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2018.2.19

「ブリューゲル」はいかにしてブランドとなったのか? 150年続いた画家一族の秘密に迫る

フランドル絵画に大きな影響を与えたピーテル・ブリューゲル1世と、その子孫たち。なぜブリューゲル一族は150年にわたって画家を輩出し続け、ひとつのブランドとなり得たのか? その秘密を、「ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜」展の出品作とともに紐解く。

文=verde

ピーテル・ブリューゲル2世 野外での婚礼の踊り 1610頃 Private Collection
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 ブリューゲル。この名からまず思い浮かぶのは、多くの場合、絵本のように素朴な農民たちを描き出した「農民画家」ピーテル・ブリューゲル1世であろう。彼の画家としての才能は2人の息子たち、そしてさらに次の世代へと受け継がれ、ブリューゲル一族は150年にわたって画家を輩出し続けた。そして、ブリューゲルの名は、16~17世紀の美術に強い影響を与える「ブランド」となったのである。

 なぜ「ブリューゲル」はひとつのブランドとなり得たのか。そして一族の間で受け継がれていったものとはなんなのか。この問いを探っていこう。

自然と人間の営みへの眼差し――ピーテル・ブリューゲル1世

 ピーテル・ブリューゲル1世(1525/1530~1569)の絵画の根本にあるものは、自然への関心であった。彼が生まれた16世紀のフランドル(現在のベルギーに相当する地域)において人気を集めていたのは、ローマでイタリア・ルネサンスの表現様式を学び、取り入れたロマニストと呼ばれる画家たちだった。ピーテル1世の師ピーテル・クック・ヴァン・アールストもその1人である。ピーテル1世自身、1552年頃~54年頃にかけてイタリアに滞在したが、彼が関心を持ったのは同地の画家ではなく、むしろ旅の道中で見たアルプスの雄大な風景だった。

 その成果は、帰国後に制作した版画「大風景画」シリーズの下絵素描として結実しただけではない。《種をまく人のたとえがある風景》のように、彼の作品には、しばしばアルプスを髣髴とさせる切り立った山や渓谷、川が描きこまれている。

ピーテル・ブリューゲル1世、ヤーコブ・グリンメル 種をまく人のたとえがある風景 1557 Private Collection

 もともとフランドル美術では、現実世界の写実的な描写への関心が高く、16世紀には風景画を専門とする最初の画家も出ている。しかし、ピーテル1世はそこからさらに一歩進んで、自然を冷静に観察・描写するのみならず、そのなかで暮らす人々の日常生活をありのままに描きこんだ(最初は点景のようだった人物も、晩年になると大きくクローズアップされてくる)。

 たとえば、ピーテル1世が下絵を手がけた版画《春》を見てみよう。これは連作「四季」の一枚で、領主の造園作業に携わる農民たちを描いている。画面右側には現場監督に来た領主夫人の姿も見えるが、挨拶する男以外は、皆それぞれの作業に没頭して顔を上げる様子はない。彼らの関心は、ただ己の仕事、生活を全うすることに向けられている。

ピーテル・ブリューゲル1世[下絵]、ピーテル・ファン・デル・ヘイデン[彫版] 春 1570 Private Collection

 そうした農民たちの勤勉さ、実直さへの称賛、そして親愛の情を込めた作品をピーテル1世は繰り返し描いた。彼はしばしば農村に赴いて、農民たちに交じって祭を楽しんだとも言われる。その親愛の情は息子たちにも受け継がれ、特に農民の祝祭の場面は彼らのみならず、17世紀フランドルで大いに好まれるモチーフとなった。

広がり――ピーテル・ブリューゲル2世《鳥罠》

 ピーテル1世の死後、その人気は急速に高まっていく。とくに17世紀になると、新たに台頭した裕福な市民たちの間で絵画の収集が盛んになる。その手本になったのは貴族たちのコレクションであり、市民たちはそこに入るような名高い作品の安価なコピーを欲しがった。ピーテル1世の作品もその対象に含まれていた。

 そのような市場のニーズに応じたのがピーテル1世の長男ピーテル2世(1564~1637/38)である。彼は工房の助手たちとともに、父の作品の忠実な模倣作(コピー)を制作しては次々と市場に送り出した。《鳥罠》は、そうして制作されたコピー作品の1つである。

ピーテル・ブリューゲル2世 鳥罠 1601 Private Collection, Luxembourg

 舞台はフランドルの農村。降り積もった雪、葉を落とし、乳白色の空に細かなひび割れのような模様を描く木々の枝など、作品を見ているだけで、冬の凍てつく寒さ、厳しさが肌で感じられる。画面の左半分には、凍結した湖の上でスケートに興じる人々、遠景の灰色に霞んで見えるアントウェルペンの街並みなど、フランドルならではのモチーフが盛り込まれている。

 しかし、この《鳥罠》は、ただフランドルの冬の風物詩を描き出しただけの作品ではない。画面の下の方をよく見ると、氷に大きな穴が開いている。スケートに夢中になっている人々はそれに気づく様子もない。いっぽう、画面右側には、タイトルにもなっている鳥罠が描かれている。板と棒きれとで作られた簡素なものだが、棒切れに結びつけられた糸を引っ張れば、板がその下で餌をついばんでいる鳥を押しつぶしてしまう。つまり、スケートと鳥罠という2つのモチーフはともに、油断すると簡単に失われてしまう「人の命の不確かさ」を暗示しているのである。

ヤン・ブリューゲル2世 冬の市場への道 1625頃 Private Collection

 ピーテル1世は、冬景色をモチーフとして取り上げた最初の画家だった。子のピーテル2世が父の作品のコピーを制作・流布させることでその名声は高まり、同時に冬景色は風景画の独立した分野にまでなった。中でも《鳥罠》は100枚以上のコピーが制作された人気作品であり、まさに17世紀の美術に大きく影響を与えた存在としてのブリューゲル一族を象徴する1枚であると言っても過言ではあるまい。

発展―――ヤン1世と子孫たち

 ピーテル2世が生涯にわたって父の作品のコピーを作り続けたのに対し、次男ヤン1世(1568~1625)は、独自の道を歩んだ。彼は父の自然への関心をさらに発展させ、花の静物画という新たなジャンルを切り開いた1人となったのである。

ヤン・ブリューゲル1世、ヤン・ブリューゲル2世 机上の花瓶に入ったチューリップと薔薇 1615-20頃 Private Collection

 この《机上の花瓶に入ったチューリップと薔薇》は、ヤン1世の息子のヤン2世と共作した1枚だ。ガラス瓶には、チューリップや薔薇、水仙など色もかたちも多様な花々が文字通り湧き出るかのようにあふれ出て、暗い背景の中でくっきりと色鮮やかに浮かび上がる。その華やかさに目を奪われがちだが、画面をよく見ていると、ガラス製の花瓶の装飾や透明感、花の上にとまったトンボや蜂といった虫など、細部まで写実的に描かれているのがわかる。

 しかし、一番目を惹きつけるのはチューリップの存在である。チューリップは16世紀半ばに、トルコからもたらされた花であり、最初の投機バブルの対象となったことはよく知られている。なかでもこの絵にも描かれているような縞模様のあるものはとくに珍重されたが、じつはこれはウイルス性のモザイク病によるものであることが現在ではわかっている。

 この絵をはじめ、ヤン1世は花の静物画を得意としたことから「花のブリューゲル」、またビロードのような色調から「ビロードのブリューゲル」などとも呼ばれ、貴族や聖職者から人気を集めた。また、バロックの巨匠ルーベンスとも親しく、しばしば共作を行っている。

 彼の子孫も多く画家として活躍している。特に孫世代では、屋外の静物画を得意としたアブラハム・ブリューゲル、図鑑のように細密な昆虫画を手掛けた外孫ヤン・ファン・ケッセル1世など、それぞれに個性的な道を歩んだ者が多い。

アブラハム・ブリューゲル 果物の静物がある風景 1670 Private Collection

 雄大な自然と、その中で生きる人々。それらを冷静に観察し、ありのままに描き出すこと。ピーテル1世の独自性、根本にあった画家としての魂と呼ぶべきものは、そのように言い表せる。

 ピーテル1世の2人の息子たちは、幼いころに死んだ父から直接教えを受けることこそ叶わなかったが、その作品の模倣(コピー)を通して彼の「魂」にふれる事ができただろう。彼らがそれぞれのやり方で同時代の美術に影響を与えたのは、これまで見てきた通りである。この2人が揃っていたからこそ、「ブリューゲル」は、16、7世紀において強い影響力を持ったブランドとなり得たのだろう。

ヤン・ファン・ケッセル1世 蝶、カブトムシ、コウモリの習作 1659 Private Collection, USA