「とんでもなくチャーミングだった」──『Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto』監督が語る、坂本龍一と1980年代の東京【2/3ページ】

なぜ「Tokyo」だったのか

──この映画では、坂本龍一の姿だけでなく、当時の東京の風景が強く印象に残ります。都市のカットにはどのような意図があったのでしょうか?

レナード 私は写真家として、ひとりで都市を歩き回り撮影することに慣れています。ニューヨークをはじめ、これまで様々な都市を撮影してきました。

 映画のなかには、建設現場の反射が十字架のように見えるカットがあります。これは、私が以前撮影した写真を思い起こさせるものでした。また、児童公園に初期のコンピュータのような遊具があったり、宇宙船のカプセルのようなものがあったりするのも、とても象徴的でした。

 公園で踊るダンサーたちの姿も印象的です。私が育った1960年代のバークレーにも公園で踊る人たちがいましたが、日本の80年代のダンサーたち(注:竹の子族などのこと)は皆、同じような踊り方をしていた。いっぽう、アメリカでは一人ひとりがまったく違う踊りをしていた。その違いが面白かったですね。

『Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto』より

──映像と音楽の結びつきが非常に強い編集スタイルも特徴的です。編集についての考えを教えてください。

レナード 編集はフランスで行い、日本人編集者の鈴木マキコさんに手伝ってもらいました。構成は、いわゆるリニアなものではなく、非リニアなものです。ある映画祭で「この映画にはいくつものエンディングがあるね」と言われました。坂本さん自身が映画のなかで非リニアな時間や音楽について語っていますが、この映画自体も同じようなステートメントになっていると思います。

 もともとはフランスの実験的テレビ局のために制作されたので、ドキュメンタリーの定型に従う必要がなかったというのもあります。私はUCLAの映画学校を途中で辞めていますが、それもハリウッド的なフォーマットに従うことに違和感があったからです。この作品では自由に編集することができました。

編集部