EXHIBITIONS
開館2周年記念特別企画
藤田嗣治の愛しきものたち
軽井沢安東美術館で、開館2周年記念特別企画「藤田嗣治の愛しきものたち」が開催されている。
1920年代「乳白色の裸婦」を描いて一躍時の人となった藤田嗣治。藤田にしか出せない乳白色で描かれた裸婦像は、藤田の代名詞となっている。しかし、藤田が「乳白色の裸婦」を描き続けることはなく、時代の変化とともにモチーフも移ろいでいった。
藤田が描いたのは、藤田に寄り添い、癒しとなったものたち、また藤田が愛し慈しんだ身近な存在と言える。例えば、裸婦像には藤田と深い友情でつながっていたキキや3番目の妻ユキが多く登場し、4番目の妻マドレーヌは藤田が好んで幾度も描いた女性だった。
聖母子や子供を多く描くようになったのは戦争責任をめぐる問題で傷つき、日本を飛び出した後のこと。その後、藤田は日本に戻ることはなく、1955年にフランス国籍を取得、1959年にはカトリックへと改宗しする。宗教画をモチーフにした作品を多く手がけるいっぽう、子供のいなかった藤田は「一番愛したい子供」として想像上の子供の姿をキャンバスに描いていく。そしていうまでもなく、猫はつねに藤田のそばにいた存在だった。
本展では「藤田嗣治の愛しきものたち」と題し、その時々に藤田が愛しみ描いたモチーフから藤田の人生を垣間見る。
また、同時開催の特別企画「藤田嗣治 君代との日々」では、藤田5番目の妻・君代夫人の親戚から寄贈された品々を一挙公開。晩年に藤田が君代夫人と過ごしたヴィリエ=ル=バクルの自宅で撮影したプライベート写真や、1939年戦時下のパリで藤田がメモした直筆の手帳が紹介される。
1920年代「乳白色の裸婦」を描いて一躍時の人となった藤田嗣治。藤田にしか出せない乳白色で描かれた裸婦像は、藤田の代名詞となっている。しかし、藤田が「乳白色の裸婦」を描き続けることはなく、時代の変化とともにモチーフも移ろいでいった。
藤田が描いたのは、藤田に寄り添い、癒しとなったものたち、また藤田が愛し慈しんだ身近な存在と言える。例えば、裸婦像には藤田と深い友情でつながっていたキキや3番目の妻ユキが多く登場し、4番目の妻マドレーヌは藤田が好んで幾度も描いた女性だった。
聖母子や子供を多く描くようになったのは戦争責任をめぐる問題で傷つき、日本を飛び出した後のこと。その後、藤田は日本に戻ることはなく、1955年にフランス国籍を取得、1959年にはカトリックへと改宗しする。宗教画をモチーフにした作品を多く手がけるいっぽう、子供のいなかった藤田は「一番愛したい子供」として想像上の子供の姿をキャンバスに描いていく。そしていうまでもなく、猫はつねに藤田のそばにいた存在だった。
本展では「藤田嗣治の愛しきものたち」と題し、その時々に藤田が愛しみ描いたモチーフから藤田の人生を垣間見る。
また、同時開催の特別企画「藤田嗣治 君代との日々」では、藤田5番目の妻・君代夫人の親戚から寄贈された品々を一挙公開。晩年に藤田が君代夫人と過ごしたヴィリエ=ル=バクルの自宅で撮影したプライベート写真や、1939年戦時下のパリで藤田がメモした直筆の手帳が紹介される。