「民間」というもうひとつの社会
台湾の写真は何を見つめてきたのか。風景か、民俗か、生活か。あるいは、政治的なイデオロギーによって自由に語ることの許されなかった時代における、社会の沈黙の表情だろうか?
7月18日から11月15日まで、新北市美術館にて開催される展覧会「民間╱撮影:ドキュメンタリー・イメージの叙事生成」(原題:民間╱攝影:紀實影像的敘事生成)は、そうした問いに対するひとつの応答である。本展は、異なる時代と政治体制を生きた8名の写真家たちの足跡をたどりながら、「民間(Minjian)」という概念が台湾のドキュメンタリー写真においていかに切実な主題であったかを再考する。
ここで提示される「民間」とは、たんなる「習俗」「風習」あるいは「庶民の生活」といった牧歌的な意味合いにとどまらない。それは、国家権力が支配するパブリックな領域と、個人の内密なプライベート空間の境界に広がる、流動的で豊かな社会的空間を指す。地域コミュニティの複雑なネットワーク、それに支えられた祭礼や土着の信仰、世代を超えて引き継がれる職人の技と精神、そして土地に深く根ざした習慣や記憶が地層のように積みかさなり、人間の経験や記憶と交わる「場所」。そこにおいて写真は、「民間」の姿をただ受動的に記録するにとどまらず、ときにはその価値を発見し、歴史の忘却から掬い取り、後世へと手渡す強力なメディアとして機能してきたのである。

台湾写真史研究の第一人者である張世倫(チャン・シールン)をキュレーターに迎えた本展は、日本統治時代末期から、1980年代の民主化前夜までという台湾激動の時代を横断する。展示室には「名作写真」だけでなく、当時の雑誌や新聞の切り抜き、アーカイブ文書、膨大なフィールドワーク資料、そして映像作品などが並び、台湾におけるドキュメンタリー・イメージがいかにして生成されてきたのか、その複雑な成り立ちを浮きあがらせる。
語れない時代を写す
台湾の近現代写真史を、西洋的な美術史の文脈に沿って一直線に語ることは難しい。キュレーターの張世倫が指摘するように、台湾における写真研究の根本的な困難は、歴史資料がつねに断片的にしか残されていないということにある。半世紀におよぶ日本の植民地統治、第二次世界大戦後の国民党政権への統治者の交代、世界最長とも言われる38年間にわたる戒厳令、そして目まぐるしい民主化。この激動のなかで多くの写真資料は散逸し、あるいは政治的タブーとして隠され、破棄されてきた。
ここで重要なのは、台湾における「ドキュメンタリー(紀實)」という概念が、欧米の報道写真や社会派ドキュメンタリーとはまったく異なる文脈のなかで形成された点である。戦後台湾の長期にわたる戒厳令体制下において、政治的な矛盾や社会の暗部を直截的に表現することは文字どおり命の危険を伴った。そこで、当時の写真界では絵画的な美しさを追求する「サロン写真」が主流となり、推奨される傾向にあったのである。

そのような息苦しさのなかで、現実と向き合おうとした写真家たちが選び取ったのが、一見すると政治的に無害そうな「民俗」や「民間」という主題であった。彼らは寺廟(*1)の祭礼、農村の労働、職人の手仕事といった「安全な題材」を隠れ蓑にしながら、急激な近代化によって変容していく社会の摩擦や、名もなき人々の生の感触を写し出していった。つまり台湾のドキュメンタリー写真とは、政治的な抑圧のなかにありながら、「民間」という迂回路を経由することで成立した独自の視覚言語だといえる。
*1──仏教の信仰や修行の場である寺院と、偉人や祖先、神仏などを祀る霊廟や祠の総称。
時代を証言する8つの眼差し
本展では、8名の写真家たちの仕事を通じて、台湾写真史における「民間」の多様な現れ方を検証していく。それぞれの写真家が対峙した時代背景とアプローチの違いは、台湾社会の変遷そのものを映し出す。

松山虔三(まつやま・けんぞう)は、1903年に千葉県で生まれ、日本のプロレタリア写真運動や新興写真の影響を受けたのち、台湾へと渡った。日本統治時代末期の重要な出版物である雑誌『民俗台湾』(1941〜45)において、掲載写真の約400点の写真のうち約390点以上を撮影し、戦時下の台湾社会の姿を膨大なネガに残した。さらに戦後、松山が台湾で撮影したネガは台駐アメリカ人に託され、後に数千点のコンタクトプリントとして整理されたのち台北二二八紀念館(*2)の収蔵庫に眠っていたが、近年、近年、張世倫や多摩美術大学の港千尋らの共同研究によってようやくその仕事に光が当たるようになった。松山の仕事はたんなる植民地の記録にとどまらず、戦後台湾のドキュメンタリー写真へと地下水脈のようにつながっていく重要な起点であり、本展の大きな見どころのひとつとなっている。

戦後、人類学者と協働しながら張才(チャン・ツァイ)が見つめたのは、新北市三峡の豚公祭などの熱気あふれる現場だった。張は同じ場所へ何度も足を運ぶことによって、変化する地域社会のダイナミズムを捉えようとしたのである。

いっぽう、黃則修(ホアン・ツォーシウ)は「龍山寺」シリーズにおいて、単独の写真に依らない複数を組み合わせる「クラスター」という手法を導入した。劇的な事件が起こらなくとも、民衆の日常空間のなかから連作を通して時間の厚みを浮かび上がらせたこの仕事は、台湾写真史における画期的な到達点となる。

1960年代に入り、ドキュメンタリーに「主観」を持ち込んだのが張照堂(チャン・ジャオタン)である。実存主義やシュルレアリスムに影響を受けた彼の写真は現実と夢、あるいは生と死が交錯する独自の映像世界を築いた。テレビ局の報道カメラマンとしての職務の傍ら、自発的に台湾の郷土を撮り続けた張にとって、記録とは社会の表層を写すことではなく「時代の精神とは何か」を問い続ける行為であった。本展では、1970年代以降のドキュメンタリー色の強いシリーズ「逆旅」に焦点を当て、代表的な作品に加えて、これまでほとんど公開されてこなかった貴重なアーカイブ資料も紹介する。


1970年代、台湾の写真は「出版文化」と結びついて新たな次元へと飛躍する。その中心地が雑誌『漢聲(ECHO Magazine)』である。美術・デザインの背景を持つ黃永松(ホアン・ヨンソン)と姚孟嘉(ヤオ・モンジャ)は、写真、インタビュー、グラフィックデザインを融合させ、台湾の伝統文化や民芸を総合的なメディアとして発信した。黃の構築的な造形感覚と、姚の画家のように繊細な光の捉え方は、民間の生活を単純な郷愁から切り離し、力強い視覚表現へと昇華させた。


そして、梁正居(リャン・チェンチュー)と林柏樑(リン・ボーリャン)による1970年代以降の仕事は、歩行によるフィールドワークの実践にあった。自らの足で農村や山地に入り込み、労働者や消えゆく歴史建築を克明に記録した写真群は、そのまま台湾社会の変遷を伝える強靭な視覚的蓄積となり、今日の文化資産保存の大きな基盤となっている。
*2──1947年に台湾で起きた「二・二八事件」の歴史を伝えるために設立された資料館。二・二八事件とは、1947年2月28日、闇タバコ摘発をきっかけに起きた抗議デモに対し、当時の国民党政府が行った武力弾圧を指す。
記録から記憶へ、忘却から再発見へ
本展の面白さは、こうした写真家たちをたんに年代順の作家紹介として並べるのではなく、写真がどのような媒体を通じて社会に流通し、どのように記憶され、忘れられ、そして再び美術館のなかで読み直されるのかを問うている点にある。
松山虔三の写真は、戦時下の雑誌メディアから出発し、歴史の闇(収蔵庫)を経て、現代の美術館へとたどり着いた。張才や黃則修の写真は、戒厳令下において「民俗」という入り口から現実の社会へと通じる抜け道として機能した。張照堂はドキュメンタリーの定義を個人の内面や夢の領域にまで拡張し、『漢聲』のグループは出版というマスメディアを通じて台湾のひとびとに自らの文化を「再発見」させた。

つまり本展が訴えかけてくるのは、台湾のドキュメンタリー写真は西洋のようにひとつの完成された「芸術様式」や「ジャンル」として発展したわけではないという事実である。それは、植民地期の民俗調査、戦後の報道機関、出版メディアの隆盛、政治的検閲との暗黙の闘争、そして文化保存運動といった無数の社会的実践が絡まりあうなかで、必然的にかたちづくられてきたものなのだ。
写真家たちは与えられた現実を受動的に写したのではなかった。彼らは「語りにくいもの」「失われつつあるもの」を、それぞれの時代が課す制約のなかで、必死に見つめようと抗ったのである。
「民間/攝影」のスラッシュの示すもの
台湾を生きる人々にとって、寺廟の喧騒、村の風景、職人の皺の刻まれた手といったものは、ノスタルジーの対象だけではない。そこには政情の変遷や経済成長といった「大きな物語」からこぼれ落ちた無数の人々の時間と、生活の重厚な地層が横たわる。また、本展のタイトル「民間/攝影」の中心に置かれたスラッシュ(/)も、ただの言葉の区切りではないだろう。「民間」という領域が写真を呼び寄せ、同時に「写真」という行為が目に見えない民間を可視化する。絶え間ない相互作用と往復する運動を示す、動的な記号が(/)である。
同時にこの展覧会は、日本から訪れる観客にとっても極めて重要な意味を持つといえよう。松山虔三の再評価は、日本と台湾の近代写真史が、帝国と植民地という非対称な関係性のなかで分かちがたく結びついていることを鋭く示している。また、戦後台湾の写真家たちが戒厳令下の社会でいかに現実と対峙してきたかを知ることは、我々が近しい隣人である台湾の近現代史を、血の通った解像度で理解するための親しい手がかりとなるはずだ。

写真は、過去をそのまま真空パックする魔法の装置ではない。いつ撮られたか、どのような媒体に掲載されたか、誰に見られ、なぜ忘れられ、どこで再発見されたか。そのコンテクストによって、写真は何度でも意味を更新し、生き直すことができる。そうした意味で本展は、台湾の大地に散らばっていた台湾写真史というイメージの破片を拾い集め、それらを再びつなぎ直し、写真と社会の関わりを修復する展覧会であるともいえる。そこには民俗や日常の風景だけではない、台湾という社会が抑圧や忘却に抗いながら「自分自身」をどのように見つめようとしてきたのか、その切実で力強い、長いまなざしの歴史が映し出されているはずだ。

































