日本初の藤田嗣治(レオナール・フジタ、1886~1968)だけを展示する個人美術館・軽井沢安東美術館がオープン。その様子をレポートでお届けする(なお藤田作品はウェブへの掲載も制約があるため、本稿には撮影可能な一部のみ掲載する)。
藤田嗣治は、エコール・ド・パリ(パリ派)を代表する日本の画家。1913年に渡仏し、1920年代には「乳白色の下地」の裸婦でヨーロッパ画壇を席巻した。日本に帰国後は戦争に巻き込まれるなど数奇な運命に翻弄されるが、晩年はフランス人レオナール・フジタとして穏やかな生活を営んだ。
軽井沢安東美術館は、多くの企業再生に関わってきた実業家・安東泰志が夫妻で長年収集し、自宅に展示してきた藤田作品約180点を収蔵する個人美術館。安東夫妻は、「皆様を自宅に招くような気持ちで、美術館を心地よく楽しんでいただき、ゆっくり藤田作品を鑑賞していただきたい」という想いから、私財を投じてこの美術館を設立したという。
美術館は、安東夫妻が一時期滞在していたイギリスの風景からインスピレーションを受け、イギリス製の赤レンガをまとった外観となっており、中庭をめぐるように展示室を配置。各展示室は安東夫妻の自宅を再現するように壁の色が緑や黄色、青、赤などで装飾されている。
オープン企画では開館を記念し、所蔵作品約180点から、ほぼ全ての主要作品を展示されており、4つのコンセプトで構成される。
展示室2「渡仏〜スタイルの模索から乳白色の下地へ」では、安東コレクションのなかでも初期の作品を中心に紹介する。1913年にフランスに渡った藤田は様々なスタイルを模索。やがてヨーロッパ中を席巻した「素晴らしき乳白色の下地」の完成に至るまでの作品群が展示されている。とくに1910〜20年代に藤田が2番目の妻と訪れた際に描いた風景画《コリウールの風景》は貴重な作品である。
1930年代には、新たな恋人・マドレーヌとともに藤田はパリを離れて中南米へ渡った。展示室3「旅する画家〜中南米、日本、ニューヨーク」では、その旅をテーマとする作品を紹介するとともに、のちに日本に帰国した藤田に忍び寄る戦争の足音を感じさせるような戦争画も展示。時代の激流に巻き込まれてゆく藤田の足跡をたどっていく。
戦後ニューヨーク経由でパリに戻った藤田は、懐かしいパリの風景や少女を描き始める。日本に戻らずフランス人として生きる決意をした藤田は名を「レオナール・フジタ」と改めた。展示室4「ふたたびパリへ〜信仰への道」は、まるで教会のような設計が施されており、画題を清らかな少女から聖女、聖母子へと変えていった藤田を取り上げ、安東コレクションのクライマックスとも言える荘厳で静謐な世界観を紹介する。絵の端に書かれたサインが「レオナール・フジタ」へと変化している部分にも着目してほしい。
赤い壁が特徴の展示室5「少女と猫の世界」は、安東夫妻宅のリビングルームを再現した部屋だ。安東のコレクションは、可愛らしい「猫」が描かれた1枚の版画から形成されていったという。「少女」と「猫」がずらりと並んだこの展示室は、安東夫妻が理想とする、自宅に招かれたかのような展示空間となっている。
また、フランスの藤田財団と安東美術館の尽力により、開館から半年間限定でこの展示室は自由に撮影が可能だ。許諾なしに藤田作品を撮影できるのはこの美術館の展示室が初だという。
本館の特徴として加えて挙げるとすれば、通常美術館では展示されないような藤田のユニークな作品も展示している点だ。それらの作品は藤田がどのような人物であったかが伺える大切な資料となっている。
そして、この美術館は不思議と癒やしと安らぎがあふれる、安東夫妻の想いがまさに実現されたような空間であった。軽井沢という立地にくわえて、藤田の描いた作品から感じられる慈しみの心、そして安東夫妻の想いが美術館を通じて伝わってくるようだった。
なお、本館は豊富な藤田作品の鑑賞に加えて、公式図録やグッズも魅力的だ。図録には作品情報のみならず藤田作品を研究する様々な人物による寄稿も面白い。
鑑賞後には美術館併設の「HARIO CAFÉ」で美味しいコーヒーも味わうことができる。たまには都心を離れて、安東美術館で穏やかな時間を過ごしてみてはいかがだろうか。