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INSIGHT - 2020.4.4

コロナウイルス時代の芸術。いま、何がなされるべきか?

新型コロナウイルスの影響により、世界各国の文化セクターが大きな打撃を受けている。こうしたなか、文化政策に求められるものとは何か? フランス語圏ヨーロッパ・北米における現代舞台美術を専門とする早稲田大学教授・藤井慎太郎が、現状把握とともに提言する。

文=藤井慎太郎(早稲田大学文学学術院教授)

タイムズスクエア Photo AC

 新型コロナウィルスの急激な感染拡大によって世界が揺れている。ワクチンも治療法もない現在、感染のさらなる拡大、さらにその先の医療崩壊を防ぐには、封鎖と隔離だけが唯一の処方箋であるかのようだ。ヨーロッパでは、最初に感染爆発を経験したイタリア(全国的な封鎖が敷かれたのは3月9日)の後を追って、スペイン(3月16日)、フランス(3月17日)、ベルギー(3月18日)、英国(3月24日)......と、相次いで全国規模のロックダウン(封鎖措置)が敷かれ、外出が禁止された。

 まだイベント開催や外出の「自粛要請」の段階にとどまって、かろうじて普段の生活が続いている日本とはちがって、(生活必需品を扱う店舗を除いて)すべての店がシャッターを下ろし、街路から人影が消え、警察や軍が治安維持にあたる封鎖下の都市は、文字通りにSFの世界である(私には東日本大震災と原発事故直後の日本が重なって見える)。メディアは感染者数と死者数の増加、医療現場の窮状を伝え続けるばかりである。ウィルスはやすやすと国境を越えていくが、先進国はみな自国内の対応に精一杯で、国境を閉ざすのみであって、国際協力の機運は乏しい。旅行者や一時滞在者が大慌てで帰国した後の4月には、国際航空旅客便はほとんどが欠航となって、国境を超えた人の移動はほぼ途絶える見通しである。経済活動には強烈なブレーキとなり、リーマン・ショックを超える空前の不況に陥ることがたやすく予想されるなか、市場と市民の動揺を少しでも緩和しようと、(欧州委員会がEU加盟国の財政赤字の上限を一時的に緩和したこともあって)各国が巨額の経済対策を競うように打ち出している。

 こうした国々では、外出禁止令に先がけて──といっても数日程度でしかないが──劇場・映画館や美術館・博物館も閉鎖された。文化施設は感染リスクの高い、避けるべき危険な場所とされ(シェイクスピアの時代にロンドンの劇場がペストの流行によって幾度となく閉鎖されたことが思い出される)、劇場や美術館の閉鎖も、当初想定していた以上に長引くことが見込まれている。かなりの期間にわたって人の流れ、金の流れが大きく滞ることで、文化が被る被害もまた甚大になることは避けられない。

公共領域の危機

 今日の芸術文化は、とりわけヨーロッパ的モデルにおいては、公権力によって支えられていると同時にすべての人に開かれ、共有されてもいる、という二重の意味で「公共のもの」(res publica)であろうとしてきた。だが、「すべての人の健康」というより上位の公共性を前に、「公共のもの」としての文化も危機に瀕している。作品を見るために観客(the public)が劇場に出向くことが、「みんなのもの」としての演劇に対する最大の支援であるが、それが他者と自分の感染リスクを高めるとき、公共性の二律背反が生じるのである(野田秀樹の「劇場を閉鎖するな」というメッセージが、一演劇人の発言としては充分に賛同できるものであるいっぽうで、東京芸術劇場という公共劇場の芸術監督の発言としては適切か否か、議論となりうるように)。

 コロナ危機はそもそも、文化の公共性の基盤を脅かすばかりか、公共の領域そのものを危機に陥れているのである。社会的距離(social distancing)や隔離という表現に見られるように、他者から物理的に距離をとることが奨励され、高齢の家族に会いに行くことも、友人と会食することも、挨拶としての握手や頬へのキスも避けるべきだとされる。緊急事態宣言が出された国では、個人の自由(とりわけ移動の自由、集会の自由、営業の自由)の制限を伴う封鎖措置がとられている。自宅での隔離を命じられ、広場、公園、街路といった、第一義的公共空間に(劇場にはなおのこと)アクセスすることもままならず、同じ空間に多様かつ多数の他者と物理的に共存することがおよそ不可能になっている。無症状感染者が多い現状では、あらゆる人間が潜在的感染者、リスクなのであって(検査が充分に行われなければなおさらだ)、他者を警戒の目で見ることを余儀なくされ、物理的距離はそのまま心理的距離へと変化する。

 経済活動の停滞のおかげで世界的に大気汚染が著しく減少していることや、英国で医療ボランティアに多数が志願したように、「災害ユートピア」ともいうべき利他的な行動も見られることは、わずかな救いである(だが、買い占めや転売のようにそれを打ち消す利己的な行動も数多い)。なかでも、物理的な公共空間が公衆に対して閉ざされようとしているいま、インターネット、SNSという仮想の公共空間が、他者とのコミュニケーションを媒介し、公共性を維持するための最後の砦になっている。インターネットを通じて、多くの美術館・博物館・図書館が所蔵する作品・書籍・資料を公開したり、ミュージシャンがオンラインでコンサートを開いたり、劇場や上演団体(さらには個人)が無観客で上演された作品を中継したり、過去の作品映像を公開したりしている(だが、こと舞台芸術に関しては、仮想空間は劇場という物理的空間をやはり完全には代替し得ない)。

国家という「公共」の復権

 市民的な共生と連帯という公共性が危機に瀕するいっぽうで、国家的な公共性は──国民の渇望に応えて──見事なまでの復権を果たしている。世界の大半の国が国境を閉ざし、入国のみならず出国までも制限し、現在、ビザなし渡航はまず不可能になっている(国外公演は事実上不可能である)。国境管理を廃止し、欧州における人の自由な移動を保証してきたシェンゲン協定の域内においてさえ(一時的とはいえ)国境が復活した。コロナ危機が収束した後にも、出入国の制限は中長期的に残るだろう(健康であることの証明は多くの国が求めるにちがいない)。人の自由な移動を前提とした国際文化交流、特に国際芸術祭にとっては破壊的といってよい打撃であって、新作のクリエイションもままならないなか、封鎖措置がとられている地域はもちろん、そうでない地域においても、春から夏にかけての国際イヴェントはすでに中止、延期、規模縮小の発表が相次いでいる(*)。

 衛生的観点からであれ、経済的観点からであれ、文化的観点からであれ、コロナウイルスに対する施策はまず国民国家を単位としており、EUやWHO、さらにはUNESCOなどの国際機関の姿はその陰にかすみがちである。国境の内側(「我が家」)に立てこもった国家と国民が自らの一致団結を求める傾向も高まり、私権を制限してまでも強力な対策を打ち出し、「強いリーダー」を演じる指導者たちが世界各地で支持を(再び)集めつつある(人種差別的、排外的な傾向が一部に生じるのも当然の流れである)。いわゆる「コロナ債」に対するドイツやオランダなどの反対によって、イタリアやスペインではEU、とくに「北方」の加盟国に対する激しい幻滅と絶望に近い怒りが生じている。ハンガリーのオルバン首相はこの混乱に乗じて、さらなる権限を自らに集中させて独裁へと近づいた。近年の状況が1930年代に類似していることはたびたび指摘されてきたが、国民国家が巨額の国内経済対策を次々と打ち出す現状は、1929年の恐慌後のニューディール政策やブロック経済をまさに思わせる。警戒して今後の推移を見守らねばならない。

 イベント開催や外出が禁止(ないしは自粛要請)される状況では、外食産業や観光業などと同様、芸術文化においても文化施設の休館(あるいは来場者の大幅な減少)、それに伴って組織と個人の収入の大幅な減少をもたらし、活動の持続可能性が脅かされる。舞台芸術では、作品の上演のみならず新作の稽古も不可能になる。そこに、公演キャンセルによって入場料の返金まで重なったら、小規模な劇団の経営は途端に行き詰まりかねない。収束に時間がかかれば、文化セクターは総崩れとなって、およそ敗者しかいない状況になるだろう。そんな消耗戦を長期間にわたってしのげる体力があるのは、大企業か公的組織しかない。そのとき文化を危機から救い出すべく再び登場するのは──NetFlixなどの民間企業による支援も見過ごせないにしても──やはり、最後の砦たる国民国家なのである。ヨーロッパ諸国においてさえ、芸術文化の領域においても(少なくとも意識や経営手法において)民営化が進んでいたのだが、ここでも国家という「公共」の復権は目覚ましい。

各国の文化支援策

 ドイツのグリュッタース連邦文化大臣(正確には首相府文化メディア担当国務大臣)は3月11日、収入減に直面する文化施設や芸術家に対する大規模な支援を約束した。3月23日には、7500億ユーロ(約90兆円)に上る連邦政府の経済対策の一環として、500億ユーロ(約6兆円)の巨費を投じて、(芸術や文化の領域も含む)零細企業や自営業者・フリーランス向けに、助成金(企業の規模に応じて、3か月で上限9000〜15000ユーロ、約108万円〜180万円)や融資(30000ユーロ以上、約360万円以上)のかたちで当座の運営資金を提供する支援策が発表された(助成金については3月27日にインターネットで受付を開始し、私の友人には、1週間もせぬうちにすでに9000ユーロが振り込まれたそうである)。それに加えて、個人の生活を維持するための100億ユーロ(約1200億円)も用意し、非常に手厚い支援策を打ち出した。「アーティストは(社会にとって)不可欠であるだけでなく、とりわけ今は、生きるために欠かせない存在だ」と言い切ったグリュッタース大臣の発言とならんで、関係者を勇気づけ、安心させるものである。

 フランス文化省は3月18日には、国立映画センター(CNC)、国立造形芸術センター(CNAP)、国立書籍センター(CNL)、国立音楽センター(CNM)などの領域別に存在する国立センターに設ける緊急基金を通じて、雇用維持のための支援策を打ち出した。さらに25日には、政府の経済対策の一環として、企業の借入保証(3000億ユーロ=約36兆円)とならんで、10億ユーロ(約1200億円、2020年3月の1ヶ月分)を投じて小規模・個人事業者(芸術文化も対象)に1500ユーロ(約18万円)、場合によって3500ユーロ(約42万円)を支給する方針も打ち出された。フランスには、舞台芸術や映画・視聴覚産業におけるフリーランス労働者のうち一定の基準を満たした「アンテルミタン」に失業手当を支給する制度が平時より存在し、文化を下支えしているが、3月19日には文化省と労働省は、その受給条件を緩和するとともに、封鎖期間中は手当を打ち切らず延長することが発表された。3月27日には(アンテルミタンには含まれない)芸術家・作家の支援のための最初の行動計画が発表されている。

 英国政府は、雇用を維持して一時帰休を実施する企業に、月2500ポンド(約34万円)を上限として給与の最大80パーセントを助成することを3月20日に発表した(予算総額は3500億ポンド=約47兆円に上る)。3月26日には救済の枠を広げ、年間利益50000ポンド(約675万円)以下の個人事業主に対しても2500ポンドを上限として、平均月間利益の最大80パーセントを補償することを発表した(総額780億ポンド=約1兆円と見られる)。アーツ・カウンシル・イングランドは公的助成を受ける文化セクターで活動する個人向けに2000万ポンド(約27億円、1人当たり最大2500ポンド)、ナショナル・ポートフォリオ助成団体向けに9000万ポンド(約122億円)、それ以外の団体に5000万ポンド(約68億円)、総額1.6億ポンド(約216億円)を支出することを発表している。

 先進国のなかでは例外的に、アメリカ合衆国では、国家という公共が文化において果たす役割はきわめて限定的で、民間の非営利セクターが文化の公共性の主たる担い手である。その合衆国においてさえ、連邦政府による空前の2兆ドル(約220兆円)の緊急パッケージの一環として、全米芸術基金(NEA)が非営利芸術団体を対象とした7500万ドル(約83億円)の緊急支援を打ち出している(通常の助成と違ってこれは運営費に充てることが可能である)。

連帯に基づいた迅速な行動を

 翻って日本はどうか。もともと日本では文化に対する公的助成の絶対額が小さく、といって民間(非営利)セクターが強固であるわけでもなく、財政基盤の脆弱な小規模組織や個人が中心となって文化を支えている。それゆえに入場料収入に依存する割合が高く、イベントの自粛や中止の影響はより深刻である。組織・個人を問わず、資金の枯渇はすぐ目の前にやってきているのだが、危機に対する応答は未だ方向性さえ見えてこない。

 具体的には何ができるのか、何をすべきなのか。これを書いている私にも明確なヴィジョンがあるわけではないが、各国の緊急支援策を調査して見えてきたことがあるので記しておきたい。

 ひとつは、英国/イングランドでもフランスでもドイツでも、小規模な組織・企業や個人事業主(フリーランス)が芸術文化を支えていることが理解されているからこそ、フリーランスの労働者まで含めた個人と中小規模の企業・組織に対する給付、助成や融資が重視されているのだといえる。これは、日本ではなおさら重要となる点である。

 さらに、個人と組織がこぞって自己防衛に走ろうとする現状において必要なのは(フランス文化省が述べたように)「連帯」を忘れないことである。相対的に財政基盤が安定した組織(すなわち、第一に国や自治体、第二にそれらが設立した助成機関や文化施設などの外郭団体)が、より不安定な立場にある外部の組織(上演団体や製作会社)、さらに不安定な立場にある個々のアーティスト/労働者を連帯して支援する必要がある(もちろん、苦況に立たされているのは、芸術文化セクターだけではなく、ほかのすべてのセクターと連帯する必要もあることはいうまでもない)。

 コロナウイルスという目に見えない、いまなお未知の脅威を前にして、そして収束に要する時間がまだ見通せないがゆえに、感染に対する不安、将来に対する不安は日ごとに増大している。国は、東日本大震災の経験と教訓を生かしながら、緊急経済対策に盛り込まれる予定の中小企業支援策や生活支援策の対象に、芸術文化の組織と個人もしっかりと含めて、給付・助成・融資を通じて芸術文化セクターに充分な資金を供給し、将来に対する不安を払拭してほしい。文化庁には、経済産業省や厚生労働省と連携のうえ、そうした情報の徹底した周知、手続きの支援、フォローアップを図り、年度前半の活動の落ち込みを挽回するための(震災後にもとられたような)積極的施策をとることが求められる。公的助成団体には、助成対象事業が中止になった場合でも、すでに内定している助成金の返還を求めないこと、さらに助成金の使途の制限を例外的に緩めて損失の処理を認めること、そして自由度の高い(運営費にも充てることが可能な)資金を提供することを検討してほしい。公共文化施設にも、中止になった事業の会場使用についてキャンセル料を課さないこと、(シンガポールに倣って)今後の活動を下支えするために会場使用料を減免すること、インターネット上での活動や再開後の活動にアーティストをより多く起用して(あるいは作品を購入して)対価を支払うことなどを期待したい。

 野田秀樹が「劇場の灯を消してはいけない」と最初に述べたのは2011年の震災直後のことだったが、3月1日にも「ひとたび劇場を閉鎖した場合、再開が困難になるおそれがあり、それは『演劇の死』を意味しかね」ず、「公演の継続を望む」という意見書を発表した。それを受けるかのように、宮田文化庁長官も「日本の文化芸術の灯を消してはなりません」というメッセージを3月28日に発表している。現状では文化施設の閉鎖はやむを得ないものだとして(状況が悪化を続ける現在、それがコンセンサスになりつつある)、ならば、組織/個人の資金の枯渇、活動の破綻を防ぐための資金の供給、連帯に基づいた迅速な行動が何よりもいま、必要なのである。

 そのうえで、ウイルスが世界に生じさせた数々の分断を、これからいかにして修復していくのか。延期されたオリンピックとその文化プログラムが、みんなの健康、市民的な公共性、国境を超えた協調の象徴となるように、私たちは知恵を絞る必要がある。

 

*──ベルリン演劇祭、バイロイト音楽祭(以上ドイツ)、ラ・フォル・ジュルネ(フランス)、カルフール演劇祭(カナダ/ケベック州)などはすでに中止が発表されている。フェスティヴァル・トランスアメリーク(カナダ/ケベック州)は規模を縮小したうえで実施、クンステンフェスティヴァルデザール(ベルギー)、ウィーン芸術週間(オーストリア)、アヴィニョン演劇祭(フランス)は内容を変更したうえで実施、ヴェネツィア建築ビエンナーレ(イタリア)、バーゼル・アート・フェア(スイス)、マニフェスタ13(今回はマルセイユ)は開催時期を変更(延期)の方向だが、今後中止に追い込まれる可能性は残る。

*ドイツに関する記述に不正確な部分があったので、訂正する(4月7日)