アートへの憧れと皮肉が同居する、 「なりたがり屋」の物語
MADSAKIの絵は、《HOLY FUCKING SHIT》(2012)から、もう一度始まった。そのときキャンバスに筆で書きつけられたのは「ひどい驚き」を表すスラングだった。「数年間、絵が描きたくなくて、描けなくて。きれいなキャンバスの白い状態が嫌で、いつも始めに文字で汚し、気を落ち着けていました。それでふと『HOLY FUCKING SHIT』と書いた文字のままでよくない?みたいになって、そこから入り込んでいったんです」。
アメリカに移住した1980年、幼少の彼がジョン・F・ケネディ国際空港からニュージャージーへと向かう間に目にしたのは、道も車も地下鉄も、グラフィティで覆い尽くされた景色だった。「そういう環境で育ったから、グラフィティがあることが当たり前なんです」と話すMADSAKIにとって、「HOLY FUCKING SHIT」が絵に「なる」ことは、巨匠の名画を引用することと、どこか自然なつながりを持っていた。「父親はアートがすごく好きで、休日になると美術館巡りをしました。最初は嫌だったけれど、慣れてくると反対に衝撃を覚えていったんです」。かつてスラングと名画は、どちらも突然投げ出された異国の地で浴びた、新たに習得しなければならなかった文化に等しく、まずは「からっぽの記号」として並置されていた。「ああ、『FUCK』はマティスやピカソかもしれないなって。巨匠たちの名画と『FUCK』は氾濫するイメージとして同じものになったんです。これはイケるかもと思い『WANNABIE'S』を始めました」。MADSAKIがつくり上げた架空のコレクター、およびコレクション「WANNABIE'S」。「なりたがり」の意を持つスラング「ワナビー(wannabe)」の語尾には、クリスティーズやサザビーズに掛けた「ie's」が加えられており、アート界に憧れを抱く者の欲望が重ねられている。「美術館に行って《モナ・リザ》が買えないということを知って、じゃあ自分で描いてみようかな、と描き始める。でも顔は描けないからニコちゃんでいいか、みたいな。なるべく自分が見た絵から選びます。生で見た衝撃を覚えている絵のほうが描きやすいから。そういうコンセプトで始めました。自分で名画のコレクションを増やしていくんです」。
けれども、例えばマティスの絵画にあるひとつの色を、記号的に分類され混色することのできないスプレーの塗料によって描き出そうとする間に、記号的に見えていたはずの名画は異様な変貌を遂げていく。巨大な面を、接触すらせずに一気に塗りつぶしてしまう暴力的なスプレーの噴射は、美術史を飾る巨匠の名画に向けられながら繊細に、そして何よりも正確であることを避けるかのように粒子の集まりとして憧れの絵画をスラングへと変える。「きれいな線より、垂れていたり、汚れたりしている線が好きです。全然きれいに描こうとはしていないので。きれいに描く人は腐るほどいるからもう任せています。スプレーを吹き過ぎるとフラットになってしまうため、あえてステンシルキャップを使い、バックを塗ってテクスチャを出しています。スプレーで描いているけれど、グラフィティではない。ただグラフィティ・ライターが使用しているツールで絵を描いているんです」。筆ではなくスプレーで、グラフィティではなく絵を描くこと。二つの世界は捻れて入れ替わることで、交錯する。
「コレクター」から「巨匠」へ。架空の人物と描くこと
「描いているときは、アーティストに『なりきる』んですよね。この人は何を考えて描いていたんだろうとか、フェルメールはこの時代に何をやっていたんだろう、なんで描いたんだろうって」。MAD SAKIは「WANNABIE'S」の憧れを通じ、自身がスプレーでコピーした名画を見つめながら、あることに気づいたという。「みんなプライベートの絵を描いているんですよ。愛人とか女の人の裸とか、何やっているのかよくわからない場面とかです。すると、憧れて名画を集めていた架空の人物が『俺が巨匠になって絵を描けばいいんだ』って勘違いし始めたんです(笑)」。その「WANNABIE'S」の進化系が、新作《Ceiling》(2017)を含む「嫁」シリーズだ。
キャンバスの白さを前に立ち尽くしていた頃より実現されてきた絵画空間には、「WANNABIE'S」の欲望がつきまとい、架空であるはずの人物は、ついに絵の世界にハマって、それを引き受け、描き始める。こうしたプロセスは、アート界において「なりあがる」ことを含め、描くことそのものをロールモデル化したものである。そこにはバンクシーに勧められ、見よう見まねでアーティストになり成功したミスター・ブレインウォッシュのように、まるでアートのシステムを揶揄するかのような「人格」が体現されてはいる。が、しかし「WANNABIE'S」は、描けなかった苦しみから、描くことを少しずつ再認しながら、むしろ絵の中へと入り込み、自身のモチーフ、構図を発見し楽しむ姿こそをあらわにするのだ。
「良い意味でのひどさ。ひどいな、何やってんだって、自分の絵を見て指さして笑えないと、見る人にも伝わらないんですよね。自分がクスってなるやつにはみんなが反応してくれたりするから、見えない何かがあるのかな」。MADSAKIの描くプロセスは、巨匠が体感していたはずの喜び、そこへと向かう予感をはらみつつも、その憧れをすべて幻として裏切るような皮肉を同居させている。「アート界は、憧れでもあるし狂った世界でもあり、それらは常に握手しているようです。そこは否定しません。共存している感じです」。
《HOLY FUCKING SHIT》に含まれていた「ひどい驚き」の二重性、絵画への憧憬と絶望。そこにとどまることを選んだ「WANNABIE'S」が描くのは、ごく私的な世界である。「愛がないとね、描けないんですよ」。自身が描き続ける者に「なる」ために。
(『美術手帖』2017年6月号「ARTIST PICK UP」より)