パリから電車で北西に2時間強の場所にある港町、ル・アーヴル。セーヌ川が湾をつくり、大西洋にも広かれた土地は、1517年の設立以来、時代を刷新するクリエーションが培われてきた。まずは水運や造船業を発展させ交易の中心に、19世紀には印象派を代表する画家クロード・モネのゆかりの地となった。第二次世界大戦で破壊されたが、建築家オーギュスト・ペレにより再建された近代都市が世界遺産に登録されている。
2015年にはブラジル人建築家オスカー・ニーマイヤーによる真っ白い火山の形をした図書館が開館し、ランドマークとなっている。さらに2017年には同市の誕生500周年を記念し「A Summer in Le Havre」という公益事業を開始。アーティストに依頼した野外作品をまちなかに展示、一部をそのまま公共空間でコレクションし、近代文明の街を現代アートで更新させている。
都市型芸術文化政策では先輩のナント市で、アートディレクションをしていたジャン・ブレイズが仕掛け人だ。ル・アーヴルでも地域住民や観光客から広く支持され、初年度に200万人もの動員を記録した(日本人アーティストでは塩田千春が出展)。公的機関や経済関係者の支援を得て毎年夏のイベントとして定着し、前年度までに世界から20名以上のアーティストを招聘している。
構想
加藤がル・アーヴルに初めて訪れたのは、去年の11月だった。芸術監督のジャンさん、そのキュラトリアルチームと街を歩いて、19世紀に建てられた聖ヴァンサン=ド=ポール教会前広場のための作品を制作することが決まった。設置の時期は半年後の初夏にあたる。加藤は夏休みを待ちわびる子どものように、頭の中で緑々とした木と太陽の光を想像し、そこに溶け込む像を構想した。高さ7メートルに拡大することを前提に、デッサンと1メートル程の大きさの木彫の模型を用意し、ドイツの鋳造会社で制作することになった。
表現の根源にあるもの
街の歴史はあまり意識しなかったという加藤だが、世界を構成する万物を愛でてやまない画家が今回想ったのは先の印象派の表現だった。朝焼けのル・アーヴル港を描いた《印象、日の出》は1872年に32歳のモネが描き、その2年後の「第1回印象派展」に出品した絵だ。加藤がアーティスト活動に専念し始めた歳も30代で、自分にとっての絵の大切さがわかったという。モネの水面の描写が周囲の絶妙な光やその変化までを取り込んだように、加藤の「無題」もまた、周囲の木々や建物の色だけでなく、それらの四季の移り変わりが色のパターンとなり散りばめられているようでもあり、静的だが躍動感のある表現となっている。
タイトな制作期間のなか、砂型を使って一回限りの鋳造で像の下地を仕上げた。着彩は加藤本人だけで描きあげることとし、普段は素手やヘラなどを使うが、今回は屋外の恒久展示に耐えうる特殊な塗料を使う必要もあったため、日本から持ってきたいくつかの刷毛を利用した。高所作業台の操作は20代に就いていた工事現場の仕事で習得していたが、マティスが南仏のロザリオ礼拝堂内の壁面に巨大な人物像を描いたときのような持ち手の長い用具はなかったので、画面にごく近い距離から描きながら時々全体を確認するという工程を繰り返し、3日間で仕上げた。
ル・アーヴルに加藤が呼ばれたのは宿命だったと思われる。加藤はアール・ブリュットの影響を受けているが、名付け親のジャン・デュビュッフェはこの地で生まれている。画家・彫刻家で汎神論者でもあったデュビュッフェは「生の芸術」を志向し、西洋中心主義のアカデミックな美術を批判し、当初独学で絵を学びながら、一般的には使われてこなかった素材や手法を積極的に用いた。子供や精神病患者の作品も収集しながら生きるための根源的な芸術表現を分析し、また、自身の作品は60年代以降に巨大化している。
加藤にとっても描くことが生きる目的そのものとなり、今日も本能で描く。また、彫刻作品は絵を描き続けるための口実でもあり、いずれの作品にも物語を加えることはない。表している姿形は明確なのだが、鑑賞者には完全な解釈の自由が与えられている。例えば、今回のモニュメントでも、人型の像にスズメバチらしき昆虫が停まっているが、局部に位置しているので人の性別的特徴が隠されている。ここで人間と非人間の共存の姿を深掘りしようが、ハチにまつわる痛みのような感情を不快に思おうが、加藤は構わない。
西洋のキュレーターらから、加藤の名もなき作品群にアニミズムやトーテムポールを指摘されることがあるが、このモニュメンタルな《無題》もこれまでの作品同様に特定の信条や精霊を象徴していない。加藤の美学上に成り立った色面であり造形である。やや遠方から教会を発見したのちにこの作品を発見する際、《無題》はまるで周囲に擬態しながら生息している。この大きさになってもなお、見た人がどうとらえるかによる存在なのだ。
気になっていたのだが、加藤の描く人型の眼に瞼はなさそうで、立体作品では魚眼のように水晶体と瞳孔のような表現で半円球に飛び出ている。7メートルの彫像から飛び出ているそれはラピスラズリの真っ青さで、海中の光をもとらえる眼球というより地球そのものにも見える。画家にとって眼は世界をとらえるために重要な器官に違いなく、その誇大表現は絵画史や「見ること」の進化を考えさせる鏡なのか。趣味の釣りやマスクを扱う作品との相互関係もあるのかなどを、今度は聞いてみたい。
取材の最後に、マシューと名乗るル・アーヴル市民のひとりが雑談を続ける私たちに近づいて、私に言った──「数日前、これを設置しているのを遠くから見て気持ちが悪いと思ったけれど、今日ここに立ったのを見にきて感動しました、と伝えてくれますか?」
その日私が加藤にした数々の質問は不要なものだったようだ。大地に実際に根を張った加藤の作品は生の感動をもたらし、ル・アーヴルという街にすでに溶け込んでいるのだから。