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画家の中の画家・ベラスケスをつくったものとは? 「プラド美術館展」に見るスペインの黄金時代

現在、東京・上野の国立西洋美術館で開催中の「プラド美術館展」では、スペインの巨匠 ディエゴ・ベラスケスの作品が日本国内の展覧会では過去最多の7点展示されている。「黄金時代」のスペインで活躍したベラスケスが「画家の中の画家」と言われるまでになった背景とは? 本展の出品作から紐解いていく。

文=verde

ディエゴ・ベラスケス 狩猟服姿のフェリペ4世 1632-34 マドリード、プラド美術館蔵 © Museo Nacional del Prado

「画家の中の画家」ベラスケスをつくったもの  ~「プラド美術館展」より

 いまから約400年前、スペインでは絵画が黄金時代を迎えようとしていた。国内で優れた画家が次々と出てきていただけではない。王侯貴族らパトロンたちによって、未曽有の規模で芸術の擁護と収集が進められていたのである。

 後者の筆頭が、時の国王フェリペ4世だった。そして、彼が見出し、寵愛した画家こそディエゴ・ベラスケスである。彼は、19世紀には、エドゥアール・マネをして「画家の中の画家」と賞賛され、印象派の画家たちからも自らの技法の先駆者とみなされた。

 何がベラスケスをこのような地位に押し上げたのか。「画家の中の画家」をつくったものとは、一体なんなのか。3つのキーワードをもとに、彼の生涯を見てみよう。

 

|リアリズム―セビーリャ時代

 ディエゴ・ベラスケスは1599年、セビーリャで生まれた。セビーリャは植民地との交易で栄えた港町で、当時のスペインにおいて最大の都市だった。この地でベラスケスは修行し、主に宗教画や厨房画(ボデゴン)と呼ばれる風俗画を手がけているが、その作風は「土臭いリアリズム」という一言に集約できる。

 例として、彼が20歳の時に手がけた《東方三博士の礼拝》を見てみよう。登場人物たちは皆ベラスケスの妻(聖母)や娘(幼児)、岳父(画面左端の老王カスパール)など身近な人々や画家自身がモデルになっていると推測されている。ベラスケスは彼らの個性を理想化することなく、ありのままの姿で描き出した。聖なる存在であることを示す光輪もうっすらと描かれているだけである。

 

 そのためか、聖書に題材をとった作品ではあるが、見る側にとっては、遠い昔ではなく自分たちと同時代の出来事のようにも思える。「卑俗」と言えるかもしれない。だが、伏し目がちな聖母のたたずまいや、母に支えられ、自分を礼拝する博士を見つめる幼児キリストの面差しからは、厳粛さも感じられる。

 これは、当時プロテスタント側への巻き返し(対抗宗教改革)を図っていたカトリック側のニーズとも合致した。彼らは、プロテスタント側が偶像崇拝として否定した聖像を、信仰心を鼓舞するツールとして積極的に活用しようとしたのである。民衆に聖書の教えをわかりやすく伝えられるよう、そして聖なる出来事がいま、目の前で起こっていることのように感じられるよう、簡潔でわかりやすい表現やリアルな描写が求められた。そして、それらは光と影との強いコントラストの中でドラマチックに浮かび上がり、見る人に強い印象を残す。イエズス会の修練院のために描かれたこの作品も、その典型的な例と言えよう。

|ルーベンスとの出会い―マドリードの宮廷にて

 1623年、ベラスケスは王付き画家として召し抱えられることになる。以後、彼は2度のイタリア旅行を除いて、ほとんどの期間を宮廷で過ごし、王家の人々の肖像画や宮殿の装飾を手がけていく。

 もともとカルロス1世に始まるスペイン=ハプスブルク家の王たちは、代々美術への関心が高く、王室には16世紀のティツィアーノやティントレットなどのヴェネチア派や、フランドル絵画の名品が集められており、当代の王フェリペ4世もその例に漏れなかった。美術に対して一流の目利きでもあった彼は、ティツィアーノらの作品をさらに買い集め、また画家たちに新たな作品を注文するなど、コレクションを充実させることに熱心だった。

 

 ベラスケスの才能も高く評価し、彼以外には肖像画を描かせなかったし、王家のコレクションを自由に閲覧することも許していた。引き立ててくれるパトロン、そして膨大な数の名品。それらは若い画家を大いに刺激しただろう。

 さらに1628年には、ベラスケスにとって大きな出会いがあった。ルーベンスがマドリードの宮廷にやってきたのである。彼はすでに50代、画家としてのみならず、外交官としてもヨーロッパを股にかけて活躍し、名声を博す大家だった。当時も外交使節としての訪問だったが、スペイン王家の所有するティツィアーノの絵画を模写したり、フェリペ4世からも作品の注文を受けるなど、画家としても大いに活動した。

 そして、彼がマドリードで親交を結んだ唯一の相手こそ、ベラスケスだった。ルーベンスの作品《聖アンナのいる聖家族》を見ると、先ほど紹介したベラスケスの作品とはまさに対照的と言って良い。中心に聖母子、そして2人を後ろから抱擁するマリアの母聖アンナ、そして右端には聖ヨシフが等身大にクローズアップされて描かれている。指で押せばはじき返してきそうなバラ色の頬や黒い目からは匂い立つような生気が、個々の仕草や表情からは家族らしい暖かな情愛が感じられる。何より印象的なのは、画面いっぱいにあふれる青や赤などの色彩の豊麗さである。これは、ルーベンスがとりわけ強い関心を寄せていたティツィアーノの影響による。

 

 29歳のベラスケスにとってこの先輩画家との交流はどれほどの刺激に満ちていたことだろう。彼はルーベンスの模写にも同行したと言われている。ルーベンスも、作業の傍ら、模写している作品について後輩に語ったかもしれない。それは、きっと若い画家の世界を大きく押し広げただろう。そして、ルーベンスはベラスケスに対して、次のようなことも助言した。イタリアに行き、巨匠たちの作品を学ぶように、と。

|イタリアへ

 ルーベンスに勧められたイタリアへの旅行は、1629年に実現する。彼は1年半をかけて、ヴェネチアやフェラーラ、そしてローマなどを巡り、同地の美術作品を研究した。それを通して、彼の画風は大きな変化を遂げる。

 その成果は、帰国後に手がけた王族たちの肖像画や、増改築された離宮やトーレ・デ・ラ・パラーダ(狩猟休憩塔)のための装飾画群の中に見出すことができる。その中の1枚《マルス》を見てみよう。

 例えば、ベッドの敷布の白とバラ色、そしてマルスの衣の青という色合いの温かさ、そしてそれらが柔らかくコントラストを成す様は、イタリアに行く前は見られなかったものである。武具(剣の持ち手)や兜の装飾は、近くで見ると筆が無秩序にのたくった痕、あるいは曖昧な線にしか見えない。しかし、離れたところから見ると、はっきりしたかたちをもって魔法のように浮かび上がる。これらの要素は、線描よりも色彩に重きを置き、大胆な筆さばきを特徴とするティツィアーノやルーベンスの系統に位置付けることができる。同時に、19世紀の印象派の技法を先取りしているとも言えよう。

 

 また、そのポーズは、フィレンツェのミケランジェロの彫刻作品や古代彫刻から想を得たものと推測されている。いっぽうで、中年の男性の姿で表された神の肉体は、ミケランジェロの表現するような理想的な肉体とは言い難く、ありのままの現実を客観的に描き出すベラスケスらしさを感じさせる。

 マルスは古代ローマ神話に登場する戦いの神であり、このような神話画は、厳格なカトリック国であるスペインでは作例が少ない。異教の主題であり、しばしば「風紀を乱す」恐れのある裸体の表現を伴うからである。しかし、画家にとっては自分の力量をもっともよく示すことができる主題であったし、王侯貴族らパトロンたちもしばしば立ち入りを制限した秘密の部屋をつくって、そこにイタリアやフランドルの画家たちの作品を集め、こっそり鑑賞していた。

 いっぽうで、神話画は道徳的、政治的な意味合いを帯びていることも多かった。例えば怪物退治の英雄ペルセウスは、勇気、英雄性、勝利など王の諸価値と結び付けられ、彼を扱った主題は、王宮の装飾にも取り入れられた。この《マルス》にも、そのような解釈は可能である。マルスは本来武装した若い兵士の姿で表されることが多いが、この作品では武装を解き、疲れた様子でベッドに腰かけている。まるで戦いを終えて、帰ってきた兵士の姿そのままであろう。そして、この「武装を解いた姿」によって、逆説的に「平和」を表しているとされている。

 鏡のようなリアリズム―ベラスケスの画風はしばしばこのように集約される。目の前の現実をありのままに、理想化せずに描き出す「リアリズム」、それはセビーリャ時代から彼の芯にあり続けたものである。そこにルーベンスやイタリアで目にした諸作品など、外部からの様々な刺激が加わって、画風は変化していったのはこれまでに見た通りである。

 

 彼が「画家の中の画家」と言われるまでになったのには、彼を見出し、作品を描かせたパトロンである王の存在も欠かせまい。しかし、ベラスケスの存在は、17世紀という黄金期を迎えたスペイン絵画のほんの一角に過ぎない。セビーリャからは、彼の他にもスルバランやムリーリョが出ている。他にもナポリで活躍したリベーラ、マドリードで活動したフアン・デ・エスピノーサの静物画など、優れた画家、見るべき作品は多くある。

 

 今回の展覧会は、まさにこのスペイン絵画の「黄金期」を様々な角度から体感できる貴重な機会である。見る度に、違う作品が目に留まるかもしれないし、新たな発見をするかもしれない。一度と言わず、何度でも足を運んでほしい。

編集部

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