アーティスト・田名網敬一が88歳で逝去

アーティスト・田名網敬一が8月9日、88歳で逝去した。

田名網敬一、「PARAVENTI: KEIICHI TANAAMI - パラヴェンティ:田名網敬一」(プラダ 青山、2023)にて 撮影=編集部

 デザイナーとしてキャリアをスタートさせ、60年代から現在に至るまで幅広いジャンルを横断し、独自の地位を築いてきたアーティスト・田名網敬一が8月9日に逝去した。享年88歳。

 田名網は1936年東京生まれ。武蔵野美術大学卒業。在学中にデザイナーとしてデビューし、75年には日本版月刊『PLAYBOY』の初代アートディレクターを務めるなど、早くから雑誌や広告を主な舞台に、日本のアンダーグラウンドなアートシーンを牽引してきた。また60年代からはデザイナーとして培った方法論・技術を駆使し、絵画、コラージュ、立体作品、アニメーション、実験映像、インスタレーションなどを制作。アートディレクター、グラフィックデザイナー、映像作家など、そのジャンルを横断した類まれな創作活動により、他の追随を許さない地位を築いてきた。現在、世界初の大規模回顧展となる大規模個展「田名網敬一 記憶の冒険」国立新美術館で11月11日まで開催されている。

 田名網の所属するNANZUKAによれば、2024年6月後半に骨髄異形成症候群を患っていることが判明。自身の集大成である回顧展もあり、1日も早い復帰を目指して治療とリハビリに励んでいたが、7月末にくも膜下出血を発症し、帰らぬ人になったという。

 NANZUKA代表の南塚真史は訃報に際し次のように追悼した。「田名網は生前に、自身の最近のアニメーションやペインティング作品を称して、『(自分が)死後に住む世界』だと説明をしていました。きっと、田名網の魂は、この自ら築き上げた極楽浄土で、妻や友人、そして魑魅魍魎たちと楽しく、永遠に生き続けることと思います。そして、この先田名網が心血を注いだ作品の数々が美術の歴史と皆様の心の中に生き続けることを、私も切に願っています」。

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