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INTERVIEW - 2019.12.21

植物と人間の交錯があらわにする無意識の選別。平子雄一インタビュー

植物と人間の関係性への疑問から、ペインティングを中心にドローイングや彫刻、インスタレーション、サウンドパフォーマンスなど、多岐にわたるメディアで作品を発表してきた平子雄一。12月21日より始まる新作個展『Memories』では、平子自身の記録から制作した新シリーズ「Perennial」も発表する。平子のアトリエにて、探求を続けてきたテーマや作品制作の手つきについて聞いた。

聞き手・構成=編集部

平子雄一、東京・練馬区のアトリエにて
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「植物と人間の関係」を追求し続ける

──平子さんはこれまで、「植物と人間の関係」を大きなテーマとして扱い、アクリルのペイント作品を中心に作品を制作してきました。高校卒業後すぐに渡英し、ロンドン芸術大学のウィンブルドン・カレッジ・オブ・アーツで学ばれましたが、その過程で「植物と人間の関係」が平子さんのなかでどのように重要なテーマとなっていったのか、まずはそこから教えていただければと思います。

 在学中はいろんなことを試していたので、ピンポイントでテーマが決まることはなかなかありませんでした。最後の卒業制作のためにつくっていたドローイングのひとつに、植物と人工物を重ねた風景を描いたものがありました。このドローイングを掘り下げるなかで、植物と人間というテーマにおもしろさを感じるようになったんです。

 僕は岡山県の地方の出身で、身のまわりにたくさんの自然がある環境で生まれ育ちましたが、高校を卒業してから渡英し、ロンドンという大都会に移り住みました。ロンドンには広大な公園が多くあって、週末にはたくさんの人が訪れます。ある日公園を訪れたとき、人々が「自然って良いよね」と話をしているのを耳にして、大きな違和感を覚えました。僕自身の自然に対する認識と、その人たちの持つ認識が、明らかに違うと感じたんです。以来、どうして人はそこまで自然を求めるのか、都市の生活のなかで自然を求める感覚とはいったいなんなのか、と問うようになります。

 都市では、公園をはじめ、植物をキープしコントロールしないと景観が継続できない場所をつくります。都市の中に自然が存在しているのですが、いっぽうでそれは人為的にコントロールしないと手に入らないという構造に、大きな違和感と興味を持ったんです。

 学校では、自分の生い立ちや、イギリスという異文化圏に修学場所があるということを、もっと考えた方がいいと言われていました。考えを深めるなかで、自然が多い田舎で育った日本人の自分と、海外の大都市にある大学で美術を学ぶ日本人の自分という、そのふたつの要素が組み合わさったときにできるものがあると気がついたんです。卒業制作においてはセルフカウンセリングのように、自分の経験を見つめ直すことを繰り返し、結果的に、自然と人工物の組み合わせを描いた、鉛筆による細密なドローイング作品ができあがりました。

平子雄一 Perennial 26.Mar, 2019 キャンバスとアクリル 116.7cmx 91cm (C)Yuichi Hirako Courtesy of the artist and WAITINGROOM

──卒業制作は鉛筆によるドローイングだったとのことですが、現在の平子さんの作品のなかで大きな比重を持つのはアクリルペイントの作品です。ペイントに取り組むようになったのはなにかきっかけがあったのですか?

 日本に帰国後、自分の作品が感覚的にはフォービズムの絵画に近いことに気がつき、色味が必要ではないかと考えるようになったんです。また、サイズについてもダイナミックに、大きくつくりたいという欲求が出てきました。ペインティングに移行していく段階で「植物と人間の関係」というテーマも拡張しており、そのスケール感と作品のスケールが連動したのかもしれません。

──アトリエの壁に、大きなキャンバスを直接画鋲で止めて描くのも、平子さんが意図するスケール感の表現と関係しているように感じられます。

 キャンバスを壁面に貼って描くことで、筆に圧がかけられるんですよね。木枠にキャンバスを貼ってから描くと弾力を持ってしまって、それがあまり好きじゃないんです。使用するブラシも多種を使い分けていて、なかには強く押しつけて描くものも結構ありますし、その場合は毛先をカットした強いものを使用します。

 この方法を選んでいるのは、たしかにスケール感も関連している気がします。木枠に貼って描けるところの限界が見えてしまっていると、その範囲内に描かなくてはいけない気がしますし、かっちりしすぎて「製品」に近くなるようにも感じます。壁に貼れば勢いをつけられるし、木枠に貼った時に側面に絵が回り込むのも好きなので、あえてキャンバスからはみ出しながら描いています。そっちのほうが楽しいですしね。

平子雄一のアトリエにて、絵筆と絵具

──ドローイングからペインティングへと制作の幅が広がっていったとのことですが、2013年ごろから立体作品にも積極的に取り組んでいますね。

 絵は僕にとってすごく楽しいメディアで、一対一で対峙しながら描きあげることができ、テクニックもプロセスもよくわかっている媒体です。ただ、客観的に鑑賞者として見たときに、絵画だけではその世界に入り込めないことも起こり得るのではないかと考えました。自分でその制限をつくってしまっているのかもしれない、ということですね。

 二次元の限界というのはやはり存在していて、触れないですし、描かれていることが壁の向こうのことのように感じてしまう可能性があります。僕の絵画は具象だし、奥行きが存在する絵画なので、自分がいる世界との隔たりが簡単に生まれてしまうんです。二次元の作品とともに三次元の作品があることで、作品のコンセプトから逃げられない空間をつくってしまうのはおもしろいと思い、立体作品に取り組むようになりました。

──立体の制作を経験したことで、絵画作品への影響はありましたか?

 いい立体をつくると、それに勝る絵画をつくらなければいけないので、自分のなかでコンペティションが生まれます。絵画と立体、双方の表現を豊かにしていると思いますが、立体制作によって空間への認識に強く意識が向いてしまう自分もいて、立体のあとにペインティングを実施するときは、空間認識やパースを意識的に崩すようにはしています。

平子雄一のアトリエにて、立体作品

──パステルを使用したドローイングの作品も制作されていますが、ペイント作品や立体作品とはまた異なった自由な印象を受けます。

 パステルの場合はもっと無心でつくっていますね。ほぼ手だけで机上のスペースでつくれるので、自分のなかではすごく原初的な動きによる、落書きに近いようなものです。コンセプトとしては一番、自分らしさが出ているかもしれません。

──絵画作品の場合、制作の過程で即興的に要素や展開を加えていくのでしょうか?

 制作しながら、壺や本といったキーとなるアイテムが自分の頭のなかに増えていきます。それらを即興で組み合わせ、隣りあう色が一番心地いいところを探求していくんです。実験的にそれらを置いてみて、ダメだったら消すことも多いです。僕の場合、構想だけではなく、キャンバスや紙の上で手を動かしている過程で起こるおもしろいことがないと、いい作品にならない。絵を描くことそのものを楽しめないと、いい絵にならないんです。

──平子さんの絵に登場したり、立体作品のモチーフになったりしている、植物と人間が組み合わさったような興味深い人物、これはどのような存在だととらえればいいのでしょう?

 植物と人間というテーマで制作を始めた当初は、植物と建造物の組み合わせを描いていたのですが、それだとただ状況を描ているだけなのではないか、と考えるようになりました。僕がおもしろいと思っているのは、人間の植物や自然に対する行動です。

 ブラジルのアマゾンの熱帯林がどんどん焼かれていて、そこには経済的に豊かになるために地下資源を採掘しようとする資本の原理が大きく関わっています。いっぽうで自然を守りたいという意識も多くの人が当然持っている。人の行動によって、植物の扱われ方が変わっていくし、それに応じて関係もどんどん変わっていく。つまり、人がいるから自然との関係が生まれるわけです。これが一番掘り下げていきたいところで、この関係性を象徴する登場人物として「彼」が必要となりました。

 ただ「彼」は登場人物であると同時に、あくまで世界の一部であってほしいんです。よく、「彼」は僕自身の象徴ではないかと聞かれます。もちろんそうでもあるのですが、同時に鑑賞するみなさんでもあると僕は思います。

「Memories」(WAITINGROOM、2019-20)の展示風景

──壺も、平子さんがよく描かれるモチーフですね。

 壺はかたちとしてのおもしろさもあるのですが、植物を入れて延命させ、美を継続させる装置としての側面もあります。美に引きずられた人間が、行為の残酷さを忘れていることを象徴しているようで、すごくおもしろい存在だと気がつきました。歴史のなかで壺自体に装飾性が生まれましたが、人間で例えると人工呼吸器に花柄をつけたりとか、チューブをピンクにしたりとかしているようで、奇妙なことですよね。

──作品に多くの色を使用されている印象がありますが、色についてのこだわりはありますか?

 絵画の景色のなかで色をつなげていくために、筆をあまり洗わないようにしています。水も、1枚を描ききるまで変えないほうが、全体でまとまったトーンになります。イラストに近づいてしまうのが一番怖いんですよね。パレットも、売っているなかで一番大きいサイズのタッパーを使っていて、描いているうちに混ざり合い、1色になっていきます。

 僕は、佐伯祐三の明るくなりすぎない絶妙な色使いが好きで、制作において意識しているところがあります。佐伯の描くパリは混沌としていて、文字が汚いくらいに描いてある。それが、人の営みと歴史、そしてヨーロッパ特有のどんよりとした空気感を出していて、高校時代から惹かれていました。

平子雄一のアトリエにて、パレットとして使用するタッパー

──佐伯祐三のほかに影響を受けたアーティストはいますか?

 現代美術のアーティストになってしまいますが、オラファー・エリアソンでしょうかね。テート・モダンのタービン・ホールで展示されていた《Little Sun》(2013)。人工の太陽に自然を感じてくつろぐ人たちがいるあの空間を見たときに、作品の力を感じました。あの世界観を構築できるのは本当にすごい。自分が植物や自然について考えてきたこともそこにリンクしたのかもしれません。

──海外での展覧会も積極的に開催されていて、国外のコレクターも多いと思うのですが、各国のコレクターさんからはどのような反応があるのでしょうか。

 アジア圏の日本、台湾、韓国のお客さんは、まずキャラクター的な視点から入ってこられる方が多いですね。アイコンが強い絵は響きやすいようです。いっぽうでドイツのギャラリストと話したときは、情報として強すぎると言われましたね。キャラクターという異物が作品のなかに存在することに対しての抵抗感だと思います。

 ヨーロッパでも北欧やオランダは他の各国とは反応が違う感じがしますね。北欧圏は神話の伝承があったり、オランダもミッフィーをはじめキャラクター文化が根付いている。キャラクターが展示されているということは、現実的ではないものが社会に出てくるわけで、ある種の「エグさ」があるとも言えますよね。オランダなどは性をはじめ、様々なことにオープンだし、そういう考え方があったから受け入れられやすかったのかなと思います。

無意識のなかの自然、無意識の選別と選択

──12月21日から東京・江戸川橋のWAITINGROOMで始まる個展「Memories」について伺います。個展では、ホワイトキューブ全体で自分が表現したいことを考えると思うのですが、今回の展覧会ではどういった全体像をイメージし、どのようなことを提起しようとしましたか?

 今回は自分がまだ表現したことのない領域に手を出したいと思い、ストックしてきた問いのひとつである「認識していない、無意識のなかの植物と自然」をテーマに「Memories」というタイトルにしました。

 この展覧会では「Perennial」という新作シリーズを発表します。無意識のうちに通り過ぎていて、思い返せばあったな、くらいの植物や自然を扱いたいと考えました。例えば、表参道の街路樹のディティールって、存在していることは知っているけれど、はっきりと記憶しているわけではないですよね。

 今回、そういった植物を扱うための道具として、自分の撮ったスマートフォンの写真を使用することにしたんです。無意識のうちに植物が写っている写真、例えば背景にある畑だとか、親戚の結婚式に行ったときの庭園だとか、3年ほど遡ってそういったものをカウントしたら、意識して撮ったものを除いた1割強くらいに写り込んでいました。そのなかから写真をピックアップし、イメージを拡張させて制作したわけです。

 また、そうやって積み上がっていく記憶の象徴としての櫓のようなものをギャラリーの中心に配置して、その周囲には四季を通じた様々な記憶が続いていくように作品を展示します。シリーズ名の《Perennial》というのは「多年草」という意味ですが、継続して続いていく世界や人との関係性、そして自分の人生が続いていくという意味も込めました。

「Memories」(WAITINGROOM、2019-20)の展示風景

──「Perennial」は新しいシリーズということで、苦労した点もあるのではないでしょうか。

 写真というしっかりとしたビジュアルを絵に落とし込む難しさはありました。1枚の写真だと、絵にするための情報量が少なすぎるんです。写真から読み取れるビジュアルを増やすことは難しいので、関連する要素やキーワードを増やしたりします。これまでは拡張した多くの要素のなかから選んで描くことが多かったのですが、今回は要素が少ないところから拡張して描く必要があり、新しいチャレンジとなりました。

──個人的な写真をもとに制作した「Perennial」ですが、ご自身のパーソナルな部分と作品制作が接続することによって、新たに発見することもありそうですね。

 僕の作品は「ファンタジックですね」と言われることもあるのですが、テーマもコンセプトも、現実に起こっていることから抽出して組み合わせているので、自分ではまったくそういう意識がないんです。今回の作業で、改めて自分は現実に沿ったテーマで作品をつくっているんだなと認識できました。

 僕の作品にはビジュアル的に強い世界ができあがっているので、現実の世界ではないものが描かれているような感覚を持つ人もいると思うのですが、僕はみなさんの周りで起こっていることを再認識してほしいと思って描いています。今回は、それを少し異なるアプローチで試みられたと思います。

──10代のスウェーデン人環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんが世界各国のメディアに露出するような状況をはじめ、環境問題が時代のトピックとして叫ばれています。そういった社会の状況と、平子さんが扱う植物と人間というテーマは無関係ではないと思いますが、平子さんはどのようにとらえているのでしょうか?

  前提として、植物や自然に対し、国家から個人に至るまで、無意識かつ合理的な判断に基づいて行動していることはたくさんありますよね。例えば、いらない植物は廃棄し、必要な植物はキープする。いらない森の木は切って、必要な木は森として保持する。そういった選別が自分たちのなかに常に存在していることを、多くの人は認識していないと思います。

 僕は作品を通じて、人や社会が無意識に対象を選別しているということに意識を向けてほしいと思っています。環境問題については、今後人々の態度がシビアになっていくのか、あるいは考えるのをやめて市場原理に基づいて自然を淘汰していくのか、僕はどちらの可能性もあると思いますが、まずはそこに人間による何かしらの選別が存在することを認識することが重要ではないでしょうか?

──以上のような提案も踏まえて、今後挑戦したい表現はありますか?

 条件がそろえばですが、モキュメンタリー(フェイク・ドキュメンタリー)の映像作品をつくりたいと思っています。四国で、質の良い大木を求めた材木業者が夜間に神木を薬剤で枯らし、回収してしまうという事件がありました。この事件における、神殺しともいえる神木を枯らすという所業と、資本主義の要請という興味深いストーリーを拡張して、ドキュメンタリータッチで作品をつくれないかと思っています。状況と人によって自然の扱い方がまったく違うということについて、もう少し現実的な表現に挑戦してみてもいいのかもしれません。

Perennial 15.Jul, 2019 キャンバスにアクリル 162cm x 130cm (C)Yuichi Hirako Courtesy of the artist and WAITINGROOM