『白井晟一の原爆堂 四つの対話』
1955年に建築家の白井晟一が雑誌上で発表した「原爆堂計画」。それは、近代的な機能主義、合理主義を反省する気運のなかで原子爆弾のもたらしたカタストロフと向き合おうとした建築プロジェクトだった。イサム・ノグチの「ヒロシマ・モニュメント」を引きつつ原爆堂に理性批判としての側面を読み取る岡﨑乾二郎、3.11後の状況を踏まえて原爆堂の批評性を分析する鈴木了二など、4人の専門家がそれぞれの視点から原爆堂を語り尽くす。未完の建築を現在形で考えるために。(中島)
『白井晟一の原爆堂 四つの対話』
岡﨑乾二郎、五十嵐太郎、鈴木了二、加藤典洋、白井昱磨=著
晶文社|2000円+税
『ソーシャリー・エンゲイジド・アートの系譜・理論・実践 芸術の社会的転回をめぐって』
「社会関与の芸術(SEA)」に関する最新論集。近年、本誌でも取り上げている同テーマだが、理論と実践の両面において、西洋が主導権を握り、日本はこれまで後塵を拝していた感がある。しかし本書は、海外勢の論考を一方的に紹介するのではなく、日本人アーティスト・研究者(高山明、藤井光、星野太ほか)の議論も取り込むことで、外来の芸術動向をある程度相対化することに成功している。SEAという言葉がとっつきにくい人もすでに実践している人も、読めば必ず理解が深まる。(近藤)
『ソーシャリー・エンゲイジド・アートの系譜・理論・実践 芸術の社会的転回をめぐって』 アート&ソサイエティ研究センターSEA 研究会=編
フィルムアート社|2600円+税
『眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ「シネマ」』
現代フランス哲学、芸術学を専門とする若手批評家による初の著書。映画は哲学の「足場=フッテージ」であるという考えから出発し、多くの論者が挑んできたドゥルーズの大著『シネマ』の精読から思索をつなげていく。映画の経験を分析するにあたって参照されるもうひとつの重要な柱は、ドゥルーズが依拠したベルクソン哲学である。映画における「運動イメージ」「時間イメージ」の差異はどのように抽出されるのか。概念の発明という哲学の本義を追究した刺激的論考。(中島)
『眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』
福尾匠=著
フィルムアート社|2200円+税
(『美術手帖』2018年12月号「BOOK」より)