3、共同体―愛
「二人の耕平」が、同化問答のなかで見出すこととなった「複数性の接触」のかたちは、出発点となった「私を超えること」の先で、目の前の相手との「同化」を志向し、さらには「私以外のものと共にあること」という、共同体の抽象的な定義に立ち戻ることになったと言えるだろう。ここで思い起こされるのは、2016年3月に水戸芸術館で開催された、田中功起の「共にいることの可能性、その試み、その記録」もまた、共同体の成立についての仮設的な試みのドキュメントの展示であったことだ。「移住/移動」の経験を条件に公募した参加者たちが、共同生活で課題を行うワークショップに作家、キュレーターが共に参画していること、最終的に鑑賞者に提示された記録映像ではそうした状況に巻き込まれてある作家自身も被写体となったことなど、「二人の耕平」とのフレーム比較が可能であろう。田中展の記録集に収録された甲斐賢治と藤井光の対談で挙げられた「当事者性」と「分有」の問題は、双方の試みに共通する特徴とみなせる(*11)。
二つの展示の相違は、これらの実験の条件設定を行ったのが、作家であったか、キュレーターであったかによってもたらされた。クレア・ビショップは、芸術の民主化における「参加」の議論において、シチュアシオニスト・インターナショナルの「構築された状況」に見られるヒエラルキーを指摘した。とくにディレクター的存在の有無について、ビショップは「一時的な、しかし明確にそれとわかるようなリーダー的存在を首班とした透明性ある構造」の必要性を説く(*12)。ヒエラルキーとその頂点の問題は、作家による署名の問題と同根と言える。田中は作家性への回収のジレンマを引き受け、自らの名を冠する展覧会において、自らもカメラの被写体となり、その問題系を可視化しようと試みた。いっぽう、参加の位相を「二人の耕平」に当てはめるなら(つまり作家を参加者とみなすなら)、状況を仕立てた特権者の役割はキュレーターになるため、従来の体制により従順なものに見えるが、「小林耕平×髙橋耕平」という変則的な複合体は、その制度を撹乱しながら、「民主的」とされる共同体とは別様のあり方を探求していく展開を見せた。
「二人の耕平」は、あくまでも二者の「私」のあいだの具体的な「接触」から、共同体を再定義するヒントを見出そうとした、とも言えよう。対する分析軸も、「私」という主体の集合として共同体を語る近代的概念ではなく、より原始的な「愛」を語る言葉に求めるべきだろう。共同体とは人の集まりであり、しかし「私」を放棄しないことには、頂点に何がしか単独の「私」が置かれる。では、共同体の最小単位である「二者関係」からやり直す必要がある。それを考える言葉は、「接触」すなわち「愛」である。
『愛するということ』を著したエーリッヒ・フロムによると、誰かを愛するということは、本質的に「人間的な特質が具現化されたものとして」、全体の一部であるその人を愛することであり、個への愛を通して全体への愛を実現するものである。二つのものの「同化」に始まり、複数のもの同士の接触にいたった「二人の耕平」の制作実践は、こうした「愛」についてのフロムの言葉に、具体性を伴って再読を求めるものとなる。
フロムは、愛について「いかに孤立を克服するか、いかに合一を達成するか、いかに個人的な生活を超越して他者との一体感を得るか」という人間の実存に関わる根本的な問題とする。だからこそ、フロムにとっての愛の基本原理は、「一つの『対象』にたいしてではなく、世界全体にたいして人がどう関わるかを決定する態度、性格の方向性」のことであった。彼は、こうした態度で達成される愛について、排他性なしに、全体との合一を感覚することで、実存的不安を克服するものとみなした。とくに、キリスト教の規範となる隣人愛的なものを引き合いに論じられる「兄弟愛」、またその根底にある、あらゆる宗教的な「神への愛」(それが基盤とする文明の段階、社会構造の相違によって様々な形をとるものとされるが)についての言及がそれである。
愛における、利己主義の捻れた表出についても様々に検証されるところのものとなるが、「愛」と「公平」の違いについてのフロムの指摘は参照に値するだろう。彼の主張では、近代社会における人間の関係は、愛についても「あなたが私にくれるだけ、私もあなたにあげる」という公平の倫理により決定される交換可能なものとなったとされる。フロムが規定するところの愛と公平の違いは、下記のように距離の問題をともなって記述される。
兄弟愛に関するユダヤ=キリスト教の規範は、公平の倫理とはまったく別物である。それは、隣人を愛すること、つまり、隣人にたいして責任を感じ、その人と一体であると感じることである。それにたいして、公平の倫理とは、責任も一体感もおぼえず、自分は隣人とは遠く離れており、隔絶していると感じることであって、隣人の権利を尊重することではあるが、隣人を愛することではない(*13)。
この議論を要約し、愛とは、全体との合一により「私」を超克するものであり、なおかつ「距離ゼロ」のものだ、とみなしてみる(そのようにみなすとき、当然、愛は人間だけの問題ではなく「私」と「私以外のもの」という関係に敷衍されるものだ)。距離がないこと、つまりそれは、接触しているということである。
ここで再び、あの接触壁画についての冒頭の議論に戻ろう。接触の複数性とともに確認されたもう一つの特性——そういえばなぜ、接触している彼らの眼差しは奪われていたのか。この問いのヒントを与えてくれるのは、これに対する小林の応答《壁画を観るための猫型洞窟》がこの絵を「見るもの」とみなした点だ。「眼差しの封印」は、見ることにおける主体性の対立を回避するものだろう。「見る」能動性を封じられた身体は、「見られる」という受け身の性格を際立たせられることとなる。この受動的知覚、とりわけ「触覚」をもとに、世界を「私」をとりかこむ「間世界(intermonde)」ととらえたモーリス・メルロ=ポンティの「肉」についての構想が、あの壁画について解釈の手がかりを与えてくれる。
われわれが結局は自己の身体を理解するのも、世界の肉によってなのである。——世界の肉、それは見られる〈存在〉(l’Étre-vu)に属している(*14)。
私の身体は、原理的に私にとって見えるもの、あるいは少なくとも、私の身体は、私にとって見えるものがその一断片であるような見えるもののうちに数え入れられるのである。さらに言いかえれば、この範囲内においては、私にとって見えるものは、私の身体を「包みこむ」ために、私の身体の方へ向き直るのである、——そして、もし私にとって見えるものがけっして私の「表象」ではなく肉——つまり、私の身体を抱きかかえ、それを「見る」ことのできる肉——であるという理由による以外、どうして私がこのことを知りえようか。私が見られ思考されるのは、何よりもまず世界によってなのである(*15)。
ここにおいて、「私は見られる」、また同様に「私は触れられる」という受動的再帰性によって、コギト的な「私」の主体性は二重化されることになる(ここで扱われている眼差しは、対象の主体性を奪うものではない)。主客の対立は解消され、「私」はもはや他から孤立した自己ではない。メルロ=ポンティは、このように身体を「肉」とみなすとき、身体と世界のつながりを「抱擁」の関係として、あいだにあるのは「境界」ではなくまさに「接触面」であるととらえた(*16)。
私の身体が世界(それも一個の知覚されたものである)と同じ肉でできているということ、そして、さらに私の身体のこの肉が世界によって分かちもたれており、世界はそれを反映し、世界がそれを蚕食し、それが世界を蚕食している(感じられるものが主観性の極点であると同時に物質性の極点でもある)ということ、それら両者が越境とまたぎ越しの関係にあるということ、である(*17)。
こうした視座から見られる「私」は、「私」という輪郭=境界への幽閉から免れ、無限後退することなく、「私以外のもの」にしっかりと抱きかかえられている。世界を「私」に先立つものととらえ、かつその世界全体と「私」とが「距離ゼロ」で無媒介に触れ合っているという状態、そのことを受け入れる態度は、先に確認された「愛」の定義にほかならない。髙橋の接触壁画は、無数に接触し絡み合った、「愛」のなかにある身体を「見られるもの」=「肉」として、鑑賞者に差し出すものである。そして、彼/彼女がそれを見るとき、同じくその接触のなかにあるだろう。
「二人の耕平」で、彼らが見出した「私」を越えるための「同化」とは、バラバラに分離したものの「同化」ではなく、絡み合った全体=共同体のなかで立ち上がる「同化」であったと言える。彼らは「私」=作家としての主体を手放したわけではない。それならば、二つの具体的な「私(耕平)」と「私(耕平)」が「同化」するとは何だろうか。その絡まり合いのなかでは、「これ」も「あれ」も「それ」も互いに接触して折り重なり、ともすれば、もはや「どれ」が「これ」だかわからなくなりそうなものだ。メルロ=ポンティにおいては、「私」の身体は、「肉」という世界と同じ平面上の「起伏」であったことを思い出そう。「二人の耕平」が「私」を交換しえたように、この起伏は越境しあう可逆的なものとされていた。こうして、最後に私は以下のように〈考えさせられる〉、彼らの「同化」とは、「私」という起伏同士の巧みな「交叉配列」——「接触の運用」のことであった、と。「公平」についての再定義を、ここから始めてみるとすれば。
*1――本論で取り上げる「二人の耕平」は、「小林耕平×髙橋耕平」及び「小林耕平+髙橋耕平」名義で開催された下記の4つの展覧会を指す。
1. 小林耕平×髙橋耕平「遠隔同化」(2016年10月22日〜2107年9月26日、KYOTO ART HOSTEL kumagusuku、京都) ※うち、2017年6月26日以降は展示替えが行われ、展示タイトルも「『切断』のち『同化』」と改められた(3の展覧会にあたる)。本稿では、便宜上「1」をkumagusuku前期、「3」をkumagusuku後期と表記する
2. 小林耕平×髙橋耕平「切断してみる。——二人の耕平」(2017年1月14日〜4月2日、 豊田市美術館、愛知)
3. 小林耕平×髙橋耕平「『切断』のち『同化』」(2017年6月26日〜2017年9月26日、KYOTO ART HOSTEL kumagusuku、京都)
4. 小林耕平+髙橋耕平「接触の運用の往復」(2018年3月30日〜4月23日、東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)、京都) ※髙橋耕平がキュレーションを務めたシリーズ展「接触の運用」のなかで一つの展覧会として開催された
*2――スタニスワフ・プシビシェフスキ「E・ムンクの世界」1894(鈴木正明『ムンク 世紀末までの青春史ドキュメント』美術出版社、1978、169頁より抜粋)
*3――下記URLにて閲覧可能(最終確認日:2019年1月14日)。https://vimeo.com/222604728
*4――下記URLにて閲覧可能(最終確認日:2019年1月14日)。https://vimeo.com/222962253 ※要パスワード
*5――小林耕平×髙橋耕平「遠隔同化」(kumagusuku前期)フライヤーに掲載された企画概要文より抜粋
*6――小林耕平×髙橋耕平「遠隔同化」(kumagusuku前期)カードセット型のカタログより抜粋
*7――『切断してみる。——二人の耕平』豊田市美術館、2017、70頁
*8――同書、88頁
*9――同書、89頁
*10――kumagusukuのウェブサイトを参照(最終確認日2019年1月14日)。https://kumagusuku.info/404
*11――『共にいることの可能性、その試み、その記録 田中功起による、水戸芸術館での、ケーススタディとして』水戸芸術館現代美術センター、2016、100-105頁
*12――クレア・ビショップ『人工地獄 現代アートと観客の政治学』大森俊克訳、フィルムアート社、2016、144-145頁
*13――エーリッヒ・フロム『愛するということ』鈴木晶訳、紀伊国屋書店、1991、193頁
*14――モーリス・メルロ=ポンティ「研究ノート『世界の肉——身体の肉——〈存在〉』」『見えるものと見えないもの』滝浦静雄・木田元訳、みすず書房、1989、366頁
*15――同書「研究ノート『肉』」、407頁
*16――同書「研究ノート『世界の内にある身体 鏡像——類似』」、401頁
*17――同書「研究ノート『世界の肉——身体の肉——〈存在〉』」、363-364頁
*本稿は応募時から校正を経たものです