ジェンダーに焦点を当てたクリエイティブスタジオ「REING」がつくりあげた雑誌『IWAKAN』の創刊を記念する展覧会が、10月16日より東京・高円寺の書店「タタ」で開催される。
親や学校、会社、メディアから投げかけられる「常識」に、「それって本当にそうなのかな?なんでなんだろう?」と違和感を抱く人たちに寄り添うということから発想された同誌。それらの違和感に100点の答えを出すのではなく、人々とともに考え、新たな当たり前を共同で創造し、提案することを目指している。
創刊号は「女男」を特集。「男性は、いつも勇敢で、積極的で、自信満々であるべき」「女性は、いつも謙虚で従順で、恥じらいを持っているべき」など、男女二元論で語られることが多いが、こうした旧体制的な男女の枠組に違和感を感じる人たちを寄り添うために、同号では国内外のアーティストやクリエイターによる取り組みを紹介する。
同誌の編集を手がけるエド・オリバー、ジェレミー・ベンケムン、中里虎鉄、ユリ・アボの4人は「美術手帖」の取材に対し、創刊特集に「女男」を選んだ理由について、「『男女』を『女男』に変えることは、私たちが日常的に使っている言葉が、私たちが意識的に意識しなくても、いかにジェンダー化されたものであるかを人々に思い出させるための方法だ」と語っている。
「創刊号は、次号以降のマニフェストとなるようなものにしたいと考えていたので、『男とは何か』『女とは何か』という社会の核となる概念の解体と問いかけをテーマにしたのは自然な流れだ。日本では、ジェンダーについて議論するときに、私たちが抜け出そうとしているジェンダーの二項対立に左右されることがよくある」。
世界経済フォーラム(WEF)が2019年に公表した「ジェンダー・ギャップ指数2020」で、日本は「調査対象の153ヶ国中121位」(前回は149ヶ国中110位)という低順位であることが明らかになった。こうした日本におけるジェンダー・アンバランスも、同誌を立ち上げた大きな動機のひとつだという。「日常生活だけを見て、職場でも電車のなかでも、自分の体のことを話したり、結婚後の名前を名乗ることを選んだりするとき、女性はつねに女性軽蔑を経験している」。
「政府は問題の本質を認めようとせず、表面的な解決策を投げかけて問題を解決しようとしているが、実際の社会的変化をもたらすことはない。もちろん、政府がほぼ男性だけで構成されている場合、シスジェンダーである異性愛者の男性以外に利益をもたらすために、社会における家父長的支配を再構築することにはほとんど関心がないことは驚くべきことではないだろう」。
創刊チームの4人は、これまで性別やセクシュアリティに関する差別との戦いを経験してきたが、現在の社会においてはこれらの問題に対する意識が高まっており、議論がしやすくなったような変化もあるとしている。
「日本の男女不平等の影響を受けているコミュニティからの反発が多く見られる。しかし、日本にはいまだに女性からの反フェミニストの感情や、多くの同性愛者からのジェンダー問題への無関心もたくさんある。もちろん、変化を起こすのは彼らの責任ではないが、私たちは自分たちの問題に関心を持たなければ、シスジェンダー主体の政府に目を向けてもらうことはできないだろう。それはまた、私たちが『IWAKAN』をジェンダー問題に関してもっと身近に感じてもらえるようなものにしたかった理由だ」。
創刊号には、Runurunu、プログレッシブ・ジェニタリア、エド・オリバー、クレマン・デゼルス、アラーナ・スター、キャリー・タンなどのアーティストが参加。デザインは福岡南央子(woolen)、佐伯麻衣、許安(シュ・アン)が担当する。
メインな参加アーティストを選りすぐったエド・オリバーとジェレミー・ベンケムンは、その選択について次のように述べている。「『IWAKAN』の特集を組む際には、ジェンダー問題を批判することではなく、正面から向き合っている作家を選びたいと思った。読者の頭にメッセージをぶつけて答えを押し付けるのではなく、読者が自分自身で疑問を持つことができるような作品を取り上げたかった」。
「例えば、宗教、セックス、西洋文化と日本文化をミックスしたアーティストのRunurunuと、生物学、資本主義、セックスをミックスしたアーティストのプログレッシブ・ジェニタリアといったふたりのアーティストは、自分たちが見ている様々な領域のつながりや、ジェンダーについてのより大きな議論への影響をアートで問いかけている」。
こうした作品の原画、そして会場でしか見ることのできない映像作品や同誌のアザーショット写真などは、今回の創刊記念展で展示。会場にて雑誌の閲覧や購入も可能だ。
ジェンダーの二項対立を超え、今日の社会におけるジェンダー問題に対して変化を起こそうとする雑誌『IWAKAN』。そのローンチを待ちたい。