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トライベッカはいかにして新たなギャラリー集積地になったのか? ブームの裏側を探る【2/6ページ】

トライベッカブームの仕掛け人

 トライベッカにギャラリーが増え始めたのは、2010年代後半だったが、その流れをつくったのは、ジョナサン・トラビスというひとりの不動産仲介業者だった。チェルシーの動向に注目していたトラビスは、ある日新聞記事に引用されていたアートディーラー、ケーシー・カプランのコメントに目を留めた。カプランは、チェルシーの展望を悲観し、エリアからの撤退を望んでいた。トラビスは、早速カプランに連絡をして物件探しを買って出た。トラビスにとって、ギャラリー用物件を扱うのは初めてだったが、カプランは無事フラワー・ディストリクトに移転を完了した。それをきっかけに、チェルシーからの退去を希望するほかのギャラリーからも物件探しの依頼が舞い込むようになる。

 ギャラリーの要件を一通り理解していたトラビスは、トライベッカにギャラリー向きの物件が多数存在することを見出し、クライアントに紹介し始め、次々と成約を取り付けるようになった。トライベッカは、マンハッタンの中でも屈指の高級住宅が集まる地域だが、その当時、商業用物件の家賃は手頃だったという。地域住民の意向で、騒音問題の懸念がある飲食店などよりも、ギャラリーの方がテナントとして好まれる土壌もあった。

 2012年のハリケーン・サンディの際、チェルシーのギャラリーの多くが浸水被害に遭い多額の損害を被ったが、トライベッカは浸水区域外に位置し、これは安心材料となる。すでに周辺に多くのアートコレクターが住んでいるだけでなく、チェルシーと対照的に、地下鉄や高速道路でのアクセスもしやすい。トライベッカにはギャラリーを惹きつける十分な要素が揃っていた。

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