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2019.5.10

第16回芸術評論募集
【佳作】はがみちこ「『二人の耕平』における愛」

『美術手帖』創刊70周年を記念して開催された「第16回芸術評論募集」。椹木野衣、清水穣、星野太の三氏による選考の結果、次席にウールズィー・ジェレミー、北澤周也、佳作に大岩雄典、沖啓介、はがみちこ、布施琳太郎が選出された(第一席は該当なし)。ここでは、佳作に選ばれたはがみちこ「『二人の耕平』における愛」をお届けする。

小林耕平+髙橋耕平 接触の運用の往復 「【ALLNIGHT HAPS 2017後期】「接触の運用」#5 」(HAPS、2018)会場風景 撮影=松見拓也
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1、接吻―接触

 髙橋耕平と小林耕平の二人が2016〜18年に展開した「二人の耕平」(*1)は、「接触」を通じて「愛」という状態について考察するものである。と、つい〈考えさせられてしまう〉のは、「同化」がテーマのこのプロジェクトに髙橋が混ぜ込んだ、接吻やセックスなどの性愛にまつわるモチーフに依るところが大きい。そのなかでも際立つのは、目隠しをされた多数の人物の性的な接触が折り重なるように描かれた、髙橋の壁画《絵-接触の肯定から始める》[図1]だ。これは「二人の耕平」の4度目の展示「接触の運用の往復」(HAPS)にて、二人の耕平の造形物による掛け合いの起点として、ギャラリー壁面に提示された絵画である。平面的構成、文様のように画面に広がる線画、目隠しや性愛のイメージが生じさせる魔術的雰囲気といったこの絵画の様相は、19世紀から20世紀への転換期ヨーロッパの、いわゆる「世紀末芸術」の様式的特徴を思い起こさせる。

[図1]髙橋耕平 絵-接触の肯定から始める 「接触の運用の往復」での展示風景 撮影=松見拓也

 ユーゲントシュティールの慓徴とみなされるペーター・ベーレンスの版画[図2]や、グスタフ・クリムト、エゴン・シーレによる図像群に見出されるように、「接吻」や「抱擁」といった性愛のモチーフは、先の世紀末当時、拡大する資本主義社会と、それを下支えする科学的実証主義への対抗手段として要請された二つのテーゼ、「エロス」と「タナトス」をゆきかう象徴であったのだろう。これらの神秘主義が扱う接触は、唯一無二の「ファタール(宿命的)」なものとして、劇的に演出されて描かれたが、髙橋の接吻の絵にはしかし、そうした劇的な要素は見出されない。

[図2]ペーター・ベーレンス 接吻 1898 印刷(オリジナルは木版) 19.0×15.2cm 豊田市美術館蔵

 まずもって髙橋のものでは、複数の人物像のペアが描かれており、接触の唯一性という幻想は軽々と放棄されている。これが同一のペアの様々な接触の異時同図であるのか、あるいは別々のペアによる接触が乱交的に描かれた状況であるのかは明瞭ではないが、ここではっきりとしているのは、接触は複数のかたちを持つ、ということだ。いくつかにおいては、髪型やバストといった身体的特徴から男女の人間のペアと推定されるが、あまりにも細部的な描写のために、性別どころか、人体のどの部位がどう接触している描写なのか判別がつかない部分もある。たんに有機的物体のかたちの連なりとなったそれらは、岩肌に合わせて形象が与えられた洞窟壁画のような呪術性を醸し出す。

 髙橋が「全方向の接触行為」と述べる、この複数性の愛とでもいうべき表現は、ベーレンスの接吻の図像が示すような中心化の平面構造を拒むものでもある。後には建築家に転身し、機能主義のモダン・デザインを先駆けたこの構成主義者の画面は、二人の人物のうねる髪の毛のリズミックな動きが、中心の接吻–接触の静止した緊張状態を厳格に縁取りし、視線を接触点に集める構図となっている。接触が神秘性を帯びるのは、こうした中心化構造の貢献によるものだ。

 これに対し、髙橋の画面では、視線は触知的になぞるように接触の変奏を次々と追い、その接触点の一つひとつを認知する瞬間に小さな思考停止が引き起こされる、ダブルバインドのような事態が発生する。静と動の両立は、縁取りなく脱中心的にじわじわと拡散していく。また、ウィーン分離派に特徴的な、法悦や頽廃などの陶酔的なロマン主義も、元来は禁欲的制作態度を示してきた髙橋には無縁のようだ。濃密な接触のかたちを重ねながらも、近代的主体の表現となるメランコリックな感情はここでは希薄であり、物理的接触の戯画的な扱いはエロティシズムを排している。

 ここで、髙橋のこの接吻絵画をさらに考察するにあたって比較参照するべきなのは、むしろエドヴァルト・ムンクの愛についての連作における《接吻》である。1897年の油彩画では、ムンクは、口づけする男女のその接触点をあえて描かず、色面の塊りで二人の頭部をつなげた(このモチーフは版画と油彩画で繰り返されているが、共通して頭部が融解する描写となっている)。ムンクの描く接吻–接触の融解に、同時代の文学者、スタニスワフ・プシビシェフスキは「個人的意識の消失」を見てとる。

ひとは二つの人間の姿を見る、その顔はひとつに融けあっている。そこには一人一人を識別できる輪郭はなにもない。ひとが見るのは融解点だけであり、それはひとつの大きな耳のように見え、それがまた血の恍惚のなかでつんぼになるのだ。それは溶けた肉を捏ねあわせた塊りのように見え、そこにはなにか胸のわるくなるようなものがある。たしかにこの象徴化の方式は異常である。しかし接吻という情熱のすべて、痛みにみちた情欲のおそるべき力、個人的意識の消失、二つのむきだしの個性のあの融合——すべてこれらのことがきわめて率直に描出されているのだから、われわれはその胸のわるくなるような異常な様相をも見逃さなければならないということだ(*2)。

 前述のとおり、複数の接触点を画面上にコラージュして集積する髙橋の接吻の絵画は、「個人的意識」や「むきだしの個性」、さらには「痛みに満ちた情欲」の引き起こす宿命を感じさせるものではない。19世紀末の画家が、表象不可能として塊りに変えた「胸のわるくなるようなもの」(接触の外側にいるわれわれはその接触のかたちを見ることができない)、この接吻–接触による融解の内実をこそ、髙橋はクローズアップにして表象する。ここでは身体は断片化され、個人たる人間の輪郭はすでに問題とならない。

 髙橋がこの前段階に接触のテーマを扱った作品として、「『切断』のち『同化』」(kumagusuku後期)に出展の《48》[図3]が挙げられるだろう。四十八手の全体位をとる二人の人物を、上からシーツを被せて一つひとつ写真撮影した作品だ。これは写真作品、ポスターのかたちで発表されている。会場で配布されるポスターには、動画サイトのURLが記載されており、体位名のナレーション入りスライドショー映像を見ることができる趣向だ(*3)。シーツによる、接触の隠蔽。クリストのごとく、梱包されたオブジェクトは意味性をその内に閉じ込める。タイトルが仄めかすものの、映されたその対象がなんであるかは、サイト上で発表された映像の「ネタバレ」に当たるまで気づかない可能性が高い(少なくとも、シーツの向こうに存在する人物たちがどのような組み方をしているか、画像のみで判別がつく鑑賞者はほぼいない?だろう)。シーツはまた、接触する二人の輪郭を一個体にまとめる機能を果たす。鑑賞者が目にするのは、二つの人間の姿ではなく一つの彫刻的な隆起である。ムンクの接吻絵画と同様に、ここにおいてもまた、外側のわれわれはその接触、その融合のかたちを見ることはできない。同展示内で動画サイトのURLとパスワードが掲示された《口口(mouth mouth)》(*4)は、無数の映画からキスシーン画像が集められたスライドショー映像であるが、会場でパスワードを手に入れた者のみが閲覧可能である。こちらでは、接触を見る権利は内部に招き入れられた者(この掲示に接触した者)に限定されているという仕掛けだ。

[図3]髙橋耕平 48

 このすぐ後に発表された接触壁画では、その手つきは反転し、逆に接触―融合そのものが暴露されることとなった。今度は、われわれはそれらの接触のかたちを見ることができる。見ることができないのは、融合の最中、目隠しをされた彼ら自身の方なのだ(”Love is blind”?)。当事者である彼らは、まさに自分が接触しているその相手を見ることができない。眼差しは奪われ、誰に触れているかわからないその感触のみが残された。「接触の複数性」と「眼差しの封印」。本論では、続く議論において、髙橋の接触壁画において確認されるこれらの特性を、「主体」と「共同体」の問題の諸相で捉えていき、そのことで「二人の耕平」が試みた「同化」のモデルを照射してみたい。

2、作家―主体

 「二人の耕平」という稀なプロジェクトについて、概要をもう少し見ておく必要があるだろう。小林耕平と髙橋耕平。1970年代生まれの・日本人・男性・アーティスト、映像を主軸として、パフォーマティブな要素を取り込んだ制作態度、など、大まかな共通点がないわけではないが、二人が組み合わせられた最大の理由は、同じ名前を持つということにある。いまだかつて、そのような冗談めいた理由で企画された二人展はあっただろうか。論理を越えて、偶然的事実から導き出される選定。しかし、この組み合わせを成したキュレーターの千葉真智子がプロジェクトの端緒となる「遠隔同化-二人の耕平」(kumagusuku前期)に寄せたテキストを見れば、これが、偶然性を手がかりに主体の脱却に取り組む、極めてシリアスな実験であったことがわかる。

 私は考える。私は感じる。私は思う。  私、私と、もう辟易!と私が思う。  もちろん現実社会に生きる私たちは、共通の理念や態度、慣習や決まり事のなかで同じであることを求められ、また自ら他人と同じであろうともする。とは言え、これも裏を返せば、私たちが、それぞれ異なる存在だという前提があればこそのことだろう。  そうだとしたら――「私」が私以外の人のなかで初めて意識化されるのであれば――、私が究極的に私以外のものと同化を果たせば、「私」は消滅し、そのとき私を含む「一」という、別のものが姿を現わすのではないだろうか。あるいは、そのような同化は内破を引き起こし、私という一つの輪郭が消失するほどの決定的な分裂をもたらすかもしれない。  小林耕平と髙橋耕平。二人の耕平が、同化を試みる。  差異やズレといった予定調和の出来事には頓着せず、同化することを、そもそも「同化とは何か」「一致とは何か」との問いと共に、距離を乗り越え制作を通して希求してみる(*5)。

 「われ思う」の自律的な近代主体に辟易するのも、また私、という私の無限後退。千葉は、「私」という輪郭の消滅方法を「私以外のもの」との「同化」に定め、奇遇な一致により同一の名前を持つ作家二人に課した。任意の組み合わせと抽象的課題に対し、(キュレーター自身もともにそこに巻き込まれながら)作家たちがいかに応答しうるかを観測する、オープンエンデッドな展覧会。それが「二人の耕平」というプロジェクトの核である。

遠隔同化

 二人の耕平の同化に向けて最初に要請された課題は「畏怖を造形化すること」であり、認識のスケールを越えたもの、あるいは「非―人間」の認識にまつわる思索であった。その過程は3つのステップからなる。ステップ1は「畏怖を造形化するなかで、同化を試みる」、ここで二人は「畏怖」という感情にまつわり、外部存在としての絶対的な「物」と人の認識の問題をそれぞれ考えることから取りかかった。このときに目論まれた同化とは、認識を通常の文脈から切り離し、違う次元——例えば「集合的無意識」といった領域に移行させることによる融合だったと言えるかもしれない。​

[図4]小林耕平 眠りのなかに持ち込む(部分) 「遠隔同化」での展示風景 撮影=大西正一

​ 小林は、会場であるkumagusukuが、展覧会のなかでの宿泊という鑑賞体験を提供するアート・ホステルの形態であることから、「眠り」にフォーカスを当てた作品を展開した[図4]。それは、様々な既製品が詰められた布団シーツ、物にまつわるドローイング、イメージとは微妙なズレをともなう名前のかたちをとった。夢のなかで、物からそのイメージやその意味が遊離してしまうことがあるように、「物」(極薄の布越しに触れる物そのもの)と、「イメージ」(絵)と、「意味」(名前)を切り離して、眠りのなかでそれらの再構成が行われるものと小林は設定している。

 一方の髙橋は、小林と同様に「物」(髙橋が拾い集めた物)を対象に選びながら、「触覚」の問題を提起する—— 「『感触』というのは物の側にあるのだろうか? それとも物を見る人の側にあるのだろうか?」(*6)。彼がこの問いの手がかりとしたのは、「人」と「物」が距離を越えて接触しイメージが受肉する舞台——印画紙の物質性であった。この最初のステップにおいて、両者が共通して「触れること」を鍵にしたことは、「二人の耕平」というプロジェクトの展開に向けて大きな素地となったはずだ。

 ステップ2では、ステップ1でそれぞれに行われた造形に対し、お互いに「指南」を与えあい、それをもとにさらに造形が進められた。髙橋の小林に対する指南は「既製品とドローイングの入れ替え」「枕」「モノの位置への注意」についてであり、その物を人が認識する仕方自体に注意を払うよう構成が指導された。小林の髙橋に対する指南は「畏怖を目撃する人を撮影する」「受け身」というもので、畏怖が超越的にもたらされるものである点から、人を物化するよう制作態度に注意喚起が行われた。そして、ステップ3は「指南を経て、耕平同士が語る」。この一連の「同化」ステップに反省的態度が導入され、「耕平」という一名義の制作態度についての言語化がなされた。「知っていることが、実は全く違うものであると気づいた」などの言葉が、展示室(客室)の壁に蛍光塗料で記され、電気を消すと浮かび上がってくる。

 さらに、二人の同化をさらに押し進めたのは、作家による「作品解説」だ(イベントとして開催された他、会場で映像として提示された)。ただし、二人の作家はそれぞれの名前と役割を交換した。小林が「髙橋耕平」として髙橋の作品を解説し、髙橋が「小林耕平」として小林の作品を解説したのである。これは、小林が自己の作品でしばしば用いる、物や作品を前にした即興的な問答のスタイルを踏襲している。小林流の問答は、フィクショナルな仮の論理体系を設定し、眼前の物に別様の文脈を与えるようアクティベートするものだ。

 このようにして、ステップ2では互いの思考を交換し、最終的には互いの名前を交換し、そのことで作品を解説する互いの権利(つまり「これは作品である」と命名する権利を意味する)までをも交換してしまう。また、これらのステップから遊離するかたちで、両者の拾い集めた物を載せたアスタリスク型の展示台が屋外に展示され、異彩を放った[図5]。組み合わせられた角材の先に、割れたボールや文脈を失った付箋、割れた硝子などが載っているが、この展示台自体が1本のロープで吊り下げられているために、風などの影響が自由運動を引き起こし、アスタリスクの回転が始める。あたかも車輪、あるいはルーレットのように。個々の物が回転する一つの運動体のうちで統合されるこの象徴的なオブジェクトは、この最初の展示で試みられた「二人の耕平」の主体の交換が、「耕平」という一つの名の下での綜合を目指す「同化」モデルであったことを示している。

[図5]小林耕平×髙橋耕平「遠隔同化」会場風景 撮影=大西正一

 名前の問題。ほぼ100年前、マルセル・デュシャンが男性用小便器に「R. Mutt」なる署名を書き込んだ。このときから、作家は自らの名において、ある物に対し「これはアートだ」と命名する存在となった(この存在は眼差す存在とも言える)。それはまた、近代以降の「天才」というロマン主義的概念に特徴づけられる個人主義の帰結を揶揄するものでもあった。類稀なる個人を軸として神話が紡がれ、その目録形成が進み、取引の土台が築かれた。博物学的分類を基礎に置くミュージアムでは、作家の名前は作品のメディアと同様に一義的な重要性を持つ。作家はつねに「私」でなければならない存在になったのである。名前は、作家の自律的存在とその主体性を証明するタグであり、そのタグこそが、多様化する現代の美術を担保している。このことを念頭におけば「二人の耕平」において、個々の作家名義と「小林耕平×髙橋耕平」という名義が使い分けられていることは象徴的だ。ミュージアムが「名」としての「私」を保存する制度であることを暴き、「小林耕平×髙橋耕平」はそのシステムにハックを試みる。

切断してみる。

 続く展示となった豊田市美術館の「切断してみる。——二人の耕平」では、この名義の問題が丁寧に扱われ、「切断してみる」とあるとおり、キュレーターの千葉から出された5つの課題のうち4つ目までは、それぞれ単独の作家名での発表となっている。「言葉を切断する」「時間を切断する」「私を切り刻む」「生と死」の、4つのステップの各課題に応答した作品には、これまでの個々の作家の制作文脈の一貫性から分析することが充分に可能であるような、独立した制作態度がある。

 例えば、小林の「言葉を切断する」ための作品《神村・福留・小林・切断》は、言葉の比喩として衣服が切り刻まれており、二人のダンサーがそれらの断片に応じて即興的に身体を動かす様をカメラが断続的にとらえるもので、小林があらかじめ用意した物に他者から応答してもらう手法は、これまでの彼の作品に共通している。「生と死」についての作品《風景》では、作品らしく構成された立体物を前に解説しながら問答する彼のお決まりのスタイルだが、対話中の話者の突然の「死」が反復されることで、映像のフィクショナリティが不気味なユーモアを担保することとなる。

 他方、髙橋の「言葉を切断する」ための作品《Field Reading》や「時間を切断する」ための作品《忘却の周辺》では、街頭で屋外広告物の言葉をひたすら読み上げたり、ポスター等を掲示していたテープの残り物を採集して展示したりと、蒐集者としての髙橋の側面が発揮されている。「生と死」についての作品《かつて「大西」を名乗った者達への聞き取り》では、自身の母親を含む三姉妹に、彼らがともに体験した母親の死について聞き取りをし、「他者の死」や「死の所有権」、ひいては「家」や「個人」といった問題の諸相を浮き上がらせる。ドキュメンタリー形式で、人々の視点の誤差から多角的な物事の像を映す髙橋の得意手法だ。

 では、本論で追いかける「小林耕平×髙橋耕平」名義で取り組んだ最後のステップで、5つ目の課題「私のいない世界、人類のいない世界を考える」に彼らはどのように応答したか。確認しておかなければならないのは、この課題を出した千葉が、「安易に着地点を設定することは避けるべき」テーマであることに留意し、このステップでは「共同で、展覧会会期中も、さらに会期後も思考し続けるための場(=契機)を用意すること」を目論んだ、という前提である(*7)。そのために、千葉はまず二人の作家とともに「人類がいない世界」について思弁し、仮説を提起し合うことから始めた。そのうえで、二人の耕平のその課題に対する応答は、3つの具体的な課題設定——「人類がいなくなった時まで作品が残るとして、どのような作品を残したいか?」「再生機を作る」「人間ではないものを鑑賞者として作品を作る」——を定め、協働するというものになった。この一連の経緯を経て、最終的なアウトプットとしては、それぞれがその3つに対応してつくった造形物、またそれらについての二人の解説問答の記録映像という展示形態がとられている[図6]。

[図6]小林耕平×髙橋耕平 私のいない世界、人類のいない世界を考える(「切断してみる。-二人の耕平」カタログ72頁所収)

 これらの造形物を、各作家の解説をもとにそのまま記述すると、下記のようなものである。

 「人類がいなくなった時まで作品が残るとして、どのような作品を残したいか?」(小林)——筒の中に錘の球体が入った回転望遠装置。小林いわく「人類がいなくなった世界」という遠さをフィクションとして「遠くの重さを見る」。筒を覗きこむことで傾きが変わり、錘が「目に飛び込んできた瞬間」=「いま」しかないことを目の当たりにする不可視性についての作品。

 「人類がいなくなった時まで作品が残るとして、どのような作品を残したいか?」(髙橋)——風船、封をされたダンボール箱、発泡スチロールの保冷箱、漏斗が乗ったグラス、石が乗った逆さ向きの植木鉢、穴の閉じられたジョウロなど、感情をとどめるものとしての様々な容れ物。髙橋自身の感情というわけではなく、人間全体の感情の保存を意図する。肉体がなくなっても感情が残れば、人間が残ることになるのではないか、という考えがベースとなっている。

 「再生機を作る」(小林)——連結された円形の薄い合板とバランスボールの「黒豆専用」再生機。この上に任意の数の黒豆を乗せ、「再生」することで振り落とし、人智を超えた偶然性により黒豆を選ぶ。

 「再生機を作る」(髙橋)——周囲の四角い盛り塩で「結界」が張られたスマートフォン。これは「武器を再生している状態」となっている。電源の入っていない状態のスマートフォンが結界で区切られることにより、相当な質量となり、武器となる。

 「人間ではないものを鑑賞者として作品を作る」(小林)——天井に吊られた自転車のタイヤから筒状の透明シートが床に向けて伸びる「からだの中に風を通すオブジェクト」。その下にタイヤがもう一つ。筒状の方は作品であり、人間の相似物でもある。下のタイヤは、その鑑賞者。小林は物が人になることで、人と物の入れ替えが起こることを意図した。しかし、髙橋はこれを「小林が物になっておらず、小林が増えている」状態と指摘する。

 「人間ではないものを鑑賞者として作品を作る」(髙橋)——何も写っていないモニターに様々な写真画像を「見せて」いる。普段、視線を浴びる側にあるモニターへ「見る」立場を与える。写真を見ることにおいて、写真を撮る者の経験とその写真を見る者の経験が交換できる、と二人は対話した。

 これまでの課題に輪をかけて抽象度を増した、5つ目の課題への応答としての3つの造形課題。その解答としての作品は、それぞれが独自の論理を持っているようで、個々の解説問答を深く聞いていけば、それら個別の作品がどのように成立したかについて、訝りつつも納得することができる(?)かもしれない。しかし、「安易な着地点を避ける」という当初の千葉の目的通り、弁証法的にそれらを綜合することで一貫した結論にたどり着くことができる、というものではなく、まさに「切断」されたままの状態で提示された。それでも、作品をめぐって思弁的対話が繰り広げられるなかで、「物」と「人」の関係性、さらに「見ること」にまつわる共通項が、絡まり合いながら次第に浮き上がってくる。

 このステップ5について、千葉は、二人の耕平が課題設定にあたって、「鑑賞」=「見ること」を挙げたことに触れ、「主体」をめぐる問いがこの場の作品、ひいては展覧会全体に響いていたことを指摘する(*8)。それは、「ものを作る人間が、ものを見る人がいない世界のことを考えるって、そもそも矛盾している」(*9)という小林の言葉が端的に表すとおりの問いだ。千葉はこのことを、誰もいなくなった世界に「作家としてどのように関与できるか」という、作家の主体性についての彼らの逡巡がそのまま実践のなかで問い直された結果ととらえた。「遠隔同化」に続き、「切断する」ことから「私(主体)」の消滅をねらった第2回目の「二人の耕平」の実験結果は、「切断」の不可能性が露呈し、「私」がむしろ回帰してくる、というものだったようだ。

「切断」のち「同化」

 「切断する」の結果を受けて、「遠隔同化-二人の耕平」の展示替えがおこなわれ、タイトルも「『切断』のち『同化』」に刷新された(kumagusuku後期)。本論の第1章で確認された、セックスや接吻のバリエーションを示す《48》や《口口(mouth mouth)》など、「複数性の接触」に関わるモチーフが登場したのは、この展示からである。今回、千葉により設定された課題は「同化」を明らかにするための4つの比較となった。

【同化と◯◯ 境目を意識する】 同化は完全に「一」の状態なのか。ぴったりと重なった状態。ただ、そこにどんな区別も境目もないとなると、同化していると、どうやって証明することができるのだろうか。一つしか見えなければ、最初から一つしかないように思われるのだから、同化という出来事が起こっているのかどうかも分からない。 同化を確かめるために、少しだけズラして、わずかな境目を意識してみる(*10)。
[図7]髙橋耕平 同化 「『切断』のち『同化』」での展示風景 撮影=大西正一
[図8]小林耕平 同化と包摂 「『切断』のち『同化』」での展示風景 撮影=大西正一

​ 「同化と類似」「同化と相似」「同化と包摂」「同化と素通り」という4つの展示室(客室)の比較課題は、もはや禅の公案のようである。また、共有スペースには「同化」それ自体を示すものが置かれた。ここで、とくに注目したいのは「境目」に関係する「同化と包摂」「同化と素通り」における展開だ。千葉は「包摂」を「個々のものを入れる大きな袋」と記述する。複数の接触の形態を包摂する袋=シーツの存在そのものが顕在化された、髙橋の《48》はこれへの解答になる。それを示すかのように、このシーツは「同化」のゾーンの壁に掛けられ、シーツの平面が無造作な襞をかたちづくった[図7]。対する小林は、白い粘土で鉛筆削りやメジャーらしきものを木槌の肢に抱き合わせ、別個の物を含み入れるこの白い粘土の媒介性を「包摂」として提示した[図8]。

[図9]小林耕平「同化と素通り」より《運動の表象》 「『切断』のち『同化』」での展示風景 撮影=大西正一
[図10]髙橋耕平 同化と素通り 「『切断』のち『同化』」での展示風景 撮影=大西正一
[図11]髙橋耕平 同化 「『切断』のち『同化』」での展示風景 撮影=大西正一

​ 「素通り」においては、何かの内部にある空洞を何かが通り抜ける(塞ぐ)こと、その輪郭を感じることが想定されている。小林の《運動の表裏》[図9]は、吊り下げられた透明シートの片面に、ジョウロやバスケットボール、ユニフォーム、バドミントンラケットなどが黒いシリコンで留められたものだ。裏側に回れば、それら運動にまつわる既製品と透明シートの間を塞ぐ、黒いシリコンの素通りした輪郭を観察できる。このように、白と黒のメディウムを用いながら、小林は「包摂」と「素通り」の違いを造形化した。「素通り」の部屋での髙橋の取り組みは、毛足の長い絨毯の上に大小様々な石を積み上げるというものである[図10]。これに対比されるのは、「同化」のゾーンにある複数の小石がセメントで結合された塊だろう[図11]。「素通り」では石同士の隙間は埋められず空気が素通りするが、「同化」においては破砕された石で埋められている。境界にまつわる課題で髙橋と小林の両者が着目した、これらの可変的で可塑的なメディウムのヴァリエーション(シーツ、粘土、シリコン、セメント、etc.)が示すのは、複数の物が物理的に触れ合う状態に「同化」のモデルが見出されるということだ。

 「私(主体)の回帰」の後に現れた、「複数性の接触」の原型となるこのモデルについては、以下のようにとらえられるべきではないか——すなわち、「私」は消滅しない、ただし個々の「私」という主体は互いに絡まり合う集合物のなかのひとつである、と。なぜならその状態は、「切断する」の最後の局面(ステップ5)で、思弁的対話の繰り返された後に立ち上がった場、個別物の集合で為される一つの平面そのものを示すかのように見えるからだ。そこでは、作者の主体性が個別の作品(=応答)に宿りつつ、それらの個別性を保持したまま、多数の接点を共有して触れ合いながら共存する、そのような地平が立ち現れていた。一連の「二人の耕平」の問答を経て見出された「同化」とは、まさにこうした状態のことだったのだろう。

接触の運用の往復

 その後、「二人の耕平」は千葉のキュレーションを離れ、「小林耕平+髙橋耕平」と名義を新たに複合体としての性格を強調して「接触の運用の往復」(HAPS)なる展示に展開した。ここでは課題を言葉で設定する代わりに、互いの造形物を応答すべき対象としてみなし、作品によって問答の往還を試みている。その最初に提示されたのが先手・髙橋のあの接触壁画《絵-接触の肯定から始める》だった、ということになる[図12]。

[図12]小林耕平+髙橋耕平 接触の運用の往復 「接触の運用」会場風景 撮影=松見拓也

 これに続く展開がどのようなものであったか見ておこう。後手・小林は、この絵に《壁画を観るための猫型洞窟》なる装置で応えた。2つの覗き穴を持つ猫の脚先型の洞窟は、粘土で造形され外側にフェイクファーが施されている。ギャラリー外部に向けられたこの空洞は、使用方法の指示書ドローイングが添えられることで、この展示の鑑賞者(ギャラリーの外側からガラス越しに鑑賞するよう求められる)に向けて、壁画を観る際にこれを覗き込むよう促している。この洞窟に顔をうずめる(「見る」)際、(イメージのなかで)洞窟の身体を抱きかかえる(「触れる」)ことになり、その抱き心地を本作は「猫型」としている。

 次のターンで髙橋は、この猫型洞窟の「顔を覆いながら穴に仕える」という性質に着目し、《労働——穴に仕える》という不規則な形状で穴の空いたテーブルを造形した。これは、「我々が生きている内には到底解決することができないであろう問題について誰かが労働すること」についての造形物と述べられ、青と黄の交差する直線や、脚部に描かれた白い防護服のシルエットが、穴の空いた福島第一原子力発電所の建屋の換喩であることを示す。小林は《天猫姥口鎌の模刻による解像度の劣化》で、織田信長が柴田勝家の戦功に与えた茶道具をモチーフに、労働に対する「褒美」という点から、物に労働の対価としての価値を与えることについて考察する。最終ターンで、髙橋は、自ら路上で採集した誰かの落し物のコレクションを「予期せぬ物事に接近する」褒美ととらえ、《道にぼた餅》とした。小林はこれに応え、《拾い集めた物と地面の間に土の塊を差し込む》こととし、髙橋のそれらのコレクション一つひとつに粘土の台座を与えた[図13]。

[図13]小林耕平+髙橋耕平 接触の運用の往復 「接触の運用」での展示風景

 ここでのやり取りは、以下のような問答だと解釈できるだろう。第1のターンでは、複数性の「見られること」・単一性の「見ること」の対比が発生しており、髙橋の複数性への誘いを小林がやや拒んでいる(自律的主体への退避)ような側面がある。しかしその鑑賞者の役割を、小林はギャラリーの外にいるこの展示を見る人へ明け渡すこととした。第2のターンでは、髙橋の「他者」に対する関心、小林の「物」に対する関心が個別的に展開されながら、「労働(仕える)」と「褒美(与える)」という対概念によって結ばれている。第3のターンでは、髙橋が「複数の他者との接触」の証として自らの落し物コレクションを持ち出すという切り込みを見せた。それに対して小林は、髙橋の「複数の他者との接触」が具現化した無数の「物」に、自ら粘土を捏ねて(接触して)台座を造形した。最初に生じた「見る」・「見られる」という対比的関係は、最後に「触れる」ことの交換を通じて和解されることとなった。このような往復を経て、髙橋が最初の接触壁画で掲げた「複数性の接触」を、小林が承認し「触れて」いく過程が示されたのである。

3、共同体―愛

 「二人の耕平」が、同化問答のなかで見出すこととなった「複数性の接触」のかたちは、出発点となった「私を超えること」の先で、目の前の相手との「同化」を志向し、さらには「私以外のものと共にあること」という、共同体の抽象的な定義に立ち戻ることになったと言えるだろう。ここで思い起こされるのは、2016年3月に水戸芸術館で開催された、田中功起の「共にいることの可能性、その試み、その記録」もまた、共同体の成立についての仮設的な試みのドキュメントの展示であったことだ。「移住/移動」の経験を条件に公募した参加者たちが、共同生活で課題を行うワークショップに作家、キュレーターが共に参画していること、最終的に鑑賞者に提示された記録映像ではそうした状況に巻き込まれてある作家自身も被写体となったことなど、「二人の耕平」とのフレーム比較が可能であろう。田中展の記録集に収録された甲斐賢治と藤井光の対談で挙げられた「当事者性」と「分有」の問題は、双方の試みに共通する特徴とみなせる(*11)。

 二つの展示の相違は、これらの実験の条件設定を行ったのが、作家であったか、キュレーターであったかによってもたらされた。クレア・ビショップは、芸術の民主化における「参加」の議論において、シチュアシオニスト・インターナショナルの「構築された状況」に見られるヒエラルキーを指摘した。とくにディレクター的存在の有無について、ビショップは「一時的な、しかし明確にそれとわかるようなリーダー的存在を首班とした透明性ある構造」の必要性を説く(*12)。ヒエラルキーとその頂点の問題は、作家による署名の問題と同根と言える。田中は作家性への回収のジレンマを引き受け、自らの名を冠する展覧会において、自らもカメラの被写体となり、その問題系を可視化しようと試みた。いっぽう、参加の位相を「二人の耕平」に当てはめるなら(つまり作家を参加者とみなすなら)、状況を仕立てた特権者の役割はキュレーターになるため、従来の体制により従順なものに見えるが、「小林耕平×髙橋耕平」という変則的な複合体は、その制度を撹乱しながら、「民主的」とされる共同体とは別様のあり方を探求していく展開を見せた。

 「二人の耕平」は、あくまでも二者の「私」のあいだの具体的な「接触」から、共同体を再定義するヒントを見出そうとした、とも言えよう。対する分析軸も、「私」という主体の集合として共同体を語る近代的概念ではなく、より原始的な「愛」を語る言葉に求めるべきだろう。共同体とは人の集まりであり、しかし「私」を放棄しないことには、頂点に何がしか単独の「私」が置かれる。では、共同体の最小単位である「二者関係」からやり直す必要がある。それを考える言葉は、「接触」すなわち「愛」である。

 『愛するということ』を著したエーリッヒ・フロムによると、誰かを愛するということは、本質的に「人間的な特質が具現化されたものとして」、全体の一部であるその人を愛することであり、個への愛を通して全体への愛を実現するものである。二つのものの「同化」に始まり、複数のもの同士の接触にいたった「二人の耕平」の制作実践は、こうした「愛」についてのフロムの言葉に、具体性を伴って再読を求めるものとなる。

 フロムは、愛について「いかに孤立を克服するか、いかに合一を達成するか、いかに個人的な生活を超越して他者との一体感を得るか」という人間の実存に関わる根本的な問題とする。だからこそ、フロムにとっての愛の基本原理は、「一つの『対象』にたいしてではなく、世界全体にたいして人がどう関わるかを決定する態度、性格の方向性」のことであった。彼は、こうした態度で達成される愛について、排他性なしに、全体との合一を感覚することで、実存的不安を克服するものとみなした。とくに、キリスト教の規範となる隣人愛的なものを引き合いに論じられる「兄弟愛」、またその根底にある、あらゆる宗教的な「神への愛」(それが基盤とする文明の段階、社会構造の相違によって様々な形をとるものとされるが)についての言及がそれである。

 愛における、利己主義の捻れた表出についても様々に検証されるところのものとなるが、「愛」と「公平」の違いについてのフロムの指摘は参照に値するだろう。彼の主張では、近代社会における人間の関係は、愛についても「あなたが私にくれるだけ、私もあなたにあげる」という公平の倫理により決定される交換可能なものとなったとされる。フロムが規定するところの愛と公平の違いは、下記のように距離の問題をともなって記述される。

兄弟愛に関するユダヤ=キリスト教の規範は、公平の倫理とはまったく別物である。それは、隣人を愛すること、つまり、隣人にたいして責任を感じ、その人と一体であると感じることである。それにたいして、公平の倫理とは、責任も一体感もおぼえず、自分は隣人とは遠く離れており、隔絶していると感じることであって、隣人の権利を尊重することではあるが、隣人を愛することではない(*13)。

 この議論を要約し、愛とは、全体との合一により「私」を超克するものであり、なおかつ「距離ゼロ」のものだ、とみなしてみる(そのようにみなすとき、当然、愛は人間だけの問題ではなく「私」と「私以外のもの」という関係に敷衍されるものだ)。距離がないこと、つまりそれは、接触しているということである。

 ここで再び、あの接触壁画についての冒頭の議論に戻ろう。接触の複数性とともに確認されたもう一つの特性——そういえばなぜ、接触している彼らの眼差しは奪われていたのか。この問いのヒントを与えてくれるのは、これに対する小林の応答《壁画を観るための猫型洞窟》がこの絵を「見るもの」とみなした点だ。「眼差しの封印」は、見ることにおける主体性の対立を回避するものだろう。「見る」能動性を封じられた身体は、「見られる」という受け身の性格を際立たせられることとなる。この受動的知覚、とりわけ「触覚」をもとに、世界を「私」をとりかこむ「間世界(intermonde)」ととらえたモーリス・メルロ=ポンティの「肉」についての構想が、あの壁画について解釈の手がかりを与えてくれる。

われわれが結局は自己の身体を理解するのも、世界の肉によってなのである。——世界の肉、それは見られる〈存在〉(l’Étre-vu)に属している(*14)。
私の身体は、原理的に私にとって見えるもの、あるいは少なくとも、私の身体は、私にとって見えるものがその一断片であるような見えるもののうちに数え入れられるのである。さらに言いかえれば、この範囲内においては、私にとって見えるものは、私の身体を「包みこむ」ために、私の身体の方へ向き直るのである、——そして、もし私にとって見えるものがけっして私の「表象」ではなく肉——つまり、私の身体を抱きかかえ、それを「見る」ことのできる肉——であるという理由による以外、どうして私がこのことを知りえようか。私が見られ思考されるのは、何よりもまず世界によってなのである(*15)。

 ここにおいて、「私は見られる」、また同様に「私は触れられる」という受動的再帰性によって、コギト的な「私」の主体性は二重化されることになる(ここで扱われている眼差しは、対象の主体性を奪うものではない)。主客の対立は解消され、「私」はもはや他から孤立した自己ではない。メルロ=ポンティは、このように身体を「肉」とみなすとき、身体と世界のつながりを「抱擁」の関係として、あいだにあるのは「境界」ではなくまさに「接触面」であるととらえた(*16)。

私の身体が世界(それも一個の知覚されたものである)と同じ肉でできているということ、そして、さらに私の身体のこの肉が世界によって分かちもたれており、世界はそれを反映し、世界がそれを蚕食し、それが世界を蚕食している(感じられるものが主観性の極点であると同時に物質性の極点でもある)ということ、それら両者が越境とまたぎ越しの関係にあるということ、である(*17)。

 こうした視座から見られる「私」は、「私」という輪郭=境界への幽閉から免れ、無限後退することなく、「私以外のもの」にしっかりと抱きかかえられている。世界を「私」に先立つものととらえ、かつその世界全体と「私」とが「距離ゼロ」で無媒介に触れ合っているという状態、そのことを受け入れる態度は、先に確認された「愛」の定義にほかならない。髙橋の接触壁画は、無数に接触し絡み合った、「愛」のなかにある身体を「見られるもの」=「肉」として、鑑賞者に差し出すものである。そして、彼/彼女がそれを見るとき、同じくその接触のなかにあるだろう。

 「二人の耕平」で、彼らが見出した「私」を越えるための「同化」とは、バラバラに分離したものの「同化」ではなく、絡み合った全体=共同体のなかで立ち上がる「同化」であったと言える。彼らは「私」=作家としての主体を手放したわけではない。それならば、二つの具体的な「私(耕平)」と「私(耕平)」が「同化」するとは何だろうか。その絡まり合いのなかでは、「これ」も「あれ」も「それ」も互いに接触して折り重なり、ともすれば、もはや「どれ」が「これ」だかわからなくなりそうなものだ。メルロ=ポンティにおいては、「私」の身体は、「肉」という世界と同じ平面上の「起伏」であったことを思い出そう。「二人の耕平」が「私」を交換しえたように、この起伏は越境しあう可逆的なものとされていた。こうして、最後に私は以下のように〈考えさせられる〉、彼らの「同化」とは、「私」という起伏同士の巧みな「交叉配列」——「接触の運用」のことであった、と。「公平」についての再定義を、ここから始めてみるとすれば。

 

*1――本論で取り上げる「二人の耕平」は、「小林耕平×髙橋耕平」及び「小林耕平+髙橋耕平」名義で開催された下記の4つの展覧会を指す。

1. 小林耕平×髙橋耕平「遠隔同化」(2016年10月22日〜2107年9月26日、KYOTO ART HOSTEL kumagusuku、京都) ※うち、2017年6月26日以降は展示替えが行われ、展示タイトルも「『切断』のち『同化』」と改められた(3の展覧会にあたる)。本稿では、便宜上「1」をkumagusuku前期、「3」をkumagusuku後期と表記する
2. 小林耕平×髙橋耕平「切断してみる。——二人の耕平」(2017年1月14日〜4月2日、 豊田市美術館、愛知)
3. 小林耕平×髙橋耕平「『切断』のち『同化』」(2017年6月26日〜2017年9月26日、KYOTO ART HOSTEL kumagusuku、京都)
4. 小林耕平+髙橋耕平「接触の運用の往復」(2018年3月30日〜4月23日、東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)、京都) ※髙橋耕平がキュレーションを務めたシリーズ展「接触の運用」のなかで一つの展覧会として開催された

*2――スタニスワフ・プシビシェフスキ「E・ムンクの世界」1894(鈴木正明『ムンク 世紀末までの青春史ドキュメント』美術出版社、1978、169頁より抜粋)
*3――下記URLにて閲覧可能(最終確認日:2019年1月14日)。https://vimeo.com/222604728
*4――下記URLにて閲覧可能(最終確認日:2019年1月14日)。https://vimeo.com/222962253 ※要パスワード
*5――小林耕平×髙橋耕平「遠隔同化」(kumagusuku前期)フライヤーに掲載された企画概要文より抜粋
*6――小林耕平×髙橋耕平「遠隔同化」(kumagusuku前期)カードセット型のカタログより抜粋
*7――『切断してみる。——二人の耕平』豊田市美術館、2017、70頁
*8――同書、88頁
*9――同書、89頁
*10――kumagusukuのウェブサイトを参照(最終確認日2019年1月14日)。https://kumagusuku.info/404
*11――『共にいることの可能性、その試み、その記録 田中功起による、水戸芸術館での、ケーススタディとして』水戸芸術館現代美術センター、2016、100-105頁
*12――クレア・ビショップ『人工地獄 現代アートと観客の政治学』大森俊克訳、フィルムアート社、2016、144-145頁
*13――エーリッヒ・フロム『愛するということ』鈴木晶訳、紀伊国屋書店、1991、193頁
*14――モーリス・メルロ=ポンティ「研究ノート『世界の肉——身体の肉——〈存在〉』」『見えるものと見えないもの』滝浦静雄・木田元訳、みすず書房、1989、366頁
*15――同書「研究ノート『肉』」、407頁
*16――同書「研究ノート『世界の内にある身体 鏡像——類似』」、401頁
*17――同書「研究ノート『世界の肉——身体の肉——〈存在〉』」、363-364頁


*本稿は応募時から校正を経たものです