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2019.10.19

「あいトリ」補助金不交付問題は県vs国の法廷闘争へ。今後の展開を行政法学者が解説

10月14日に閉幕した「あいちトリエンナーレ2019」について、文化庁が補助金を交付しない決定をした。このことに対し、弁護士で行政法学者でもある平裕介が係争問題についてまとめたブログを公開。ここではそのブログをもとに、「補助金適正化法」に基づく決定をめぐる訴訟の担当した経験から、今後ありうる展開を解説する。

文=平裕介

「あいちトリエンナーレ2019」のメイン会場となった愛知芸術文化センター

 はじめにお断りしておかなければならないことは、記事には、それなりの数の法律専門用語が登場するため、まったくあるいはほとんど法律の知識がない方にとっては多少読みにくい箇所が出てくるということである。

 筆者としては、そのような方々にこそぜひとも読んでいただきたいと考え、できるかぎりわかりやすく記事を書いたつもりではあるが、事柄の性格上、わかりやすくするにも限界があり(より長文になってしまうこともあり)、また、平易さを優先するあまり正確性を犠牲するというわけにもいかない。そのため、多少の難しさ、堅苦しさを感じる部分がどうしてもあるかもしれない。とはいえ、現段階では、愛知県の争い方などについての詳しい解説が報道されていないと思われるので、専門的過ぎると感じる部分や判例の年月日、「細かい話ではあるが......」などと書かれている部分等は適宜読み飛ばしていただき、最後までご一読いただければ幸いある。

 もちろん、法律の知識がある程度ある方や、記者の方、弁護士等の法律の専門家の方々にもお読みいただき、ご意見等をいただければと考えている。

目次

  1. 今回の補助金不交付問題の事実の概要について確認
  2. 補助金不交付決定の争い方として、行政(文化庁)自身による再考を促す方法(行政救済)としての「不服申出」の説明
  3. 裁判所による救済(司法救済)としての「取消訴訟」(・申請型義務付け訴訟)と「国賠訴訟」の説明
  4. 今後の訴訟等で問題となる補助金不交付決定の違法性(違法か、それとも適法か)についての論点・争点についての整理

1. 補助金不交付決定の概要

 愛知県で開催された「表現の不自由展・その後」の企画展を含む国際芸術祭(国際現代美術展開催事業)「あいちトリエンナーレ2019」は、一度は脅迫や抗議により同企画展が中止に追い込まれたが、10月8日、安全・セキュリティー対策を施したうえで再開され、同月14日に75日間の会期を終え、閉幕した

 愛知県のウェブサイトで公表されているあいちトリエンナーレ検証委員会による2019年9月25日付け「中間報告」の別冊資料1「データ・図表集」55頁等によると、展示に関して肯定的な意見も多数あったいっぽうで、とくに同芸術祭における企画展「表現の不自由展・その後」の展示物の内容に関して、「反日展示会という感想」を抱くなど強い不快感等を示すなど否定的な意見も多数見られた。

 9月25日、同芸術祭実行委員会の会長である大村秀章愛知県知事は、10月14日までの会期中に「表現の不自由展・その後」の展示再開を目指す考えを示した

 その翌日(26日)、同芸術祭につき、萩生田光一文部科学相は、すでに「採択」が決まっていた補助金約7800万円の全額を交付しないと発表した。萩生田文科相は、展示の内容をみて不交付を決めたのではなく、申請に関する不備があったからである旨述べている。

 文化庁も、同日付けで、文化資源活用推進事業の補助金審査をした結果、補助金適正化法6条等に基づき、全額不交付とすることとしたことを公表した。全額不交付とした理由のひとつとして、補助金申請者である愛知県が、展覧会の開催に当たり、来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していたにもかかわらず、それらの事実を文化庁から問合せを受けるまで文化庁に申告しなかったことにより、[1]実現可能な内容になっているか、[2]事業の継続が見込まれるか、の2点の適正な審査を行えなかったことを挙げている。

 

2. 補助金不交付決定の争い方・その1(行政救済/不服申出)

 一般的に、補助金の交付の申請を拒否された、すなわち不交付とされる決定を受けた者は、その不交付とされた者を誰が救済するかという観点から分類すると、行政自身による再考を促すことで行政による救済を受ける方法(行政救済)と、行政とは別の裁判所による救済を受ける方法(司法救済)の2つがある。

 後者は第三者機関である裁判所を利用した訴訟であるため、法学部等で法律を学んだことがないという方でも知っていたり、多少のイメージを持っていたりするものかもしれないが、前者は、聞いたことがなかったという読者の方もいるのではないだろうか。

 「行政救済」は、行政自身(今回の補助金不交付の件でいうと文化庁)に考え直してもらい、再度補助金の不交付決定のような拒否処分を取り消してもらえないか検討させることで、最終的には申請の許可等(本件でいうと補助金の交付)を促すという救済方法である。自治体ではなく私人(一般の市民)が国側に対して行政救済を求めるという場合には、行政不服申立て(本件の場合そのうちの審査請求)という手段によることになる(行政不服審査法1条1項、2条)。

 今回のケースのように、愛知県のような自治体が国(文化庁)側に対して同様に再考を促す場合には、不服申出(不服の申出)という手段が法律で定められている(補助金適正化法25条1項)。この不服申出は、上記不服申立ての特例であると考えられているため(*1)、愛知県のような自治体は、不服申立て(審査請求)を用いることはできず、不服申出による行政救済を求めることになる。

 不服申出があった場合、補助金等の交付行政庁の長(今回の件では文化庁長官)は、不服を申し出た者(今回の件では愛知県)に意見を述べる機会を与えたうえ、必要な措置をとらなければならないとされている(補助金適正化法25条2項)。ここでいう必要な措置とは、不服申出が不適法であるとして却下するか、不服申出の理由が「理由がない」として棄却するか、あるいは「理由がある」として不服申出を認容し、原処分を取り消す等の裁決を行うことを意味する(*2)。

 なお不服申立ては、行政処分等が違法か適法かという点のほかに、その不当・妥当についても審査するものである。例えば、補助金不交付のような行政処分が違法ではなく不当である場合でも、その行政処分が取り消されることになるため、違法・適法の点しか審査されない訴訟よりも審査の範囲が広く、この点が一般的には不服申立て(行政救済)のメリットとされている。

 しかし、実際には不当の審査がなされる例は少なく(*3)、また、公平性・公正性は訴訟よりも劣ると考えられていることから、訴訟を提起するため大前提となっていない場合には、あえて不服申立てを利用せず、いきなり訴訟を提起する方針を採る弁護士(市民)も少なくないように思われ、このことは、不服申出にも同様に妥当するものといえる。

 おそらく、このような観点から大村知事としては、行政救済としての不服申出で争うことには消極的であり、司法救済としての訴訟だけで争う旨を述べたのではなかろうか。

 ちなみに大村知事は当初、不交付となる場合には国と地方の争いを審査する総務省の第三者機関である「国地方係争処理委員会」での審査を申し出る考えを示していた(*4)。しかしその後、「時間がかかる」として、不交付決定の取り消しを求めて国を提訴する考えを明らかにした(*5)。

 大村知事が当初言及していた国地方係争処理委員会での審査は、今回の補助金不交付の件ではそもそも利用することができないものとされていることから(*6)、行政救済は同委員会の審査によるものではなく、不服申出によることになる。

3. 補助金不交付決定の争い方・その2(司法救済/取消訴訟・国賠訴訟)

3-1. 補助金不交付の取消訴訟(・補助金交付の義務付け訴訟)

 次に、裁判所による救済手段(司法救済)、すなわち訴訟提起による方法について説明しよう。考えられる訴訟の類型は、行政訴訟のうちの抗告訴訟である処分取消訴訟(行政事件訴訟法3条2項)と、一般には民事訴訟と解されている国家賠償請求訴訟(国家賠償法1条1項)である。

 前者については、補助金交付処分の義務付け訴訟(申請型義務付け訴訟、行政事件訴訟法3条6項2号)を併合提起することもできる。ただし、この義務付け訴訟については、被告による理由の差替え・追加が広く認められうる結果を招く可能性があるなど実務上の(原告にとっての)デメリットもあると考えられることから(*7)、義務付け訴訟を併合提起するかどうかにつき、普通の代理人弁護士であれば慎重に検討するだろう。

 おそらく、ほとんどの行政法研究者や行政争訟を扱う実務家は、今回、愛知県が提起することになる取消訴訟は、自治体が私人と同様の立場(私人もまた立ちうる立場)で提起するものと考えられることから、問題なく(裁判所の審判対象となるものとして適法に)提起できるものと考えるだろう(*8)。

 もっとも、一切問題がないのかと言えばそう言い切れないのかもしれない。というのも、過去に最高裁はこれまで学説や判例でとくに言及されてこなかった(と考えられる)審判可能な事件とされる(裁判所法3条1項にいう「法律上の訴訟」に当たるといえる)ための新たな要件を判決理由中で示し、実体判断をしなかったことがある(宝塚市パチンコ店規制条例事件*9)。

 補助金不交付が争われている本件と、この宝塚市の判例とは、事案が異なるものの、少なくとも自治体が原告となる訴訟という点では共通することから、「法律上の争訟」性の認否が争点となること一応が予想される。「法律上の争訟」性が否定されてしまうと不適法な訴訟とされ(「司法権」[憲法76条1項]がおよばない事件とされ)、違法・適法等の審判がされないことになるのである。つまり、今回の訴訟においても最高裁が宝塚市パチンコ店規制条例事件で述べたような、その時点での学説判例ではほとんど想定外の判示がなされることにより、補助金不交付処分の違法性の判断がなされなくなるというリスクがゼロとはいえないように思われる。

 筆者としては、裁判所は「法律上の争訟」性を肯定したうえで実体判断をすべきと考えるが、上記のようなリスクが少しでもある以上、訴訟を提起するとともに、不服申出も行っておくのが無難であるとも考えられる。ゆえに、訴訟一本で争うという判断はややリスキーであるように思われる。

 なお、国地方係争処理委員会での審査がなされることを前提とする機関訴訟(地方自治法251条の5、行政事件訴訟法6条)は、取消訴訟と同じく行政訴訟の一種であり、最近では沖縄県名護市辺野古沿岸の埋立てをめぐる一連の紛争で用いられた(*10)が、今回のケースでは利用することのできない訴訟である。

3-2. 国家賠償請求訴訟

 以上のように、裁判所が「法律上の争訟」性を否定することで、違法・適法等の審判をしないというリスクがゼロとは言えない(であろう)ことを考慮し、原告側として考えられる対策は、国家賠償請求訴訟(国家賠償法1条1項)を併せて提起しておくことであろう。この点に関し、杉並区住基ネット訴訟(*11)においても、杉並区が東京都を被告として提起した受信義務の確認訴訟については「法律上の争訟」性が否定される可能性があったために(現に否定されている)、併せて国家賠償請求訴訟が提起されており、同訴訟は「法律上の争訟」性が否定されていないのである(*12)。

 また、国賠訴訟であれば、一部認容判決がなされるという可能性もあるため、愛知県側が一矢報いることになる面のある訴訟類型であるともいえよう。もちろん「一部」認容では十分な救済ではない、表現の自由を実質的に守るためには全額の認容が妥当であるなどの意見はあろうが、本稿はその当否について論じるものではない。

 なお、細かい話ではあるが、以前は、金銭(例えば本件の補助金)の給付に係る処分(申請拒否処分)について、取消訴訟を提起して処分を取り消すことなく、交付されなかった分の国家賠償請求を認容してよいかについては、裁判例の結論が分かれていたが、平成22年の最高裁判決により一応の決着がついたため、今回の補助金不交付の件でも、国家賠償請求訴訟を提起して請求が認容される可能性はあるといえよう(*13)。

4. 補助金不交付決定は違法か?(論点整理)

4-1. 補助金適正法6条1項に係る違法事由の認否に関して

 訴訟等で問題となるであろう(本件補助金不交付決定が違法なものか適法なもの関する)主たる論点について簡単に整理することとしたい。

 取消訴訟(や不服申出)の本案では、主として、補助金適正法6条1項に係る違法事由の有無が争われることになるだろう。

 最近の新聞報道を見る限り、憲法21条1項(表現の自由)憲法14条1項(平等原則、平等権)等との関係で、補助金不交付には問題があると評するものが多い。これらの憲法の条文は、基本的には補助金適正化法6条1項に係る違法があるかどうかを判断する過程で登場するものと位置付けられるものとなろう。ゆえに、今回の事態を冷静に分析するためには、まずは文化庁の示した理由を行政法の観点から丁寧に読み解く必要がある。

 補助金適正化法につき検討すると、同法6条1項の事業内容の「適正」さの要件(あるいは同項の「等」の要件)やこれと関連する同法施行令3条1項3号の事業の「遂行に関する計画」との関係、加えて同法施行令3条2項4号が事業の「効果」に関する書類の提出を求めていることに照らすと、文化庁の示している[1]事業の内容が「実現可能な」ものか否か、[2]「継続が見込まれる」ものか否かが、事業内容の「適正」さを判断するための一要素となりうるものであり、これらが文化庁の審査項目となるという理解が(一応)成り立ち得るものと考えられる。

 文化庁は、形式的に見るかぎり、展示される作品がどのような内容なのか(芸術的価値等)については審査しておらず、同法6条1項の事業内容の「適正」さ(あるいは同項の「等」)の要件との関係で、[1]実現可能性および[2]継続の見込みがあることに関する申請書の記載や添付書類が十分なものではなく、追加的な記載や書類の提出等もなかったために「申請手続において、不適当な行為」があったと評価し、「適正」な事業かどうかの要件の判断が十分にできない申請がなされたと評価したものと考えられる(*14)。

 すなわち、文化庁の示す理由によるかぎり、有識者により採択基準に適合するものと判断された点自体を文化庁が再度審査して補助金交付がNGであるとしたわけではなく、これとは一応(多少の関連はあるだろうが)別の観点(事業が実現でき、その継続が不能・困難となる自体が生じないかという点)の審査項目の充足性を申請書等からは十分にチェックできなかったものとしているわけである。

 このようなことから、文化庁としては

(A)同法5条の申請書(の記載)と添付書類(やこれらに関する申告)が不足していた(申請に係る形式上の要件を満たさない)として申請を却下した

あるいは不足していなかったとしても

(B)「適正」の要件を満たさない(実質要件・実体的要件を満たさない)事業であるとして申請を拒否する判断(申請拒否処分)をした

ものといえよう。不交付処分と同時に文化庁が示した理由からは(A)か(B)かは必ずしも明らかではないようにみえるが、この点は、遅くとも訴訟等の段階において明らかになってくるだろう。おそらく国側(文化庁)としては、訴訟等において(A)ではないとしても(B)である旨を主張してくるのではなかろうか。

 まず、上記(A)「申請書の不足から却下」から検討すると、申請の形式上の要件とは、申請が有効に成立するために法令において必要とされる要件のうち、当該申請書の記載、添付書類等から外形上明確に判断し得るものをいう。それは、法令の規定する実体的要件の判断のために不可欠とる必要最小限のものに限られると解されるところ(*15)、文化庁としては、[1]事業内容の実現可能性や[2]継続の見込みに関する事項(例えば事業実施時点に予想される混乱についての対応)につき申告すべきであったとしている。

 しかし、係る事項が同法6条1項の規定する実体的要件の判断のために不可欠となる必要最小限のものといえ、申請の形式上の要件といえるか否かが論点・争点のひとつとなるだろう。

 次に(B)「適性の要件を満たさない」を検討する。[1]事業内容の実現可能性や[2]継続の見込みの判断は、芸術的の価値の判断ではなくトラブルが起こるリスクに関するものともいえるため、必ずしも採択の審査を行う芸術の専門家(有識者)の判断に馴染むものとはいえず、むしろ文化庁職員側の判断に馴染むものといえるという立場もありうるところであろう。

 この点に関し、今回の芸術祭では有識者からなる審査委員会がその企画を審査し採択したにもかかわらず、文化庁が補助金の不交付決定を審査委員会の有識者と無関係に行った点を批判する意見がある(*16)が、この意見は、[1]事業内容の実現可能性および[2]継続の見込みの判断が、芸術の専門家の判断に馴染むものであることを前提とするものと考えられ、このような前提に立つのであれば、不交付処分が違法とされる可能性がある。同法6条1項の「適正」や「等」の点に要件裁量があるとしても、判断過程が不合理なものとされる結果、裁量権の逸脱濫用(行政事件訴訟法30条)の違法が認められよう。

 もっとも、前述したとおり、そもそも芸術の専門家の判断に馴染むか否か自体が争点となることが予想されることから、原告側としては、仮にこれらの判断が芸術家の専門的判断ではなく、文化庁職員側の判断に馴染むものといえる場合であることを前提としても、原告側に有利な主張を述べておく必要があるだろう。

 ここで、同主張を基礎づけるものとして参考になりそうな最高裁判例(ただしそれぞれ補助金不交付処分の事案ではない)は、上記要件裁量(*17)がある程度広いものとされる場合には最三小判平成18年2月7日民集60巻2号401頁(呉市学校施設使用不許可事件)であり、裁量が狭いものとされる場合には最三小判平成7年3月7日民集49巻3号687頁(泉佐野市民会館事件)と最判平成8年3月15日民集50巻3号549頁(上尾市福祉会館事件)であるものと考えられる。

 例えば、呉市学校施設使用不許可事件の判示に照らすと、申請時点で脅迫や抗議等が予期しえた点を過度に考慮・重視して文化庁が補助金不交付処分をした判断過程は、考慮事項に対する評価が明らかに合理性を欠くものであるとして、裁量権の逸脱濫用が認められるといった構成が考えられよう(*18)。

 なお、脅迫はともかく、申請時点で抗議等が予期しえたことにつき、文化庁が調査権限(あるいは行政指導)を行使しえたにもかかわらず、それを懈怠(けたい)したことから審査事項を考慮できないこととなった(ゆえに考慮不尽が認められ、判断過程が不合理であり、裁量権の逸脱濫用の違法が認められる)という原告側からの主張も予想されるところであり、この主張の認否も争点となるだろう。

 また仮に、補助金適正化法6条1項の要件との関係で[1] 事業内容の実現可能性や[2] 継続の見込みが考慮事項となるとしても、今回のような考慮に基づく判断は「異例の対応」であったことから、不合理な(合理的な理由のない)差別であり、平等原則に違反し、裁量権の逸脱濫用が認められるのではないかが、さらに争点のひとつとなるだろう。

 なお、前例がない(あるいはほとんどない)理由によるという点から、権限の濫用ないし動機の不当性が認められる余地もあろう(*19)。

 ところで補助金適正化法6条1項は、「申請に係る書類等の審査及び必要に応じて行う現地調査等により」と規定していることから、文化庁は補助金を交付するか否かの審査に際して「調査」を行う権限を有していることが読み取れる。

 そうすると、同審査に際して文化庁としては、今回の芸術祭の全体の経費等や展示スペース等のうち、「表現の不自由展・その後」の経費等や展示スペース等がどの程度の割合を占めるものであったのかという点につき、比較的に容易に調査(講学上の行政調査)しえたと思われる。またそのための調査権限を行使すれば、少なくとも全額不交付とせず「表現の不自由展・その後」の経費等を考慮した分を除いた一部の補助金交付をするという処分もできた(本稿は、このような処分をすること自体の当否を論じるものではない)ように思われる。

 あいちトリエンナーレ2019の総事業費は10億8824万円であり、「表現の不自由展・その後」分は420万円であることから(*20)、不自由展は全体の1パーセント未満(約0.39パーセント)であった。にもかかわらず、上記のような調査をしなかったことにより、このような割合を考慮することなく補助金不交付の判断を行った過程は不合理であるとして裁量権の逸脱濫用が認められる余地はあるものと考えられる。また、同項に基づく調査権限があるということは、文化庁としては、上記割合に関して申請人(愛知県)側に申告するよう促す行政指導をする権限を有していたと考えられるため、同様にこの行政指導の不行使に係る違法も問題とされうるだろう。

 このように、訴訟等では補助金全額を不交付としたことについての調査義務の懈怠に基づく違法性の認否が争点のひとつとなることが予想される。なお、一部の問題につき全額を不交付とするのは比例原則との関係で問題があるという考えもあるのかもしれない。しかし本件のような給付行政の場面では、通常規制行政の場面で登場する比例原則は、普通は問題になりにくいように思われることから、やはり上記のような調査権限行使の懈怠(調査義務違反)の点を検討する必要があるように思われる。

 

4-2. 権限不行使による違法(国家賠償法1条1項)に関して

 国家賠償請求訴訟では、国家賠償法1条1項が規定する「違法」性要件との関係で、公務員が負担する「職務上の法的義務」(*21)あるいは公務員が「職務上通常尽くすべき法的義務」(*22)の有無やその懈怠の認否が争われることから、取消訴訟よりもストレートに、調査権限の不行使あるいは行政指導の不行使に係る違法性が問題となるものと考えられる(*23)。また国賠訴訟であれば、前述したとおり、一部認容という可能性もある。

 

4-3. 憲法等の位置づけ

 最後に、補助金適正化法に係る違法事由(裁量権の逸脱濫用)と、憲法や文化芸術基本法等の関係法令との関係につき、若干の説明を加えておくこととする。

 補助金適正化法6条1項に基づく不交付処分の要件につき、要件裁量が認められることについてはすでに述べた。このことに関し、行政裁量の認否・広狭(範囲)を検討するに当たって考慮される要素・事項は、論者によって若干のニュアンスの違いはあるものの、

(あ)処分の目的・性質、対象事項(許可か特許かなど)
(い)処分における判断の性質(政治的政策的、専門技術的判断等が要求されるか)
(う)法律の文言・処分の根拠法規の定め方等

の3つ(3要素)であり、このうちのひとつだけで判断すべきものではなく、総合的な判断が必要とされる(*24)。

 そして、(あ)処分の性質に関しては、当該処分において衡量・調整される関係利益のウェートが考慮されるものとなると考えられる(*25)ところ、行政関係争訟の実務においては、基本的には、この関係利益(本件では愛知県の補助金の交付を受ける利益)がより重みを増すこととされる(重視されるべき利益とされる)ための理由のひとつとして、表現の自由(憲法21条1項)の保障を「実質化」(*26)すべきことが述べられるべきこととなるものといえよう。また、判断過程における考慮事項をどの程度考慮・重視すべきかという点との関係で、表現の自由保障を実質化すべき(ゆえに原告側に有利な各考慮事項の重み付け等がなされるものと解すべき)旨の主張が展開されることとなろう。

 ちなみに、文化芸術基本法の前文や関係条項から同様の主張をすることも考えられる(「『具体的な規範が必要』。弁護士・水野祐に聞く文化庁補助金不交付の影響」参照)。

 また憲法14条1項も、すでに述べたとおり、裁量統制のための審査手法のひとつとして登場するものといえる。

 このように、憲法の条項(表現の自由を規定する21条1項等)は、いわば補助金適正化法6条1項という行政法規(行政裁量)の「中」で作用するものとみられ、結局のところ、補助金適正化法という法律の解釈・適用をするに際して登場する(に過ぎない)ものといえる(*27)。そのため、補助金適正化法の解釈を離れて、別個独立に憲法論を展開することは、現在の裁判実務では(現実に県が勝訴するには)、ほとんど意味がないことのようにも思われる。

 なお、表現の自由がストレートに妥当する場面ではないことを前提に表現への助成に関する「国家の中立義務」の問題として本件をとらえようとする意見もみられるところである(*28)。しかし、国家の中立義務の問題であるというには、表現に対する補助金等の助成措置を講ずると決定した後の場合であることが必要である(あるいは少なくともそのことが重要な要素である)ものと考えられるところ(*29)、本件は補助金交付の申請に対して交付しないという処分がなされた事案であり、交付処分が取り消された(補助金適正化法17条1項の)事案ではないから、助成措置を講ずると決定した後の場面ではなく、形式的には同決定前の場面であるといえよう。

 そうすると、本件を「国家の中立義務」の妥当する事案としてとらえるためには、補助金交付に関する採択があったことや、この採択は交付処分のいわば内定通知ないし内示としての性質を有するものと解されること(*30)、ゆえに実質的にみれば助成措置を講ずると決定した後の場合と同視しうることなどを主張する必要があるように思われる。

 ちなみに、あいちトリエンナーレ実行委員会会長代行の河村たかし名古屋市長は、会見で「表現の不自由展・その後」の展示内容につき、事前に市側に十分な説明がなく、故意に隠されていた可能性があると主張し、検証が必要である旨述べており、芸術祭の市の負担金約1億7100万円(うち約1億3720円は支払済み)の未払い分3300万円は2019年10月18日に支払う予定であったが、「当面」は「保留する」ようである(*31)。

 未だ事実関係が十分に明らかではないように思われるところではあるが、こちらの名古屋市の負担金の話の方が、文化庁の補助金不交付決定よりも、上記の「助成措置を講ずると決定した後の場合」と言いやすいように思われる。

 以上、補助金不交付決定は違法か?という問題に関する論点整理を試みた。各論点・争点に対する私見は基本的には示していないが、これについては今後別稿で論じる予定である。

*1──小滝敏之『補助金適正化法解説〔全訂新版(増補第2版)〕―補助金行政の法理と実務―』(全国会計職員協会、2016年、342頁)参照
*2──小滝・前掲文献347頁
*3──平裕介「行政不服審査活用のための『不当』性の基準」公法研究78号(2016年)239頁参照
*4──2019年9月26日朝日新聞夕刊11面
*5──同月27日朝日新聞朝刊1面・35面
*6──同委員会による審査対象は国の「関与」の一部であるが、国の自治体に対する補助金交付に係る処分はこの「関与」から除外されている。地方自治法245条柱書、250条の13第1項等参照
*7──曽和俊文「土地買収価格の公開をめぐる紛争」曽和ほか編著『事例研究行政法[第3版]』(日本評論社、2016年)145~146頁、神橋一彦『行政救済法(第2版)』(信山社、2016年)164頁参照
*8──小滝・前掲文献356頁等参照
*9──最三小判平成14年7月9日民集56巻6号1134頁(宝塚市パチンコ店規制条例事件)、西上治『機関訴訟の「法律上の争訟」性』(有斐閣、2017年)59頁等参照
*10──同紛争の概要が簡潔にまとめられた文献として、板垣勝彦『自治体職員のための ようこそ地方自治法』(第一法規、2018年)77~78頁
*11──東京地判平成18年3月24日判例地方自治278号19頁、東京高判平成19年11月29日判例地方自治299号41頁、最三小判平成20年7月8日判例集未登載=上告不受理
*12──神橋・前掲文献28頁等参照)
*13──最一小判平成22年6月3日民集64巻4号1010頁、最一小判平成26年10月23日判例時報2245号10頁参照)
*14──小滝・前掲文献127頁等参照
*15──山形地判平成30年8月21日判例時報2397号7頁参照
*16──蟻川恒正「『不自由展』の補助金不交付 文化専門職に判断委ねよ」2019年10月10日朝日新聞朝刊11面・憲法季評(連載)
*17──要件裁量が認められるものと解しうることに関し、小滝・前掲文献139頁等参照
*18──山本隆司『判例から探究する行政法』(有斐閣、2012年)239~240頁等参照
*19──裁量権の逸脱濫用を基礎づけるものとなりうる。山本・前掲『判例から探究する行政法』241頁等参照
*20──2019年9月27日毎日新聞朝刊29面
*21──最一小判昭和60年11月21日民集39巻7号1512頁
*22──最一小判平成5年3月11日民集47巻4号2683頁
*23──国家賠償請求訴訟において、調査義務違反の結果として公務員の過失や加筈行為の違法性を認定した判例・裁判例は多数ある。深澤龍一郎「行政調査の分類と手続」髙木光=宇賀克也編『行政法の争点』(有斐閣、2014年)57頁
*24──川神裕「裁量処分と司法審査(判例を中心として)」判例時報1932号(2006年)11頁参照。なお、山本隆司「日本における裁量論の変容」判例時報1933号(2006年)14頁、中原茂樹『基本行政法[第3版]』(日本評論社、2018年)130頁以下等、(う)の法律の文言を一番先に挙げる立場も多い
*25──山本・前掲『判例から探究する行政法』221頁等参照
*26──蟻川・前掲文献
*27──宍戸常寿「裁量論と人権論」公法研究71号(2009年)100頁以下参照。同106頁は、「現在の裁量論」では人権が「裁量の『中』に位置付けられ」ることを指摘する
*28──関係する判例・裁判例として、最一小判平成17年7月14日民集59巻6号1569頁(船橋市立図書館図書廃棄事件)、名古屋高金沢支判平成12年2月16日判例時報1726号111頁(富山県立近代美術官事件(天皇コラージュ事件)を挙げることができる
*29──小山剛『「憲法上の権利」の作法 第3版』(尚学社、2016年)204頁参照
*30──小滝・前掲文献199頁参照
*31──2019年10月16日毎日新聞朝刊28面