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「自粛と給付はセットだろ」は法的に正しいのか? 弁護士・行政法研究者が解説

政府や自治体による大規模イベント等の中止・延期等の要請や「不急不要」の外出自粛要請、そのような自粛を呼びかける報道等により、美術・演劇・音楽等、文化芸術活動を行うアーティストや関係者らがイベント中止等により損失を受けている。こうした損失は、法的に補償されるものなのか? 「自粛と給付」はセットかという問題について、文化芸術活動への助成に関する訴訟にも携わっている弁護士兼行政法研究者が解説する。

文=平裕介(弁護士・行政法研究者)

国会議事堂 出典=ウィキメディア・コモンズ

 政府や自治体による大規模イベント等の中止・延期等の要請や「不急不要」の外出自粛要請、そのような自粛を呼びかける報道等により、美術・演劇・音楽等、文化芸術活動を行うアーティストや関係者らがイベント中止等により損失を受けている。

 政府は、28日の首相記者会見で、イベント中止の損失を補償することは難しい旨を述べ(*1)、また、4月1日の参議院決算委員会で、自粛要請によって影響を受けているバーやクラブについて、個別に損失を補償することは難しいとの認識を示した(*2)。

 このような事態について、ミュージシャンの坂本龍一は、政府が経済的な支援をせず公演を自粛するように求めていることは「ひきょうに感じる」「文化の大切さをどう思っているのかが問われると思います」と述べている(*3)。

 では、こういった損失は、法的に(憲法29条3項に基づき)補償されるものなのか。あるいは、国や自治体に損害賠償(国家賠償、憲法17条・国家賠償法1条1項)を請求することはできないのか?

 多くの文化芸術活動を行うアーティストや関係者、事業者らにとって切実な問題である「自粛と給付」はセットかという問題、すなわち自粛要請と【1】補償あるいは【2】賠償は法的にみて「セット」といえるか?

 結論から言うと、場合によっては【1】損失補償あるいは【2】国家賠償が認められる余地があり、したがって、自粛要請と給与は「セット」だという余地がある、と筆者は考えている。以下、その理由について、詳細に解説する。

1. 損失補償請求の認否

(1)新型インフル等対策特措法には文化芸術に関する補償規定はない

 新型インフルエンザ等対策特別措置法(平成24年法律第31号)62条以下には、損失補償に関する規定がある(*4)。

 しかし、政府や自治体による「不急不要」の外出自粛要請によって、美術・演劇・音楽等、文化芸術活動を行うアーティストや関係者等がイベント中止等により受けた損失については、これを補償する旨の規定は存在しない。

 なお、そもそも、現在の時点(2020年4月3日の時点)では、未だ新型インフルエンザ等緊急事態宣言(同法32条1項)が出ていないため、知事(例えば都知事)から同宣言を前提とする同法45条に基づく感染防止のための協力要請がなされているという段階ではない。つまり、政府や自治体から市民に対して法律(同法45条[2020年4月21日下線部加筆])に基づかない要請(お願い)がなされている(一定の場合、同法24条9項に基づき施設休業やイベント自粛等の要請がなされている[同日下線部加筆])というのが現状である。

(2)憲法29条3項に基づく直接請求が可能

 新型インフル等対策特措法のような法律に補償の規定がない場合、損失補償は一切認められないのかというと、そうではない。法律に損失補償の規定がなくても、損失を受けた者は、直接憲法29条3項の規定に基づいて補償を請求できるとする見解(請求権発生説・直接請求権発生説)が現在の通説・判例だからである(*5)。

 なお、政府や自治体による補償・給付措置がなされたとしても、その金額等が不十分な場合にも、同様に憲法に基づく直接請求が可能である(*6)。

 そこで、同項の要件を満たすかが次に問題になる。

(3)「公共のために用いる」といえるか

ア 憲法29条3項は「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」と規定しており、まず「公共のために用いる」の要件を満たすかを検討する。

イ 「公共のため」(*7)とは、公共事業のためだけではなく、広く社会公共の利益(公益)のためであればよく、また、「用いる」とは、土地収用の場合など強制的に財産権を収用(すべて剝奪)される場合だけではなく財産権が制限される場合も含むものと解されている(*8)。

 このたびの自粛要請は、新型コロナウイルスの感染拡大防止という公益のためであるから「公共のため」に当たることは明らかといえる。

ウ 次に「用いる」の方であるが、「財産権が制限」される場合にもあたるかについては、確かに土地所有権が制限されたケースではないが、事実上仕事ができなくなり営業の機会が奪われたことにより収入が減ったなどの経済的損失を被った場合であっても、所有権制限の場合と同程度の制限を受けていることから、「財産権が制限」される場合にあたると考えるべきだろう(*9)。

 次に、財産権の制限が「強制的」なものか、であるが、この認定は簡単ではないように思われる。形式的には、文化芸術関係者や事業者らが事業・営業等の停止処分を受けるといった強制的な処分をされたわけではなく、大規模イベント等の自粛要請や「不急不要」の外出自粛要請がなされただけだからである(*10)。しかし、自粛要請に際してなされる情報(*11)の公表が事業者の行為を事実上強く制限する効果・結果をもたらすような場合(例えば、事業・営業できない状態に追い込まれてしまうような場合)(*12)には、「強制的」な財産権の制限といえると考えるべきではなかろうか。

エ 以上より、「公共のために用いる」の要件を満たすといえるだろう。

(4)特別の犠牲といえるか

ア 損失補償と「特別の犠牲」

 一般的に、損失補償は国家の適法な侵害に対して、公平負担の理念からその損失を補填する制度であるから、その損失が公平に反する場合であることを要する。また、他人の権利への侵害を防止するための公共の福祉のための財産権制約の場合(憲法29条2項)には補償は必要ではないと考えられてきた。

 そのため、損失補償(憲法29条3項)が必要とされるのは、公共の福祉のための財産権制約に当たる場合ではなく、損失が公平に反する場合、すなわち「特別の犠牲」を一部の国民に負わせる場合に限られるというのが一般的な理解とされている(*13)。

 裁判例(瀬戸内海国立公園不許可補償請求事件[*14])も、次のように述べ、損失補償が必要なのは、「特別の犠牲」といえる場合である旨を述べている。

 「公共の福祉のため財産権に対し法律上規制が加えられ、これによりその権利主体が不利益を受けることがあるとしても、それが財産権に内在する社会的制約と認められる程度の制限であれば、これを受忍すべきものであり、補償を求めることは許されないというべきである。したがって、憲法29条3項により補償を請求できるのは、公共のためにする財産権の制限が社会生活上一般に受忍すべきものとされる限度を超え、特定の人に対し特別の財産上の犠牲を強いるものである場合に限られると解される」。

イ 特別の犠牲の判断基準

 このように損失補償の要否については特別の犠牲といえることが必要と解されているが、特別の犠牲といえるかどうかについて、判例・学説上、確固たる判断基準が定立されているというわけではないが(*15)、①侵害行為の特殊性、②侵害行為の強度、③侵害行為の目的、等を総合的に判断して決めるという立場が有力といえよう(*16)。そして、基本的には、②・③が中心となり、①は副次的な基準にとどまり、また、従来の立法・判例をみると、③が重視されているものが少なくない(*17)。

ウ 具体的検討

 ①~③を自粛要請の件との関係で検討すると、①確かに自粛要請の影響を受ける者・事業者の範囲が広いようにもみえるが、美術・演劇・音楽等、文化芸術活動を行うアーティストや関係者ら、バーやクラブ等の事業者等、特定のカテゴリーに属する者(*18)がとくに重大な損失を被っている(社会全体が等しく制約を被っているわけではなく、侵害行為の特殊性がある)とみる余地もあるだろう。

 また、②先に述べたとおり、営業停止処分等がなされていない場合であっても、自粛要請に際してなされる情報の公表が事業者の行為を事実上強く制限する効果・結果をもたらすような場合には、侵害行為の強度は強いものと考えられる。例えば、関西のライブハウスと契約をして音響を担当するフリーランスの男性(38)は、大阪のライブハウスでの集団感染で自分の契約しているところのライブがキャンセルになったと報道されている(*19)。このようなことから、収入が激減し、生活が成り立たなくなる者も出てくる可能性がある(あるいはそのような方がすでに出ている[*20])。このような場合には侵害行為の強度はかなり強いといえるだろう。

 最後に、③侵害行為の目的についてであるが、この点については、国民の生命、健康への危害を防止し、公共の安全を維持する警察目的(消極目的)の規制は、財産権に内在する制約として受忍すべきであるが、公益を増進するための積極目的の規制は、内在的制約とはいえず、特別の犠牲として補償を要するとの考え方が有力であり(*21)、この考え方と整合する判例も少なくない(*22)。また、消極目的の規制であっても、例えば、手当金を交付する規定(家畜伝染病予防法58条)があるが(*23)、これは政策上の補償であって、憲法上要請されているものではないものと解されている(*24)ことから、このような法令の規定やその関連判例を根拠に損失補償を要するものと解することもできないと考えられる。これらのことからすると、侵害行為の目的の点は補償を請求する側にとっては不利な判断要素となるものと言わざるを得ないだろう。

 以上①~③を総合すると、③の点を重視すると、特別の犠牲に当たるとはいえないという考え方もあるだろうが(*25)、②の点を重視し、損失が著しいといえる場合等には、特別の犠牲に当たると考える余地もあるだろう(*26)。 

 なお、2020年4月30日、東京都練馬区のとんかつ屋で店主の男性(54)が全身やけどで亡くなった。焼身自殺の可能性が高いといえよう。東京オリンピックの聖火ランナーにも選ばれていたその男性は、コロナ禍・新型コロナウイルス感染拡大の影響で、店が営業縮小に追い込まれ、先行きを悲観する言葉を周囲に漏らしていたという。この店だけではなく、多くの事業者が政府や自治体の「自粛」要請等により損失を受けているといえるが、②侵害行為の強度が強いものであることを裏付ける出来事のひとつではないだろうか。また、③については、今回のコロナ禍に伴う権利制限の目的は、消極(警察)目的だけではないという見方も可能ではないかと思われる。すでに中国でのコロナ感染拡大が大々的に報じられている時期に、日本の総理大臣が「多くの中国の皆さまが訪日されることを楽しみにしています」などと2020年1月下旬まで情報発信をして春節旅行を呼びかけ、さらに日本国内でウイルスが蔓延するなか、五輪開催延期の決断が同年3月24日という遅い時期になったことは、「国民経済」(新型インフル等対策特措法1条、45条)への影響を考慮するという目的もあったからにほかならない。つまり、消極目的だけではなく、積極目的も併存する権利制限ともいえるだろう(このように考えると、より「特別の犠牲」に当たりやすくなるといえよう)。[本段落につき、2020年5月14日加筆]

2.国家賠償請求の認否

(1)国家賠償請求を検討する必要性

 このように、政府や自治体に損失補償請求をする場合には、「特別の犠牲」等のハードルを越える必要があり、損失補償が認められる(裁判で請求が認容される)ことは簡単なことではない(*27)。

 そこで、市民・事業者側としては、訴訟を提起しようとする場合、損失補償を求めていくだけではなく、政府や自治体による情報提供ないし政府広報によって損害を被ったとして、併せて国家賠償法に基づく賠償請求をすることを検討すべきであろう(憲法17条、国家賠償法1条1項)。

(2)とくに問題となる要件(違法性)と裁判例の判断基準

ア 国家賠償については、憲法17条が「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。」と規定し、これを受けて、国家賠償法が制定された。

 国家賠償法1条1項は「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。」と規定している。

 このうち、自粛要請に際しての政府や自治体の情報提供行為・公表行為との関係で問題となる特に要件は、「違法」性の要件である(*28)。

イ 行政法学における公表には、①情報提供としての公表、②制裁としての公表、③実効性確保のための公表の3種類のものがあるといえる(*29)。自粛要請に際しての政府や自治体の情報の公表も、①情報提供としての公表に当たるものといえる。

 そして、同じく①の公表行為の違法性(国家賠償法1条1項)等が問題となった裁判例として、大阪O-157集団食中毒損害賠償事件(東京高判平成15年5月21日判例時報1835号77頁)を挙げることができる。本件は、大腸菌O-157による集団食中毒の原因食材として、特定の業者から出荷されたカイワレ大根の可能性が否定できないという公表(*30)についての国家賠償法上の違法性が問われたケースである。

 本判決は、主権国家が生命や身体の安全に対する侵害及びその危険から国民を守ることも国民に負託された任務の一つであることなどに照らし、公表行為の意義を認めつつも、次のとおり述べ、違法(国賠法1条1項)となる場合についての基準を示した。

 「本件各報告の公表は、なんらの制限を受けないものでもなく、〔①〕目的、〔②〕方法、〔③〕生じた結果の諸点から、是認できるものであることを要し、これにより生じた不利益につき、注意義務に違反するところがあれば、国家賠償法1条1項に基づく責任が生じることは、避けられない。」(①~③は引用者)

 このように、本判決は、公表の違法性の判断基準(一般論)として、公表行為の①目的、②方法、③生じた結果から、国家賠償法1条1項の違法性が認められる場合があると判示した。

 本判決については、「結果責任を認めるものではないかとの疑問もある」との指摘ないし批判もある(*31)が、本判決の判断基準につき、宇賀克也東京大学名誉教授(現在、最高裁判事)は、次のように積極的あるいは好意的に評価している。

 「『生じた結果の諸点』という表現からは、結果の重大性を念頭に置いているとも読みうる。かつては、行政機関による公表についても、私人間の名誉毀損に係る不法行為の成立要件をそのまま当てはめようとする裁判例が主流であったが、私人間の名誉毀損に係る不法行為の成立要件は、表現の自由と名誉権の調整を図るものであるのに対し、行政主体は表現の自由の享有主体ではなく、また、国民(住民)に対する説明責任を負う主体であるから、私人間の名誉毀損に係る不法行為の成立要件とは異なる基準で違法性が判断されるべきことは、かねてより少なからぬ学説の指摘するところであった。本件判決において,この学説の立場が支持されたとみることができると思われる。」(*32)

 そして、本判決は、このような判断基準に照らし、公表行為の違法性を認め(逆に一審は否定)、国の賠償責任を肯定したのである。

(3)具体的検討

ア 以上の判断基準を自粛要請に際しての情報の公表との関係で検討すると、公表行為の①目的は新型コロナウイルスの感染拡大に防止し、市民(住民)の生命及び健康(憲法13条後段参照)を保護・維持する点にあると考えられる(*33)ため、公表目的の適切性はある(新型インフルエンザ等対策特措法の法律の目的(同法1条)と整合する(*34)といえる。

イ しかし、公表行為の②方法については、問題がある場合もあろう。公表行為の方法は、公表行為の必要性・緊急性、合理性、公表の態様により判定すべきものと考えられる(*35)。

 まず、必要・緊急性であるが、現在の時点(2020年4月3日時点)では、未だ新型インフルエンザ等緊急事態宣言(同法32条1項)が出ていないため、同宣言が出た場合と比較すると、公表行為の必要性・緊急性は低いものといえる。

 また、3月30日の時点ではバーやナイトクラブなど接客を伴う飲食店で感染したと疑われる者が東京都内で38人確認されているとのこと(*36)であるが、同日時点における東京都の残りの感染者約400人(*37)はそのような者と確認されているわけではないようであり、別の感染ルート(例えば混雑した電車内やオフィス、換気の悪い店舗等でマスクをしていない人が話したりくしゃみをしたりするなどして近くの人が感染した可能性等)も疑われることから、例えば、ライブハウスや、バー・ナイトクラブなどだけを殊更に強調して取り上げ、これらの店に行くことの自粛を呼びかけるのは合理性を欠く疑いがあるともいえる。

 2020年4月2日「毎日新聞」朝刊8面の斉藤希史子記者の記事によると、ライブハウスにもいわゆる「3密」(密集・密閉・密接)がそろわない店は多く、また、(ライブハウスではないが)劇場(興行場)の場合には厳しい換気基準を満たしている劇場があり、観客は原則無言かつ飲食禁止とされているようである。ゆえに、例えば単にイベントは自粛しましょうと、とか、ライブハウスには行かないようにしましょう、といった自粛要請をするのではなく、会見で(あるいは会見での配布資料に記載する方法等で)、「3密」を満たさない場合に関して十分にアナウンスする必要があるだろう。

 さらに、公表の態様であるが、広く広報をする必要や、政府・自治体の意図をある程度明確に伝えることは適当ではある。しかし、知事は、現在の時点では、新型インフルエンザ等対策特別措置法45条に基づく感染防止のための協力要請をすることはできない。そのため、あえて法律45条(2020年4月21日下線部加筆)に基づかない要請を行うために、法律45条(同日下線部加筆)に基づいた場合と殆ど同程度の効果を有するような会見を開き、事業者の利益に十分に配慮したとはいえない(例えば、現段階ではあくまで同法に基づかない要請である旨のコメントを付言することなどをしない)公表行為を行った場合には、その態様には問題があるとされる余地もあるだろう。(公表行為の合理性の点とも関係するが)事業者等にも十分に配慮した報道がなされるように、政府等の会見等で十分に注意喚起することも必要であるようにも思われる。

ウ 最後に、③生じた結果については、前記1(4)ウでも述べたとおり、すでに著しい被害・損失が生じているという結果が生じているものとみられる。公表行為は、今日のICT社会では情報が瞬時に拡散されること(*38)も考慮して様々な利益・公益に鑑み行う必要があるというべきであろう。

エ 以上より、国家賠償法上の違法性が認められる余地があるだろう。

3. 文化芸術の灯を消さないためにできることは何か

 たびたびの自粛要請によるイベント中止等によって損失を受けている文化芸術活動を行うアーティストや関係者、事業者らは、私たちの国の文化芸術の灯を消さないようにするために、何ができるだろうか。

 ひとつは、声を上げることである。「萎縮」することなく、表現の自由(憲法21条1項)や請願権(憲法16条[*39])等の基本的人権を行使することであり、もちろんウェブやSNSでの表現行為であってもよい。カタストロフ的な状況にあるともいえる今こそ、基本的人権を自覚的に行使するという「現在」(憲法11条)の個々人の「不断の努力」が、基本的人権とその価値を「将来」(同条)の市民に引き継いでいくための極めて重要な立憲主義的営為であるものと強く認識されるべき時であるといわなければならないだろう(*40)。

 もうひとつは、慎重に検討をしたうえで、場合によっては上記のような国家賠償と損失補償を求める訴訟(損害賠償等請求事件)を提起することである(*41)。理不尽を強いられていると考える場合等には、「裁判を受ける権利」(憲法32条)を行使し、政府等の対応を訴訟等によって争うことが必要となる。

 国家による十分な補償なき(*42)自粛要請から文化芸術の表現の自由等基本的人権を守り、自由を将来の世代に引き継ぐとともに、表現活動等の「萎縮」が「ウイルス」のように「連鎖」し「蔓延」することを止めるためには、芸術家や市民、事業者らが人権を現実に行使し、かつ、裁判によって人権を守り抜くことが不可欠なのである(*43)。

編集部

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