ひとりの女優の“ある変化”を追ったドキュメンタリー映画を発表。山本卓卓が語る「演劇ではできないこと」とは?【2/2ページ】

なぜ“痩せる”がテーマだったのか

──なるほど、となるとそれはさらにテーマが複雑になりますね。脂肪なんてみんな隠し持ってますし。でもなぜそもそも“痩せる”ってことに注目したんですか? 女性の監督ならそうなったのもわかる気がしますが。

 僕、もともとすごく肥満児だったんですよ。だから、他人事じゃないんですよね。太っていたのは小学生のときで、思春期になったら自然に痩せたんですけど、ここ4〜5年くらいでまた太ってきた。痩せなきゃと思って、走ったり筋肉鍛えたり、必死になっていたときに、ある日突然「何だろうな、これは」と思った。自分が痩せようとしてるのか、強迫観念で痩せさせられているのかもしれないとか。やっぱりみんなカッコいい人が好きじゃないですか。だとすると自分はカッコいい人になろうとしてるのか?とか。

 例えば、人が大人になるときって、「大人になりなさい」って世間に言われてなったんじゃないかっていう疑問があるんです。「成人したらこういう考え方を捨てなさい」「ワガママを言うのは子供です」とか、あれはダメそれはやめなさいっていう教育、つまり「世間の目」で大人にさせられたのかなって。そうやって社会が理想とする大人像とか、日本社会が望む「日本男児」にさせられたのかな、と思ってしまう。

──痩せようとする自分に対して、社会が求めている型に自分をはめようとしているんじゃないか、という疑問が芽生えたと。

 そうです。巷にあふれているものに対する素朴な疑問。それについて考えたいんでしょうね。撮っていけば考えていけるし、起こる出来事に発見があるだろうし。映画とか芸術をつくるのは、だから考えるための口実なのかなって思ったりします。

山本卓卓 撮影=小林真梨子

演劇の時間、映画の時間

──映画の先に上演があるという構想にしたのはどうしてですか?

 演劇と映画の時間の扱い方の違いがすごく面白くて、それで途中からそういう設定にしたんです。演劇って1年かけてつくったとしても、1年間のプロセスは見せられないんですよ。映画はそれができる。時間切り取って、1年間のプロセスを、ちゃんとヴィジュアルで見せていけるんです。痩せていく過程なんて、ましてや演劇では見せられないじゃないですか。例えば「1年上演します」みたいな演劇は無理ですよね。観客を1年なんて拘束できないから。だから、その時間の表現の違いっていうのが、いま僕の中ですごく楽しい。

──変化の経過を見せるっていうことで言うと、多田淳之介さんの『再/生』がありますね。踊り続ける反復によって、身体が疲弊していく課程が1時間くらいのなかで見えてくる。この『Changes』はある意味、その1年バージョンということですか?

 演劇の場合は、物語の中で「10年後」っていうのが嘘で成立しますよね。歳を取ったということを、背骨を曲げたりとか、安直にそういう嘘で見せることができる。でも映画なら実際の10年後を見せることも可能です。リチャード・リンクレイターの映画『6才のボクが、大人になるまで。』はまさにそれで、6歳の少年が20歳になるまでの14年間を映画で撮ってますけど、これって演劇では到底無理。6歳の少年と20歳の青年をマジックのように入れ替える、みたいなやり方でしか表現できない。演劇の表現の「ここまでしかできない」っていうのと、「でもここから先がやりたい」っていう自分の気持ちとの折り合いの先に、映画がちょうどよくスポッて入ってくれた。これは演劇ではできないな、と悔しがってたことができるじゃないかって。

──悔しいな、できないなって思ったことが実際しょっちゅうあったんですか?

 ありました。「ここで嘘つかなきゃいけない、悔しい」っていうのもあるし、「このプロセスが面白いのに」って思ったりもするんですよ。演劇をつくっているプロセスすらも。

──稽古で作品は変化しますものね。

 そうそう。でもそれを作品に還元するのは演劇じゃ無理だなとかね。

山本卓卓 撮影=小林真梨子

──映画では時間をかけて過程を追えるということですね。では、役者さんのほうから“演じる”ような場面はあるんですか?

 あります、あります。

──それは本人を演じるということになりますか?

 そういうときもありますね。例えば、彼女がインタビューのなかで、彼女の過去の話をしたりしますよね。昔こんな嫌なことがあって、電車でデブって言われた、という話をするとしたら、その再現を撮る。過去を追体験させるというよりそれは、フィクションであり再現である。僕たちのなかでは再現=フィクションなんですけど。

──なるほど、では日常のシーンはどうやって選んで撮ったんですか?

 日常の部分は、例えば今日は料理するシーンを撮りましょうって、スタッフとは打ち合わせしまくるんですけど、彼女にいっさいそれを知らせないんです。何も知らずにほとんどゼロの状態で撮影場所に来てもらう。そうすると考えてもしょうがないので、そのときの反応で動物的になるしかないじゃないですか。

──じゃあそれは少しフィクションの入った日常あるいは現実ですね。

 そうです。僕たち自身も撮りながら、現実とドキュメンタリーの境界がつねに曖昧で、これは何なんだろうってなってきました。

──なるほど。ドキュメンタリーだけど現実を構築しているドキュメンタリーということでしょうか。かといって劇映画でもない。現実とフィクションがわからなくなりそう。“痩せる”ということに対する価値観も違って見えてきます。これまで見たことがない映画な気がしますね。

 僕も映画好きなはずなんだけど、なんでこんなところに来たんだろうと思ってます(笑)。劇のフラストレーションがあったんでしょうね。僕、じつは、演劇でこれができる、っていうものは提供してきたつもりなんです。その自負はあって。でもそれって同時に、演劇にできないことは何か考えることでもあったので、映画では、演劇で絶対できないところをやってみたかった。

──山本さんがどんな映画を撮るのか全然想像がつかなかったのですが、よくよく聞いたらとても山本さんっぽいですね。形式としてはこれまでの演劇とも全然違うのに、山本さんらしい作品が見られそうですね。

 そうですね、すごく僕っぽい作品だと思います(笑)。

 

*1──山本卓卓によるソロプロジェクト。大掛かりな仕掛けや装飾を極限まで排除し、ひとりの人間の機微に焦点を当てた作品を制作している。本作『Changes』もドキュントメントの新作として発表される。

編集部

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