偶然の器の重なりを「尺度」にして絵と、世界と、自分との距離を測り直す
坂本夏子の独自の方法論による歪んだ空間の絵画は、「絵画の庭 - ゼロ年代日本の地平から」(国立国際美術館、2010)や「VOCA展2010」(上野の森美術館)奨励賞など愛知県立芸術大学大学院在学中から注目を集めてきた。ANOMALYで開催された展覧会「迷いの尺度 - シグナルたちの星屑に輪郭をさがして」は、これまで「絵画でしか表すことのできない世界」を追究し続けてきた彼女の3年ぶりの個展となる。
本展は、「Signals」(2019)の三連画を中心に構成されており、それらには「mapping」「re-constellation」「module」とそれぞれ副題が付いている。いずれも120号のこれらの絵画は、グレートーンの地にドットの連なりや網状のモチーフ、点と点をつなぐ線などによって成り立っており、平面的で抽象的な様相を呈している。坂本の初期の絵画に見られたアバターのような少女や物語性はなく、また彼女の持ち味であるイメージをかたちづくりながらも自律する筆触も新作では影を潜めている。かわりに副題にある「module」つまり「尺度」といった新たなキーワードとともに、新しい方法論による彼女のヴィジョンが提示されているかのようだ。
しかし坂本によれば、今回の新作もあくまで初期から一貫した方法論で取り組まれたものでありそのなかのひとつの方向性を伸ばしたものであると言う。
「私はキャンバスを、方程式を解くフィールドのようにして描いてきました。一手ごとに現れる分岐点での小さな選択をログに残すようなやり方で。自分の予想を超える絵をつくりたかったんですね。式のパーツのひとつとなる絵具の演技は、絵の構造に大きく作用します。絵具も筆触も制限して描くことが多かったのですが、《訪問者》(2013)以降その制限を解いて描いた絵もあります。そのとき描きながらどうしても曖昧な判断基準が絵に含まれることもあるのですが、それは結局、絵の経験則を肯定してしまうからで、そこで初めて発見できるものはほとんどなかったりする。ペインタリーな身体感覚からいったん距離をとり、方法論と私をどう関係させられるか考えていました」。
坂本は、タイルに囲まれた浴室空間を描いた最初期の《Tiles》(2006)から、一度描いた地点に戻ることなく、設定した単位をつないで描く独自の方法論で取り組んできた。《Tiles》では、この方法論と筆触による「ペインタリーな身体感覚」の両面を兼ね備えていたと言える。そして、描く行為そのものが主題化された「Still Life」シリーズ(2012)から、タイルなどの単位がなくなることで筆触による「ペインタリーな身体感覚」は前景化していった。
坂本にとって「ペインタリーな身体感覚」とは、「絵のなかをプレイするためのフィールドをつくること」とも関係している。「絵のなかに自分の位置をその都度つくるように、一筆一筆こじ開けていくんです。描いた空間に入るのではなく。絵のなかをプレイするための方法論と、私が絵を探究するうえである基準にしてきた『絵画でしか表すことのできない世界』の条件をもう一度問い直したいんです」。
「ペインタリーな身体感覚」は、絵画のなかをプレイすることと重なるいっぽう、そこからさらなる更新は困難でもあった。坂本にとって絵画とは、「思考のモデル」であると同時に、何よりも「矛盾を内包するもの」である。「絵は、矛盾を内包したまま閉じ込め、不条理を受け入れることができる。このことが、私が絵に固執している理由のひとつです」。彼女はこれまでも方法論を優先することで生じる絵画空間の歪みなどを積極的に引き受けてきた。
しかしながら、「ペインタリーな身体感覚」は、絵画のなかに構造的に組み込まれうるものであり、絵画として成立しやすいため、かえってより複数の矛盾を引き受けることが困難であると感じていたという。これまでの彼女の絵画のヴァリエーションを産出することは可能であったが、坂本は自身の方法論の一貫性を重視しつつも絵画のなかに別の次元をつくり出すため、「ペインタリーな身体感覚」をあえていったん放棄することを決断したのだ。
必然めいた偶然の重なりを「尺度」に
坂本が新作で取り組んだことは何か。それは「絵のなかの複数の矛盾を探ること」であり、「絵の次元を複数にすること」である。そのため、坂本は「ペインタリーな身体感覚」と結びついていたこれまでの自分と絵画との距離を変えるべく、あえて自分の身体の型取りを使用した。
「なんとなく好んで選びがちだったその規格サイズのキャンバスの高さは、身長153.5cmのわたしがめいっぱいに片手を伸ばしたときのからだの長さと、ほぼぴったり重なることに気がついた。その必然めいているようで偶然な 「器」の重なりを、ひとつの尺度にしてみる。絵と、世界と、自分との距離を測りなおす、ありあわせの定規のようなものとして」(個展のためのノートより)。
このように必然めいた偶然によって発見した「尺度」から、坂本は自分と絵画との距離を測り直す。「尺度」をめぐる彼女の実験の痕跡がうかがえる作品として、自分の身体の型取りを用いた120号の《Modules, transpose》(2019)がある。ピンクやグリーンのペールカラーによるこの作品は、様々な角度による「片手を伸ばしたときのからだ」のシルエットがタイル状の格子のずれに呼応しながら部分的にシャッフルして配されている。「片手を伸ばしたときの体」という型はあたかも、人体と黄金比に基づく建築の基準寸法であるル・コルビュジエの「モデュロール」の図のようだ。だが、坂本によれば、この絵画はメインの三連画の重要な姉妹作で、自分の身体のフォルムから彼女にとってありあわせの定規である「雲形定規」を取り出すための作品であるという。「モデュロール」のような普遍的人間の理想的身体による「比例(ratio)」=「理性(ratio)」ではなく、むしろ「寸断された身体」から彼女なりの「雲形定規」を見出していることがこの作品からうかがえる。
また、《Box Painting2(module)》(2019)も「尺度」に関わる作品と言える。彼女の「片手を伸ばしたときのからだ」の型がくり抜かれた薄い銅板を輪にし、ミニチュアの箱のなかに吊り下げた模型のような作品である。「もともとの3次元の私のかたちを2次元のシルエットにして、さらに3次元に開く、という順序で尺度を変換したもの」だという。
人型がくり抜かれた曲線は「雲形定規」として「Signals」の三連画などの制作に用いられるとともに、輪も網状のモチーフとして《Module, nest building》や「Signals」に応用されるなど、《Modules, transpose》においてと同様、坂本が距離を測り直す「尺度」となっている。
絵画における複数の次元
坂本がこうした「尺度」を頼りに、新たな絵画との距離を築きながら取り組んだことは何か。新作の三連画では、内と外が異なる色で塗られたドットを単位として、その連なりが主な構成要素となっている。坂本はこの抽象的な単位であるドットに込めたものを「シグナル」と呼ぶ。
「世界には、情報のかけらや、情報未満の粒みたいなものが日々どんどん積もってあふれていっています。それらが日々を暮らす私の体にも付着していく。メディアの情報、身近な人々の物語だったり、気温や湿度や木洩れ陽、体に入る養分や汚染された物質、そして感知していても認識には至らないようなものまで。でも受け止めきれる量は個々の“私”という器の材質とか大きさによって違うでしょうし、体の内部から発せられる信号もあります」。
刻々と変化する世界と相互に関係しながらも、人が感受可能な「シグナル」は当然ながら限られてくる。その「器」の限界を意識したうえで、無数に散らばる「シグナル」のなかで自分が「見たい輪郭」だけを探すのではなく、「見えていないもの、見ていなかったもの、見たこともないもの」をいかにして探すか。それこそが坂本の新作における思考のモデルと言える。
実際の制作において坂本は、机の上に粒をまいて偶然できたポジションを基準点に用いている。このように外在的な根拠とも関係をつくりつつ、彼女は自分の身体から取り出した「雲形定規」を頼りに、部分と部分を彼女なりの根拠を探りながらつないでいく。三連画の右手の作品「module」は、「雲形定規」の痕跡がもっともうかがえる。また、左手の「re-constellation」では、 点を線でつなぐというルールを課すことで、自分の選んだものが次の選択肢を規定していくことを問い直す。「シグナル」を込めたドット、グリッドに近い網状のモチーフなど、迷い歩くように複数のルートをたどりながら、いままで見えていなかった輪郭、かたち、関係性を見出していくのである。
また、日々の生活のなかで蓄積する「シグナル」は、メインの三連画に見られるドットだけに込められたものではなく、今回の展示構成全体にも関係している。淡黄色の壁面には坂本が日々描いてきたドローイングがカレンダーのように配置されている。穴や影といった初期からのモチーフや絵画独自の空間の模索など、これらから彼女が日々取り組んできた絵画における思考が垣間見える。
ほかに、箱の「Box Painting」シリーズや人形劇の舞台など絵画以外の作品も展示されている。「『Box Painting』は、見る人にふたを開いてみるよう誘う装置のようなものです。今度は見る人との距離が変わる。このなかには、フィギュアのようなものだったり、香りや自作の文字などを入れたりもしています」。
タイトルに「Painting」と付いていることからも、これらは坂本のなかで絵画をつくることと同等の意識の上にあり、絵画との距離の測り直しの試みだとわかる。
こうした坂本の方法論は、あらかじめ絵画の全体像が想定されているわけではなく、ある部分から出発し、どのようなコンポジションへと向かうかは開かれているという点において初期から一貫性がある。いっぽうで本展では、この方法論をさらに推し進め、「シグナル」を観測しながら、ルールを複数化し、複数のルートによって、あくまでもひとつのレイヤーに複数の矛盾を内包することで絵画のなかの別の次元を模索しているのである。
ちなみに、坂本は本展関連イベントで物理学者の大栗博司と対談している。大栗によれば、一般相対論において「次元」とは、「位置を決めるために必要な情報の数」であるという。例えば、誰かと待ち合わせをするときに、「6階の喫茶店で午後3時に」というように3次元=「高さ」、4次元=「時間」の情報を加えて初めて位置が決まる。この「次元」の定義を踏まえると、坂本が探る感知していても認識できないような「シグナル」は、おそらく「位置」を確定すること自体が困難なのだろう。だからこそ坂本は、そうした「シグナル」を彼女の方法論から探ることを通じて、絵画のなかの新たな次元の可能性を開くのである。
(『美術手帖』2019年10月号「ARTIST PICK UP」より)