原田裕規が「イメージ」という言葉を使うとき、そこにはある種の畏怖、そして覚悟が込められている。クリスチャン・ラッセンをテーマとした「ラッセン展」(CASHI、東京、2012)の共同企画、そして編著書『ラッセンとは何だったのか?』(フィルムアート社、2013)の刊行で注目を集め、その後も社会で広く認知される視覚文化をモチーフに作品を展開させてきた。近年では、そうした題材を扱いつつ、河原温や松澤宥を参照しパフォーマンス的要素を交えた映像インスタレーションへと統合させる。1〜2月に京都芸術センターにて開催された個展「Unreal Ecology」は、ここ数年の作家の歩みをたどる機会となった。テーマとして掲げられる「イメージの倫理」を手掛かりに作家の言葉に耳を傾け、作品や活動に込められた意図と展望を探ってみたい。
人間を疎外するイメージ
会場には、映像インスタレーションを中心に新作を含む近年の作品が展示される。諏訪湖が舞台となる最新作の《湖に見せる絵(諏訪湖)》では、原田自身が湖畔に立ち、「絵」とみなされる四角い板状の物体を掲げる映像が壁面に映し出されている。本作について原田は次のように語る。
「松澤宥の《湖に見せる根本絵画展》(1967)というハガキ絵画シリーズの作品を参照しています。そこには『白色円形の根本絵画は[…]文字どおり湖に見せるためのものである』『あなたはただかたわらからあれらの交信の場を盗み見ているにすぎない』という文言があります。この言葉による作品を戯曲に見立て、本作では松澤作品をパフォーマンスとして『上演』してみました。松澤による言葉を、湖と人間の交信を促すものとしてとらえたんです」。
ここで示唆される「人間には見ることのできないイメージ」とは、同展にも出品されている前作、《Waiting for》でも扱われたテーマである。こちらの作品では、ゲームの背景などに活用されるCGI(Computer Generated Imagery)によって生成された、自然の風景のように見える仮想空間を、移動する視点がとらえ続ける。その眺めとは、人を含む動物たちから隔絶された、誕生よりはるか前の過去/絶滅よりはるか後の未来の、いずれも私たちが直接目にすることができない光景として提示されている。