2022.5.27

柴田敏雄と鈴木理策が語る、絵画と写真の魅力的な関係

東京・京橋のアーティゾン美術館では現在、石橋財団コレクションと現代美術家が共演する「ジャム・セッション」の第3弾となる展覧会「写真と絵画−セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策」が開催中だ。日本を代表するふたりの写真家は、それぞれが惹かれた絵画の数々とどのようなセッションを見せたのか。ふたりの語りとともに展覧会を振り返る。

聞き手=調文明

柴田敏雄と鈴木理策 撮影=中島良平
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──私が展示を見た最初の印象を先にお話させていただくと、今回は「ジャム・セッション」ということで、石橋財団のコレクションと現代作家の作品を並べるというかたちですが、「ジャム・セッション“ズ”」と複数形にしたくなるようなジャズ感がありました。コレクションと現代の作家のセッションだけでなく、鈴木さんと柴田さんのセッションでもある。また柴田さんの作品では、30年近く離れたモノクロとカラーの写真が普通に隣り合い、違和感なく並んでいるというセッションも見られます。

 あとはやはり写真と絵画のセッション。写真は絵画と並んだ瞬間、絵画のマチエールの強さゆえに──いい表現かどうかわかりませんが──少し“薄く”見えてしまう。その意味で写真と絵画を並べるのは写真の側としてはリスキーなはずですが、この展示では何の違和感もありません。このジャムセッションでは、おふたりが写真の隣に来る絵画をご自身で選んでいるということが、その理由のひとつかなと思いました。

 セザンヌと雪舟のセクションについては美術館側から最初にこの部屋を設け、セザンヌと雪舟の作品を中央に展示することが示されたそうですが、そのうえでおふたりがどうやって画家の作品を選んだのか、お聞かせください。

柴田 まず、いいなと思った絵画を選んだんです。制作年代とかそういうことを抜きにしてね。展示するコレクション作品を選んだ後に自分の写真を選びました。例えば最初の藤島武二のドローイング。これはもう絵画でしかできない表現ですよ。僕は写真をやっているから、じゃあ写真でしかできないような表現をあわせようと。それが始まりです。

──写真の大きさはどう考えましたか? 絵画はキャンバスの大きさに左右されますが、写真はいくらでも変えることができますよね。今回出品されている写真のサイズも、以前のものから展示に合わせて変えているのでしょうか?

柴田 だいたい僕の場合、写真の大きさは通常3種類ぐらいなんです。コンタクトプリントを入れて4種類。それを展示する状況によって変えています。今回も総合的に見て、サイズを変えました。

──絵の選定について、鈴木さんはいかがですか?

鈴木 選び方は僕も柴田さんと一緒で、自分の好きな作家を選びたいと考えました。絵と写真の組合せを厳密に考えたのではなく、緩やかに決めていった感じです。優柔不断と言われてしまうかもしれませんが、制作においては、後でどうなるかわからないという余地をつねに残しておきたいのです。

 僕は19世紀に写真が登場したことによって、絵画が写真の影響を受けたことにとても興味があり、セザンヌやクールベ、モネといった近代の画家たちに関心があります。だから写真の誕生と絵画の流れをベースとして、そこに写真がつながっていけば面白いかな、という意識で作品を選びました。

──クールベなんかはリアリズムみたいなイメージありますが、実際に絵を見ると、この「リアル」とはなんだろうと考えますよね

鈴木 そうですね。僕もそこにはすごく興味があります。クールベにとって「リアル」とはなんだったんだろうって。彼の頭の中で想像したイメージを描いている訳ですから、「写真のリアル」とは違うことなんですよね。そういうイメージが持つ物語、想像する広がりがつながっていけば面白いかなと思い、クールベ作品の壁を構成しました。

セクションⅠ「柴田敏雄──サンプリシテとアブストラクション」

──ではセクションごとにお聞きしたいと思いますセクションⅠは柴田さんですが、展示構成はどのようにして考えたのでしょうかギャラリーなどの展示ではどうしてもおおよそ同じ年の作品が並びますが、今回は違いますね。美術館の展示ならではで、時代を飛んだものが並んでいます。

柴田 展示の冒頭、僕の「撮影時のものの見方」みたいなものをコンタクトプリントのグリッドで表現しています。ものの形や色を大雑把に把握したところから撮影を始めます。グリッドがちょっとずれているのは、完璧なものにはしたくない、どこか破綻があるというか……例えばセザンヌの塗り残しの部分みたいなのありますよね。ああいうのがすごくいいんですよね。

セクションⅠ展示風景より 撮影=木奥惠三 提供=アーティゾン美術館

──今回面白いのは、写真をよく見るために絵画があるのではないということです。例えば「抽象」と一言で言っても、写真でもアブストラクト・フォトグラフィーがありますが、絵画の抽象と並ぶことでより鮮明になってくる。

柴田 僕はパンフォーカスで撮影していて、見え方としては通常の人間の視覚に近いのだと思います。それでも、写されているものが何か別のものに見えてくるっていうことが写真における「抽象」なんじゃないかなと思うんです。つまり、別の世界をつくっていくということ。

──近作が過去作と並んでも違和感がないのは柴田さんのなかで確固たる部分があるからですね。

柴田 そうですね。僕が写真を撮るにあたって心がけているのは、作品に骨格のようなものを持たせるということ。これがすごく重要なんです。とにかく正面にある対象物をそのまま写しながらも、違う空間、そういうものができればいいなと。

セクションⅠ展示風景より 撮影=木奥惠三 提供=アーティゾン美術館
セクションⅠ展示風景より 撮影=木奥惠三 提供=アーティゾン美術館

セクションⅡ「鈴木理策──見ることの現在/生まれ続ける世界」

──次いでセクションⅡは鈴木さんですね。

鈴木 僕は水面の写真を撮っていますが、モネは水面を描いた絵画のなかで、見る人の視線を動かすことを意識的に行っています。写真の場合、フォーカスをあわせる場所は1ヶ所だけですが、そこでどんなふうに視線誘導が起こるかは僕の関心事でもあります。そういう理由からモネを選びました。

鈴木理策 撮影=中島良平

 クールベの鹿の絵は鴻池さんの展覧会(ジャム・セッション「鴻池朋子 ちゅうがえり」展、2020)で展示されてるのを見て、魅力的に感じていたので、ぜひ選びたいと思っていました。クールベは写実主義の画家として扱われるけれど、それは歴史画との対比においての意味合いが強いですし、写真からの影響も大きかったと思うんです。クールベの絵の横に僕の写真を置くことで、時間や空間がつながってしまうような、ひとつながりのシーンとして視線を誘導できれば面白いのではないかと思いました。

セクションⅡ展示風景より 撮影=木奥惠三 提供=アーティゾン美術館

──セクションⅠ柴田さんの写真を見たうえで鈴木さんのセクションに入ると、同じ写真というメディアですが、柴田さんの写真はすごくインフォーカス=すべてにピントが合っている状態で、鈴木さんはアウトフォーカス=フォーカスが外れている部分がある。すごく対照的ですよね。大枠は「風景写真」でくくられますが、アウトプットがまったく違う違うけれども、展示で並ぶと、すごく両者が引き立つような展示構成になっているなと感じます。鈴木さんのアウトフォーカスは人間の視線の揺らぎみたいなものを表しているのでしょうか?

鈴木 そうですね。人間は全体を見ることはできず、部分的にしか見ることができない。つねに断片を頭でつなぎ合わせている訳で、見る中で生成されるということを写真を通して想起させたいところがあります。柴田さんと僕とは写真に求めることや、撮影の方法が異なりますが、今回展示に向けていろいろなお話を伺うなかで、共通する部分がいろいろとあることに気付きました。例えば、柴田さんは絞りを決めて、絵画を描くように対象と向き合うんだけど、そこまでしかやらない──と言うと変だけど、水の流れがどう映るかとか、そういったことはシャッタースピードの成り行きに任せているところがある。そこがすごく面白いなと思いました。

セクションⅡ展示風景より 撮影=木奥惠三 提供=アーティゾン美術館

──展示の流れとは脱線しますが、お互いフォーカスというルールをどう思ってらっしゃるのか、せっかくの機会なので伺ってみたいです。柴田さんはどこかのインタビューでピント外すことへの違和感、みたいなお話をされていましたよね

柴田 僕がパンフォーカスを意識したのはちょうど70年代かな。僕が絵を描いていた頃、ハイパーリアリズムが流行っているのをニューヨークの知り合いから聞いて、自分でもやってみたんですよね。最初は雑誌の切り抜きを描いて、そのうち自分の撮った写真を絵にしようとしたらボケがあるんですよね。でも自分はボケはうまく描けなかったから。

 その後、ベルギー留学時代にエドワード・ウェストンがピーマンを写した写真を見たのですが、「これは何だ」と思うぐらいにピントが合ってたんです。それが自然に見えた。ウェストンの日記を読むと、40分ぐらい暗闇の中で露光して、じわっと形が浮き上がってくる、というようなことをやっているんですね。自分の目指す写真はこういうものなのかなって。

 だからさっき鈴木さんが言ってくれたように、僕はまず絞りを決めて、あとは露光の秒数だけなんです。それはそのときの状態、明るさによって自然に決まってくるもので。それが自分にとっての写真のコンセプトのひとつなのかなと思います。それが結果的にどうでるかは想像できないですが、それでいいと思っています。

柴田敏雄 撮影=中島良平

──写真は最終的には機械に任せる、という性質があります。

柴田 あえて委ねるというかね。絵だと全部を自分で描かないといけないですが、写真の場合そうではなく機械を通して、状況によってできてくるもの。そういう意味では絵とずいぶん違いますよね。

──鈴木さんのセクションⅡは「連作」がキーなのかなと思います。アウトフォーカスは1枚だけだと視線の揺らぎを表すのは少し難しいですが、それが23枚と連なり、ピントも変わることによって視線の揺らぎを生み出す構造のつくり方なのかなと

鈴木 そうですね、撮影のときの自分の振る舞いが再現されていくんですね。プリントも大きいですし、フォーカスが合っている場所が浅くなっていることもポイントです。人はピントが合ってないところを見せられると他を探す癖があり、フォーカスが合っている場所を見つけると安心するところがある。そういった見ることの装置として作品を制作しているところがありますね。

──静止画だけども見る側が自分でピントを調整すると

鈴木 見た瞬間に何がどう撮られたかがわかると、すぐに見終えてしまう。むしろ手間取らせたいんです。

鈴木理策 撮影=中島良平

セクションⅢ「ポール・セザンヌ」

──セクションⅢが本展タイトルにもあるセザンヌとの邂逅ですね。今回の展示では後半に入る前のすごくいいターニングポイントだという印象を受けました

セクションⅢ展示風景より 撮影=木奥惠三 提供=アーティゾン美術館
セクションⅢ展示風景より、右から柴田敏雄《神奈川県愛甲郡清川村宮ヶ瀬》(1983)、ポール・セザンヌ《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》(1904-1906頃》、鈴木理策《サンサシオン 09, C-58》(2009) 撮影=木奥惠三 提供=アーティゾン美術館

柴田 ここが展覧会の本丸かもしれないですね。セザンヌを中央にして鈴木さんと僕が並ぶので。鈴木さんもですが、今回選んだ絵画の作品はセザンヌの影響を受けた作家のものが多い。雪舟の場合は別ですけど、見方によってはセザンヌと共通点があるとは言われてますしね。僕がセザンヌの影響を未だに受けている部分は、やはり遠近法の使い方ですね。

 あと僕も風景と向かい合うとき、静物を撮るような感覚で撮るんです。ベルギーから帰国した当初は夜の風景ばかり、光が当たっているところを静物のように撮ることに集中していましたね。

セクションⅢ展示風景より 撮影=木奥惠三 提供=アーティゾン美術館

──その対面の壁には鈴木さんが撮影したセザンヌのアトリエの作品があります。鈴木さんはフレームをグレーで統一していますが、どういう意図があるのでしょう?

鈴木 セザンヌのアトリエに行ったとき、壁のグレーがすごく印象的だったからです。今回のフレームもそのグレーと同じ色を目指してつくってもらいました。セザンヌのアトリエはもうそこにいるだけで嬉しい、みたいな感覚があるんですよね。ふと視線を移したとき、もしかしたらセザンヌ先生にもこの視線があったのかもと思うと、何か盛り上がるんですよ。

──ここではフォーカスの手前をぼかすかたちで、視線的な感じがしますね。

鈴木 セザンヌは時代が移り変わるなかで遠近法といったルールに則る描きかたを手放していきました。対して写真は自動的で、受験のための石膏デッサンみたいなものだと思うんですけど、そこにいかに抗うかという気持ちが、手前からなめて撮るということにつながっています。もはや僕の癖ですね。

セクションⅢ展示風景より 撮影=木奥惠三 提供=アーティゾン美術館

セクションⅣ「柴田敏雄──ディメンション、フォルムとイマジネーション」

──セクションⅣはセクションⅢの柴田さんの赤い橋からつながるかたちで始まっていくのですが、注目すべきは円空の木彫ですね。縦構図の写真が多く並んでいるのも特徴的です。

柴田 風景で縦構図というのはなかなか難しいんですね。『ダム』という写真集をつくったときに縦構図でやろうとなったのですが、どうしても撮れなくて、結局は縦横混ぜた写真集になった。縦は自分の中で意識はしていて、縦でないと収まりが悪いものがあるし、だんだん撮れるようになった。

 今回は円空があり、それに呼応するかたちです。円空は12万体もの仏像をつくった圧倒的に宗教的なものなんだけれども、僕にそういう意識はないんですね。僕は砂防ダムが好きでよく撮っているんだけど、人の形に見えたりもする。そういう想像力みたいなものを持って円空仏を見てほしいなと思うんです。円空仏は後から見てもすごい迫力があるんですね。今回は円空の周囲に僕の写真があるという構成にさせていただいたんですけど、ものを見るときに表面だけ、あるいは名目だけを頼るのではなく、違う想像力を働かせてほしい。そうすればまた違う見方ができるんじゃないでしょうか。

柴田敏雄 撮影=中島良平
セクションⅣ展示風景より 撮影=木奥惠三 提供=アーティゾン美術館
セクションⅣ展示風景より 撮影=木奥惠三 提供=アーティゾン美術館

セクションⅤ「鈴木理策──絵画を生きたものにすること/交わらない視線」

──セクションⅤはボナールとミラーポートレートです。

鈴木 ボナールの《ヴェルノン付近の風景》は何か越しに向こう側に抜ける構図が面白いですね。見るたびに新しい発見がある作品だし、そういう写真が撮りたいと思ってるところがあったので、以前撮影した写真の中から似たイメージを探して並べました。グリッド状にした作品は、もちろん一点ずつで見ることも可能ですが、シークエンスとして並べることで、見え方の変化や動きが起こればいいと思いました。

セクションⅤ展示風景より 撮影=木奥惠三 提供=アーティゾン美術館
セクションⅤ展示風景より 撮影=木奥惠三 提供=アーティゾン美術館

──視線のプラクティスみたいなことですね

鈴木 そうですね。あとは美術館からのお題で新作をということがあったので、いままでにやったことがない静物をやってみようと。セザンヌの流れでリンゴを撮ってみましたが、リンゴの写真を撮るとリンゴをそこに置いた僕が「写る」じゃないですか。でもそれって恥ずかしいんですよね。僕の意識が現れていて。

 いっぽうで木になっているリンゴを撮るときというのは、「出会って撮ってる」んですよね。すごくわくわくしてどんどん撮ってしまうけど、静物となると緊張してしまって……今回はそれをあえて出してみて、いわゆる絵画と写真の違いを自分なりに露呈させたいと思いました。絵画の場合は、そこに物があるということ、その存在を画家が確かめようとしたことを強く感じます。写真の場合はそうはいかない。改めて発見があり、面白かったですね。

セクションⅤ展示風景より 撮影=木奥惠三 提供=アーティゾン美術館
セクションⅤ展示風景より 撮影=木奥惠三 提供=アーティゾン美術館

セクションⅥ「雪舟」

──展示の最後は雪舟ですね。ここのスペースはセザンヌ以来、おふたりの共演となっていますね。

セクションⅥ展示風景より、左から柴田敏雄《グランドクーリーダム、ダグラス郡(ワシントン州)》(1996)、雪舟《四季山水図》(室町時代、15世紀)、鈴木理策《White 07,H-17》《White 07,H-18》(ともに2007) 撮影=木奥惠三 提供=アーティゾン美術館

柴田 雪舟を前にして、どうしようかなと色々考えたんです。水墨画は中国から来たもの、つまり海外の文化ですよね。そのつながりから、僕はアメリカで撮った3点を並べました。ダムの写真なのですが、上から見下ろしている構図なのですが、これを見て空だと言う人もいますね。すごく単純な構造で、上部にあるのは泡なんですが、ちょうどこの形が山水画における「上り龍」みたいにとらえることもできます。

セクションⅥを見る柴田敏雄と鈴木理策 撮影=中島良平

──まさに見立てですね。鈴木さんはここでは雪原を展示されています。

鈴木 最初は《四季山水図》に描かれてる人の視線から見た春夏秋冬の写真を4枚出してみようと思ったのですが、この雪舟の豊かさには全く敵わないわけです。写真の「情報」としてだけの機能が働いてしまうから。そこで考え方を変えて、雪の写真にしたのです。この写真では一番明るい(ハイライト)部分は印画紙の白とイメージの白が区別できなくなるくらいまで攻めたいという目標があったので、空間そのものを描いてる水墨の絵と響き合うんじゃないかなと。

 あと《四季山水図》は過去も未来もすべての時間を含んでいるように感じたので、それに対しては、うつろう陽射しの写真を並べて、すごく短い時間の幅をぶつけてみたいと思いました。

セクションⅥを見る柴田敏雄と鈴木理策 撮影=中島良平

絵画と並べることで見えた写真の魅力

──最後に、今回の展示を通して写真と絵画の関係性についていま思うことをお伺いできればと思います。

柴田 僕は写真をメディアとしているわけですが、写真はやはり写真の文脈で語られるんですね。でも自分はそれだけだと収まりきらないと思うところがあります。かといって絵画でもないし、いつも写真と絵画の間に挟まれている感覚がある。でも今回はようやく、美術館のコレクションと一緒にごく自然なかたちで展示する機会を与えていただいたのでとても嬉しいです。

鈴木 写真が生まれたときから絵画との比較はつねに起こっていて、その歴史がずっと続いてきましたが、現代ではスマホでとらえるイメージの即時性が生活の中にすっかり染み込んでいて、絵画との距離はすいぶん離れてしまったようにも思えます。でも今回の展示を通して、絵画を見るように写真を見たとき、写真の魅力はまだまだあるんだな、並んでも負けてないなと強く思いました。すごく貴重な機会だったと思ってます。ぜひとも写真やってる人は見てもらいたいですね。

柴田 絵画の側から見て「写真ってうらやましいな」と思ってもらえたらいいね(笑)。

柴田敏雄と鈴木理策 撮影=中島良平