EXHIBITIONS
アート・アーカイヴ資料展XXVII
交信詩あるいは書簡と触発:瀧口修造と荒川修作/マドリン・ギンズ
慶應義塾大学アート・センターで「アート・アーカイヴ資料展XXVII 『交信詩あるいは書簡と触発:瀧口修造と荒川修作/マドリン・ギンズ』」が開催される。
荒川修作(1936〜2010)は1950年代後半から日本で芸術家として活動を開始し、瀧口修造のアドバイスもあり1961年にニューヨークに渡る。翌年、公私ともにパートナーとなるマドリン・ギンズ(1941〜2014)と出会い、協働で様々な表現活動を行う。
とくに荒川は現代美術の父と言われるマルセル・デシャンの知遇を得て、70年代以降国際的に活を続ける。そのテーマは一貫して「生命とは?」そして「身体が中心となる世界をどうしたらつくれるだろうか」ということだった。
芸術から建築へと表現活動を移行してからは、奈義町現代美術館の「太陽」の部屋(1994、岡山県奈義町)、養老天命反転地(1995、岐阜県養老町)、三鷹天命反転住宅(2005、東京都三鷹市)など、カラダが中心となる建築作品を発表。自らを「コーデノロジスト(Coordinologist)」と称し、芸術・哲学・科学の総合と、その実践を目指すものとして、天命反転都市という社会実験の実現にむけて活動し、その作品は美術・建築のみならず社会的な反響を呼び続けている。
本展では、これまで別々に保管されていた詩人・美術批評家の瀧口修造と荒川+ギンズの書簡をひとつにまとめ45年ぶりに往復書簡の再現を試みる実験的な展覧会となっている。手紙のやり取りは1962年1月12日、荒川修作の渡米直後から、1979年6月3日、瀧口修造が亡くなる一ヶ月前まで続いており、手紙を通して両者の熱い頼関係や師弟/友人を超えて協働制作やコミュニケーションを行っていたことを見ることができる。また1962年に瀧口修造が荒川修作へ送ったバーント・ドローイングも展示される。
荒川修作(1936〜2010)は1950年代後半から日本で芸術家として活動を開始し、瀧口修造のアドバイスもあり1961年にニューヨークに渡る。翌年、公私ともにパートナーとなるマドリン・ギンズ(1941〜2014)と出会い、協働で様々な表現活動を行う。
とくに荒川は現代美術の父と言われるマルセル・デシャンの知遇を得て、70年代以降国際的に活を続ける。そのテーマは一貫して「生命とは?」そして「身体が中心となる世界をどうしたらつくれるだろうか」ということだった。
芸術から建築へと表現活動を移行してからは、奈義町現代美術館の「太陽」の部屋(1994、岡山県奈義町)、養老天命反転地(1995、岐阜県養老町)、三鷹天命反転住宅(2005、東京都三鷹市)など、カラダが中心となる建築作品を発表。自らを「コーデノロジスト(Coordinologist)」と称し、芸術・哲学・科学の総合と、その実践を目指すものとして、天命反転都市という社会実験の実現にむけて活動し、その作品は美術・建築のみならず社会的な反響を呼び続けている。
本展では、これまで別々に保管されていた詩人・美術批評家の瀧口修造と荒川+ギンズの書簡をひとつにまとめ45年ぶりに往復書簡の再現を試みる実験的な展覧会となっている。手紙のやり取りは1962年1月12日、荒川修作の渡米直後から、1979年6月3日、瀧口修造が亡くなる一ヶ月前まで続いており、手紙を通して両者の熱い頼関係や師弟/友人を超えて協働制作やコミュニケーションを行っていたことを見ることができる。また1962年に瀧口修造が荒川修作へ送ったバーント・ドローイングも展示される。