EXHIBITIONS
浜田浄 めぐる 1975-
高知県立美術館で「浜田浄 めぐる 1975-」が開催されている。
浜田浄(はまだ・きよし、1937〜)は高知県黒潮町出身。アンフォルメル、反芸術、もの派と、めまぐるしく移り変わる戦後日本のアートシーンを傍目に、東京都練馬区の小学校教員として勤めながら、自らの表現に妥協することなく手を動かし続けてきた美術家だ。
もの派の作家たちを指導した斎藤義重(1904〜2001)による、合板に電動ドリルで描いた作品に感銘を受けた浜田は、1975年、38歳の時に、シャープな直線が鮮烈な視覚効果をもたらす合板絵画を手がける。1977年にはそのイメージを版画として発表し、注目を集めた。以降、平面作品の制作を軸に据えながら、刷る、塗る、彫る、削る、組むといった行為の反復により、時間の蓄積を感じさせる独自の抽象表現を開拓した。
浜田の作品には、原則として具象的なモチーフは表れない。しかし、清新な緊張感をたたえた描線や彫線の連なりには、手作業ならではの温もりに加えて、自らが生まれ育った土地の記憶が息づいているという。作品に登場するミニマルなフォルムや抑制的な色彩も突き詰めると、朱色に染まる夕陽、黒々とした夜の海、視界一面に広がる水平線といった、太平洋に面した故郷、黒潮町の風景に行きあたる。
本展では、作風の転機にあたる1975年から2024年の最新作までのおよそ60点を通して、浜田の制作が深化する過程を体感してほしい。
浜田浄(はまだ・きよし、1937〜)は高知県黒潮町出身。アンフォルメル、反芸術、もの派と、めまぐるしく移り変わる戦後日本のアートシーンを傍目に、東京都練馬区の小学校教員として勤めながら、自らの表現に妥協することなく手を動かし続けてきた美術家だ。
もの派の作家たちを指導した斎藤義重(1904〜2001)による、合板に電動ドリルで描いた作品に感銘を受けた浜田は、1975年、38歳の時に、シャープな直線が鮮烈な視覚効果をもたらす合板絵画を手がける。1977年にはそのイメージを版画として発表し、注目を集めた。以降、平面作品の制作を軸に据えながら、刷る、塗る、彫る、削る、組むといった行為の反復により、時間の蓄積を感じさせる独自の抽象表現を開拓した。
浜田の作品には、原則として具象的なモチーフは表れない。しかし、清新な緊張感をたたえた描線や彫線の連なりには、手作業ならではの温もりに加えて、自らが生まれ育った土地の記憶が息づいているという。作品に登場するミニマルなフォルムや抑制的な色彩も突き詰めると、朱色に染まる夕陽、黒々とした夜の海、視界一面に広がる水平線といった、太平洋に面した故郷、黒潮町の風景に行きあたる。
本展では、作風の転機にあたる1975年から2024年の最新作までのおよそ60点を通して、浜田の制作が深化する過程を体感してほしい。