対談 加藤泉×石倉敏明:絵を描くことで幸福になってきた
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「人がた」と「ヒューマン・ビカミング」

石倉 今展では高校生時代から最新作まで、加藤さんの作品を網羅的に見られます。その変化が読み取れておもしろいとともに、私としては自分のやってきた文化人類学との深い関係が感じられてたいへん興味深いです。文化人類学とは人間について研究するわけで、20世紀の人類学は人間を「ヒューマン・ビーイング」すなわち存在としてとらえていました。ところが21世紀の人類学はより多元化しており、「ヒューマン・ビーイング」ではなく「ヒューマン・ビカミング」という言い方があります。人間とはつねに変容し成長する存在であり、変化の過程に注目しようという考えです。加藤さんの生み出す「人がた」は、ヒューマン・ビカミングという言葉とつながっているんじゃないかという気がします。今展では「人がた」の変遷をたどれますが、どうやら「人がた」の前段階もあるように見えます。展示冒頭の《おじいさん》は、どう描かれたものですか。

展示風景より、左から《自画像》《おじいさん》
Photo by Yusuke Sato
Courtesy of Iwami Art Museum
©︎2025 Izumi Kato

加藤 高校生のときに描いた絵です。高校時代はサッカー部の活動に打ち込んでいたんですが、絵を描くのは得意で、美術の授業でもけっこう目立っていた。それで美術部の先生から県展に出してみようと声をかけられ、出品用にと家で祖父をモデルにして描いたものです。キャンバスは部室から勝手に持ってきたから、裏に「美術部」って書いてありますね。《おじいさん》と同じく最初の展示室にある《自画像》は、美術予備校に通っているとき描いたもの。赤いヒモを使って自画像を描きなさいという課題が出て、当時流行っていたアイドルの光GENJIを意識してヒモを鉢巻代わりにして描いたら、教室のみんなに「何それ?」と冷たい反応をされて、けっこう落ち込みました(笑)。

川西 この時期の加藤さんの作品は、これまで公開されたことがありませんでした。美術館へ下見に来ていただいた折、松江のご親戚が古い作品を持っていることがわかり、それらを出品いただくことができました。

加藤 昔の作品を見せるのは自分としては気が進まなかったけれど、まわりの勧めに従い出すことになりました(笑)。

石倉 20代の作品も多数出品されています。画面は暗く、見るからにつらそうな気配の伝わってくる絵が多いです。

加藤 20代は本当に辛かったんです。アルバイトを転々としながら描いていましたが、全然食えなくて、だんだんやさぐれていった。そんな気分がそのまま画面に反映されています。

展示風景より、若かりし日の作品
Photo by Yusuke Sato
Courtesy of Iwami Art Museum
©︎2025 Izumi Kato

石倉 それでも少しずつ絵の雰囲気は変わっていき、30歳前後で、いまの加藤さんの作品に直結するいわゆる「人がた」が生まれてきます。何かきっかけがあったのですか。

加藤 精神的に大人になってきて、世の中と折り合いがつくようになっただけで、とくにきっかけがあったわけじゃありません。ただそのころ、ひとつ気づきはありました。自分はいつもすべてのことを、絵に置き換えて考えている。絵をちゃんと描いて生活できてさえいれば、すべての悩みは解消するはずだと自分でよくわかった。不良がボクシングと出合って更生するドラマなんかがよくあるじゃないですか、あれが僕にとっては絵を描くことだった。それでようやく、絵に打ち込もうと決心をしました。それからは、一枚描くごとに自分を更新していくつもりで、ひたすら描き続けていった。35歳あたりからはスランプも経験したんですけどね。絵をやっていると、たいていだれでも行き詰まるものです。あらゆることがさんざんやり尽くされているジャンルだから、すぐ進めなくなってしまう。まわりを見ていると、どうやらそれは僕だけじゃなくて、みんな35歳前後で壁にぶち当たるようです。そういうときは光もなく出口が見えないトンネルをずっと走ってる感じで、いまにもくじけそうになる。まあそれでもとにかく何とか続けていると、急にポンッと脱け出て、視界が開けました。以降はスランプらしいスランプはなくて済んでいますね。とにかく僕の場合、絵があって本当によかった。そうじゃなければエネルギーを持て余して、きっとよくない方向に進んでいました。絵を描いていられればいつも幸せだったし、自分は絵を描くことで幸福になってきたんだと思っています。

展示風景より
Photo by Yusuke Sato
Courtesy of Iwami Art Museum
©︎2025 Izumi Kato

石倉 たしかに展示を観ていても、40代から50代にかけての作品はもう迷いなく、ひたすら我が道を行きながら、どんどん展開し動いているのがわかります。

加藤 作品を展開していくことはいくらでもできます。昔から無意識に、展開する練習は積んできたみたいなので。サッカーをやる感覚にも近いものがあるんですけど、ずっとリフティングの練習していて、全然できなかったのにあるとき急に100回くらい余裕でできるようになったりする。そういうのが絵でも起こり得る。日頃から練習していないと、いざ作品を展開しようと思っても絶対にできない。それで停滞し、自己模倣だけして、平気で10年くらいつぶしてしまったりする。そうならないよう、自分なりの練習は怠らないようにしないといけない。

石倉 スランプのころから始めた彫刻作品も、絵画の展開のために大きな力になっているのではないでしょうか。最初は木彫ですが素材も多様化していき、ソフトビニールやプラモデルを使った立体作品まで登場することとなります。

加藤 素材も含め、いまは自由にやっていますね。若いころはノコギリとかトンカチとかいろんな道具をいっぱい集めて、ずらっと並べて満足するようなところがありました。それらの使い方はたいしてうまくないのに。キャリアを重ねてくると、いらない道具は手放して、本当に必要な道具だけを手にして、どこまでも作品を深く掘っていったりどんどん積み重ねたりしていけるようになる。自由を手に入れて好きにやっているから、作品をつくることに苦しさはなくて、いまはひたすら楽しいですよ。

左から、加藤泉、石倉敏明
展示風景より
Photo by Yusuke Sato
Courtesy of Iwami Art Museum
©︎2025 Izumi Kato

石倉 近年の作品では「人がた」が、動物や植物など人間以外の他者と出会い接続することで、おもしろいイメージを生んでいます。人間界を超えたところとつながっていくのは、自然豊かで神仏の伝承や妖怪話も多い島根という土地で生まれ育ったことと、関係があるのでしょうか。

加藤 あると思います。うちはとくに古い考えや言い伝えを大事にするほうで、家に蛇が出たら追い出したりなどせず、ちゃんとご案内したりしていました。自然のなかでいろんなものたちと共に生きているのが当たり前で、人間だけが偉いという発想はあまりなかった。そういう環境にいたことの影響は大きいはずです。

展示風景より
Photo by Yusuke Sato
Courtesy of Iwami Art Museum
©︎2025 Izumi Kato