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アンドリュー・ワイエスとは何者だったのか。日本における研究の第一人者・高橋秀治の言葉から探る【2/3ページ】

風景を見るとき訪れる「うなじの毛が逆立つ瞬間」

──ワイエスは人物や風景を描いた絵がほとんどですが、作品のモデルやモチーフはどんな基準で選んでいたのでしょうか。

高橋 生きることと描くことが深く結びついていた画家で、基本的には身の回りの人物や風景を描いていました。モデルもよく知っている人物を追求するように描き続けています。妻・ベッツィの子供時代からの年の離れた友人であり、ワイエス作品のミューズといえるメイン州のクリスティーナ・オルソンをはじめ、ペンシルヴェニア州チャッズ・フォードのワイエスの生家の隣人で、ドイツから移住して農場を営んでいたカール・カーナー、カールの看護師だったドイツ系のヘルガ・テステーフ、メイン州でワイエスが出会ったフィンランド系の少女シリ・エリクソンといった人々がそうですね。アメリカ社会の表舞台にいないような、田舎で黙々と暮らす人を描いた作品が非常に多いです。

納屋の戸口からオルソン家の母屋を見る構図。光と影への関心が見て取れる。アンドリュー・ワイエス《オルソン家の終焉》(1969)パネルにテンペラ 46.5×49.5㎝ クリーブランド美術館 The Cleveland Museum of Art, Promised Gift of Nancy F. and Joseph P. Keithley ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
台所のクリスティーナを描いた1枚。ワイエス《ゼラニウム》(1960)紙にドライブラッシュ、水彩 52.7×39.4cm ファーンズワース美術館、ロックランド Collection of the Farnsworth Art Museum, Rockland, Maine, Bequest of Betsy James Wyeth Trust, 2021.1.1 ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York/JASPAR,Tokyo

──とくにクリスティーナと彼女の住むオルソン・ハウスは何度も描かれていますね。

高橋 オルソン家はいわば滅びゆく旧家で、ワイエスの描いた大きなオルソン・ハウスにクリスティーナと弟のアルヴァロが暮らしていました。もともとベッツィが子供の頃からクリスティーナらと親しく、彼らにワイエスを紹介しました。クリスティーナは進行性の病気のために下半身の自由を失っており、こうした身体に障害のある人々への偏見はいまより強いものであったはずですが、ワイエス夫妻はそういった価値観とは無縁に、無二の友人として交流していたのです。ワイエスはオルソン・ハウスの2・3階をスタジオ代わりにして多くの作品を残しました。

──風景の作品でも、身近な場所が繰り返し題材になっています。

高橋 ワイエスは3歳頃から夏はメイン州、冬はペンシルヴェニア州の生まれ故郷で過ごし、渡り鳥のように生涯それを繰り返しました。2つの州で身近な人や風景を描き続けたんです。例えばワイエスの生家とカールの農場の間にあるカーナーズ・ヒルという丘や、オルソン・ハウス近辺は本当に何度も描いています。80代になっても朝は家族が寝ているあいだに起きて近隣を歩き回り、描きたいものに出会うとスケッチする生活を続けていました。

 ワイエスは人物や風景を見ていると、ときに「うなじの毛が逆立つような感覚」があったと語りました。おそらく何十回何百回と見た景色であっても、わずかな変化や自身の心境によって、それを感じる瞬間があったからこそ、同じ場所で描き続けたのだと思います。

チャッズ・フォードのオルソン家の屋根とリボリ湖。アンドリュー・ワイエス オルソン家の終焉 1969 パネルにテンペラ 46.5x49.5㎝ クリーブランド美術館蔵 The Cleveland Museum of Art, Promised Gift of Nancy F. and Joseph P. Keithley ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo

 30年間にわたって描き続けたオルソン・ハウスのあるメイン州は、ニューイングランドと呼ばれる地域で、最初期にイギリスから入植した人たちが住んだところでしたし、生まれ故郷のペンシルヴェニア州・チャッズ・フォードは独立戦争の戦場だった地域で、ワイエス夫妻は当時まさに戦いが行われた古い粉挽き場を増改築して住んでいました。ワイエスが「アメリカを描いた画家」と言われる理由のひとつでしょう。歴史的な場所で育ったことで、イメージがかきたてられた面もあったでしょう。幼い頃から兵隊の人形でごっこ遊びをしていて、スタジオにも少年時代から集めていた人形がたくさん残されています。カールに対しても、第一次大戦の従軍経験者としてのリスペクトがあったようです。

──ワイエスの作品に特徴的な、彩度の低い独特な色使いですが、あれはどのような理由で生まれたのでしょう。

高橋 ワイエスは「私の絵には色がないとよく言われるが、この色はペンシルヴェニアの大地につながっている」と語りました。メイン州にも、かさかさと乾いて風に飛ばされてしまうような土地の印象を抱いていたようです。アースカラーが好きなだけでなく、顔料を手にとって感触を確かめることも好んでいました。地域に根を下ろした作家ゆえの色彩ともいえます。

──作品は主に水彩画と卵テンペラで描かれていますが、20世紀にもなって、すでに古典的な技法であるテンペラにこだわった理由を教えてください。

高橋 ワイエスは水彩画家として出発して、20歳の頃にニューヨークで開いた個展では全作品が売れるほど高い評価を受けました。いっぽうで父親に習った油彩のこってりとしたテクスチャになじめず、姉の夫であるピーター・ハードという画家からテンペラ技法を教わって以来、テンペラに取り組むようになりました。テンペラは描くたびに絵具を調合する必要があり、チューブ入りで携行できる油絵具とは違ってスタジオでしか描けません。日によって練り具合にも違いが出るし、失敗しても画面を削り取ることもできません。細い筆で少しずつ描き進めるため、本人も2ヶ月に1枚ぐらいしか描けないと言うほど手間のかかる仕事でした。また、水彩絵具をつけた筆の水分を指でしごき、乾いた筆を根気強く重ねていくドライブラッシュという技法も使っています。水彩に必要な瞬発力とテンペラに必要な緻密さを備えるワイエスにとって、ドライブラッシュは両者の中間にあたる技法でした。

もたれたクリスティーナを見てワイエスは傷ついたカモメの姿を重ねた。ワイエス《クリスティーナ・オルソン》(1947)パネルにテンペラ 83.8×63.5cm マイロン・クニン・コレクション、ミネアポリス Myron Kunin Collection of American Art, Minneapolis, MN photo: Curtis Galleries, Inc. ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York/ JASPAR

編集部