とする作品の数々。ホテルの客室という空間特性を各ギャラリーが生かしているのも、このフェアの特徴のひとつだ。
従来の工芸の枠組みに類する作品──器であったり、家具であったり──をつくりながら、そこに留まらない制作を行う作家たちの表現も印象深い。独自に陶芸を学んだ今野朋子は、YOD Galleryより出品。花器として機能する器を陶土でつくり、磁土で繊細に造形した花の立体作品をそこに挿した。細い木の枝と組み合わせ、華道の新たなかたちを想起させる表現を行った。
東京藝術大学デザイン科で学び、家具工房で8年ほど働いた北奥美帆は、椅子づくりの技術を習得したことで新たな表現を目指すようになった。肩書きは、「美術系ソファ屋」「1級いす張り技能士」。木で椅子のベースをつくり、そこに羊や豚、牛などの動物をデザインして完成させる。木彫作品を手がけるよりも硬い木を用い、例えば羊であれば羊毛のニットで、イベリコ豚はドングリを餌にするからドングリの実が成る木を材料に、牛には牛革を、といったようなユーモアも交えながら制作した椅子は、頑丈で使い勝手もよく、室内を楽しく演出もしてくれる。「どこかが壊れてもパーツ交換をして修理もできます」と、技術者の矜持を見せる。
小山登美夫ギャラリーの空間に並ぶのは、器と陶彫の制作をあわせて行う伊藤慶二、数多くの絵画作品が評価されてきた杉戸洋による陶作品、岡崎裕子による器など、緩くアートと工芸のグラデーションをたゆたうようなラインナップだ。
台湾から参加した木木藝術(MUMU GALLERY)のブースからは、李凱真の表現を紹介したい。墨絵作家として時間や記憶を表現してきた彼女は、山で目にした景色にインスパイアされて細長い薄紙にドローイングを施す。そして、丸めたロール状の紙を磁土でつくった箱に詰め、美しい土と紙のオブジェに仕上げる。絵を取り出して手にとって眺めたり、広げて額装したり、あるいは箱に詰めたままオブジェとして飾ったり。工芸とアートを自在に乗り越えた表現として印象深い。
手法と表現の関係を自在にとらえて制作を行う作家たちの作品も印象深い。陶土を用いる酒井智也は、「パーツをつくり、それを組み上げてどういうかたちが出てくるのかを楽しみにしながら」制作を進めているという。やはり、一輪挿しのような機能を備えた道具と立体作品の区別なく、色とりどりの作品をかたちにしている。
愛知県立芸術大学で彫刻を学び、平面作品も並行して手がける並木久矩のテーマは、「ヒトはどこから来て、どこへ向かうのか」。太古の遺跡や当時を生きていた人々の暮らしに焦点を当てた作品をギャラリーMOSの空間で発表した。素材が何で、どのような形状で、その背景にどのようなストーリーがあるのか。土を捏ねてかたちを生み出す行為と、生み出されたかたちが想起させるストーリーまでを一貫して作品に込める。
素材そのものから生まれるかたちを作品化してしまう。技巧的にどのようなかたちを生み出すか、という職人的な素材の扱い方と、偶発性を受け止めて作品に留めるスタンスを共存させる。ある意味で、もっとも従来の工芸の枠組みを超えた領域で表現を行う作家ふたりを最後に紹介したい。
横山翔平が展示を行ったのが、ArtShop月映のブース。ガラスを「生命力を湛えた流動体」ととらえる横山が手がけたのは、液体素材であるガラスを伸ばし、そこから生まれるストロークをそのまま固体化した作品の数々。「生の気配を孕み、鑑賞者の近くを喚起させる」という横山のコンセプトを具現化したダイナミックな作品が並んだ。
東京造形大学でインダストリアルデザインを卒業し、フランスのEcole Boulle国立工芸学校でデザインを学んだ水口麟太郎は、グルーガンを用いた作品「KAIJIN」シリーズを発表。「半透明のグルーガンだと柔らかすぎてかたちにできない」など、試行錯誤を経て黒いグルーガンに金属素材などを混ぜながら、立体化させることに成功。そもそもが接着材料であるグルーガンの、流動材である質感的な特性を立体作品の支持体に活用するとは従来の工芸作家の思考からは大きな跳躍を感じさせられる。近年は、漆や金箔などをグルーガンに混ぜた技法の融合も行っているというから、まさに工芸の未来的思考と呼べるだろう。
工芸とアートの枠組みを超えたところにこそ、「いま手に入れるべき工芸」と呼べるのかもしれない。各ブースの展示を眺めながら、自分の手元に置いておきたい表現を見つけ出してみてはいかがだろうか。