INTERVIEW - 2019.7.12

タイムベースドメディアを根づかせるために。WAITINGROOM代表・芦川朋子インタビュー

2009年に自宅の一室から始まったギャラリーWAITINGROOM。現在は東京都文京区に場所を移し、多様なメディアを横断する、最新鋭のコンテンポラリーアートを紹介することを目的に運営している。三宅砂織、中原昌也、エキソニモ、川辺ナホといった独自の視点で世界をとらえる中堅アーティストや、飯山由貴、川内理香子、平子雄一、大久保紗也など強固なコンセプトを多角的に表現する若手を取り扱っている。ニューヨーク時代に芦川が興味を掻き立てられたタイムベースドメディアを、日本のマーケットでどのように紹介するのか、これまでの取り組みと見据える先を聞いた。

撮影=手塚棗

ギャラリー玄関に立つ芦川朋子

ーーWAITINGROOMというギャラリー名の由来を教えてください。

 WAITINGROOMは、2009年に三軒茶屋の自宅の一角で始まりました。インターホンを押して玄関で靴を脱ぐ、居住空間を使ったギャラリーです。コレクター、ギャラリスト、作品、それぞれの距離が必然的に近づき出会える場所という意味で「待合室」と名づけました。

 実はギャラリー名にはもうひとつの由来があります。アメリカのインディーズバンドFUGAZIの代表曲のひとつに「Waiting Room」という曲があるのですが、彼らは自分たちでCDを手売りしながら、メジャーレーベルに属さず、DIY精神を貫いて有名になっていきました。彼らのように、自宅でギャラリーを始めたDIY精神を何年経っても忘れない。そんな思いも込められています。

ーー現在、ギャラリーが入っている建物は郵便局の跡地だそうですね。

 40年ものあいだ、郵便局だった建物なので、近隣の方たちはみんなここの存在を知っています。だから一般的なギャラリーより入りやすいようで、ふらっと来て初めてアートを買うような方も多いです。自宅で始めたときの待合室の精神は、この場所にも息づいてると思っています。

三軒茶屋の自宅にあった2009年当時のギャラリー。ニューヨークのCinders Galleryとコラボレーションした展覧会のオープニングの様子

ーーギャラリストという仕事を志したきっかけを教えてください。

 父が建築、母が音楽を大学で教えていたので、幼少期から文化的なものが身近でした。父の調査旅行に一緒についていき、世界各地の美術館や博物館を見たのが、アートに興味を持ったきっかけだと思います。創作する側ではなく、アーティストをサポートする側を志したのは母の影響です。母は大学で教えるのと同時に、ピアニストを育てたり、コンサートやオペラの企画をしていたりしたので、裏方の楽しみを小さい頃から見て知っていました。

 ただ、創作に無縁だったわけではありません。大学の芸術学科に入学後、写真部に入部しました。暗室でプリントをして、年に数回、展覧会をすることがすごく楽しかったです。ただ、基本的には不真面目な大学生活を送り、アルバイトに明け暮れる毎日でした。そんな学生生活に行き詰まりを感じ、また写真への強い興味もあり、裏方としてアーティストをサポートするためには、ものづくりに一度本気で取り組み、作品の制作のプロセスを身をもって知る必要があるのではないかと考え、大学を休学してニューヨークに留学しました。その後、日本の大学を中退してニューヨーク大学スタジオアート学科に編入しました。

ーー当時のニューヨークではどのようなアートに触れたのでしょう?

 ニューヨークでもっとも興味を惹かれたのがパフォーマンスアートでした。ヴィト・アコンチ、クリス・バーデン、ブルース・ナウマン、マリーナ・アブラモヴィッチといったアーティストに触れて大きな感激と驚きをもらいました。やがて、パフォーマンス、映像、インスタレーションといったタイムベースドメディアが私の専門になっていき、卒業制作もヴィデオ・インスタレーションを展示しました。当時の興味はいまでも自分のなかに息づいていて、扱っているアーティストにもつながっています。

 ニューヨークには様々な分野の作品が売れる土壌がありました。例えばマシュー・バーニーなどもそうですが、映像そのものはもちろん、映像で使用したプロットや彫刻や衣装を、マーケットに向けてパッケージングするのが上手なアーティストが多く、非常に勉強になりました。

ーー大学卒業後はそのままニューヨークのArtists SpaceとAG Galleryという2つのギャラリーで勤務されたそうですが、具体的にはどのようなお仕事をされていたのですか?

 Artists Spaceは大学3年生のときからインターンをやっていて、そのまま勤めることになりました。1970年代に設立された、助成金や寄付金で運営する、非営利の老舗ギャラリーで、コマーシャルギャラリーとはまた違った現場でした。非営利だからこそできる挑戦的な展示を企画でき、マーケットとは異なる側面からアーティストをサポートすることを経験することができました。AG Galleryはブルックリンにある日本人オーナーが運営するスペースです。こちらは作品とともにアパレルなども扱っており、給与も出来高制だったので、なにが売れるかを考え続けるという、ギャラリーの営利的な側面を経験させてもらいました。非営利と営利、真逆の環境で5年ほど働いたので、どちらか一方に偏らない貴重な経験をさせてもらいました。

ーーそして2008年に帰国され、2009年に自宅の一室でWAITINGROOMを始めます。

 卒業してから5年間、ニューヨークで働きました。ニューヨークは私にすごく合っていましたし、そのまま居着いてしまうほうが楽だったと思います。でも次になにかチャレンジをするなら、ニューヨークで見たり学んだり経験したりしたことを日本に持ち帰りたいと思ったんです。日本はマーケットも小さいし、日常的に絵を買う人も少ない。でも、その状況を変えることに挑戦したいと思い、帰国しました。

ーー芦川さんのタイムベースドメディアへの興味が所属アーティストにも現れていると感じます。

 パフォーマンスアートや映像作品、インスタレーションなど、販売したり後世に残すことが難しい形態を、コマーシャルギャラリーとして扱っていくことをミッションのひとつにしたいと考えていたので、扱うアーティストもその傾向にあります。

 例えばエキソニモは、メディアアートの文脈では有名ですしキャリアも長いですが、コマーシャルの現場ではきちんと紹介されていませんでした。彼らの日々進歩するテクノロジーを使った作品をどうやって残していくのか、それをアーティストやコレクターや美術館と一緒に議論しながら考えていくことにすごく興味がありました。水戸芸術館で去年展示された《I randomly love you / hate you》(2018)という作品は、MacMini2台をインターネットにつなげ、チャットアプリでの会話をモニターに映しだすものです。ただ、その状態では絶対に売れませんよね。そこで、シングルボードコンピューターのような小さい基盤にプログラミングし直せないのかエキソニモの2人に提案したら、今年3月の個展「LO」までに実現してくれました。このように、アーティストとどうしたらこの作品を残しやすい形にできるかを一緒に議論し、アーティストとギャラリーの実績にしていくことをいつも目指しています。

エキソニモの個展「LO」(2019)の展示風景 photo by Shintaro Yamanaka (Qsyum!)

ーー川内理香子さんや平子雄一さんも絵画に留まらない作品形態を展開されています

 メディウムや表現形態がどんどん拡張していくのも、所属アーティストの傾向です。川内理香子の初期の展示はすべてドローイング作品でしたが、次第にドローイングの線が立体化して針金になり、針金に光が加わってネオン管になっていきました。平子雄一も最初はペインティングがメインでしたが、彫刻を始め、やがて空間を使ったインスタレーションになり、さらにはサウンドパフォーマンスをやったりと、表現のフィールドが広がっています。

 ひとつのことだけをやっているアーティストよりは、横断的に表現の幅を広げていく傾向のあるアーティストに興味がありますね。ギャラリーを始めて最初の4年くらいは続けていくだけで精一杯でしたが、安定するにつれて自分が一番興味を持っているタイムベースドメディアをギャラリーの特徴にしていこうと決断できました。

川内理香子の個展「Tiger Tiger, burning bright」(2018) photo by Shintaro Yamanaka (Qsyum!)
平子雄一の個展「Greening」(2017) photo by Ujin Matsuo

ーーアーティストやコレクターとのコミュニケーションで意識することはどのようなことでしょうか?

 私はアーティストとギャラリストとコレクターの三者は、それぞれ共犯関係にあると思っています。まだ無名のアーティストの作品を買うことで、コレクターはアーティストへの期待を示します。アーティストも自分の身を切りながらコレクターに対して作品を訴えます。ギャラリストはアーティストの魅力をコレクターに伝えつつ、アーティストを家族のような距離でサポートし作品の価値を高めていきます。それぞれが共犯として自分の役割を意識することで、マーケットが大きくなっていくと思っています。

ーー同様にメディアにも共犯者としての意識が求められている気がします

 『ニューヨークタイムズ』のケン・ジョンソンやロベルタ・スミスのように、影響力のある美術批評家がいて、その人に批評を書いてもらうことがギャラリストとしての目標のひとつだったりするのがニューヨークのアートシーンでした。日本のメディアにもそのくらい大きな影響力を持つ批評がほしいですね。

 ギャラリストもキュレーターも、名前が立っている人が少ないです。公設の美術館は学芸員の名前を出さないなど、慣習の問題もあると思いますが、アーティスト、ギャラリスト、コレクター、美術館の学芸員、批評家、ジャーナリストなど、アートに関わる全員が対等な共犯関係にあることが、日本のアートシーンを盛りあげるために必要だと思っています。そのような共犯関係を前提として、これからの美術を考えるような議論が、今後重要になってくるでしょうし、10年後20年後の大きなアートシーンをつくっていくはずです。私としても、それを今後の目標のひとつとして、一緒に考えていきたいですね。

ーー現在のアートマーケットは10年前と比べて変化しましたか?

 アートは時間がかかるビジネスですので、業界全体が爆発的に売れるようなことはなかなかありません。ただ10年前と比べると、絶対的な購買数だったり、いろいろなタイプのコレクターさんが着実に増えてきていると実感しています。例えば10年前なら、決まった有名コレクターさんが少人数いて、ギャラリーはそのコレクターさんを取り合うイメージでした。いまは「家の壁になにか掛けたいなと思って」と最初の作品を購入し、その後、作品のコレクションを始めるという方も増えています。

 WAITINGROOMは、初めて作品を購入するお客さんが継続的にいます。それは、自宅の一室でギャラリーを始めたときの、初めてアートを買う手伝いをしたいという初心を、意識的に続けられているからだとも思っています。

元郵便局だったWAITINGROOMの建物

ーーギャラリーとしての今後の目標を教えてください

 まだまだ狭い日本のマーケットの裾野を広げていきたいという目標は継続的にあります。

 そして、タイムベースドメディアをちゃんと残していくことも大きな目標です。テート・モダンがタイムベースドメディアの保存や修復を担当する部門をつくって十数年経ちますが、世界的にもまだまだ追いついていない分野です。広く議論が必要ですし、意識して積極的に関わっていきたいと思っています。タイムベースドメディアのような難しいタイプの作品をコレクターに販売するということは、後世に残していくということでもあります。だから販売実績をもっと増やしていきたいですね。日本だと「これを買えるとは思っていませんでした」と言われてしまう状況ですが、当たり前に「この映像が欲しい」とコレクターが言ってくれる、そして当たり前にそういった作品が販売されている、そんなシーンの一端を担う存在になりたいと強く思っています。

芦川朋子