現代思想界の新鋭、福尾匠のデビュー作をチェック。ジル・ドゥルーズの名著『シネマ』の核心を暴く

現代フランス哲学、芸術学、映像論の研究者・福尾匠が、自身初となる著書『眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ「シネマ」』(フィルムアート社)を7月26日に刊行する。本書は、映画とは何かを論考したジル・ドゥルーズの伝説的著作『シネマ』の内容を紐解き、「たんに見る」ことの難しさと創造性に迫るもの。

福尾匠 眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』(フィルムアート社)

 映像論研究者・福尾匠が、自身初となる著書『眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ「シネマ」』(フィルムアート社)を7月26日に刊行する。

 1992年生まれの福尾は、現在横浜国立大学博士後期課程に在籍し、日本学術振興会特別研究員(DC1)として研究活動を行っている。現代フランス哲学、芸術学、映像論を専門としており、主な論文に「映像を歩かせる——佐々木友輔『土瀝青 asphalt』および『揺動メディア論』論」(『アーギュメンツ#2』、2017)がある。

 本書は、映画とは何かを考え抜いたジル・ドゥルーズの伝説的著作『シネマ』のロジックを分解し、その核心に迫るもの。「第一章 映画と哲学、ベルクソンとドゥルーズ」「第二章 運動イメージ――感覚-運動的に思考する映画」「第三章 運動と時間」「第四章 第一、第二の時間イメージ――視-聴覚的に思考する映画」「第五章 第三の時間イメージ――ひとつのおなじ結論の三つの異なるバージョン」の5章編成で展開されていく。

 福尾は本書において、「映画は哲学のフッテージ(=思考の素材、足場)である」ととらえなおすことから議論をスタートし、そのフッテージの中に哲学者、アンリ・ベルクソンの哲学を流し込むことによって、「シネマ」と映画の関係、ドゥルーズとベルクソンの関係という2つの問いを指し示す。

編集部

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