EXHIBITIONS
加納満 写真展「Personal Signals」
ギャラリー冬青で、加納満による写真展「Personal Signals」が開催される。
加納満は岡山市生まれ。天晶雅彦、奥宮誠次に師事。1985年雑誌媒体の撮影を主として独立し、後に広告撮影へと移行。近年はアナログプロセスでの作品制作を中心に活動している。とくに魅力を感じていた国・イタリアには1991年からいままで30回ほど訪れており、そこで撮影した写真作品を精力的に発表してきた。本展に寄せて、加納は次のように語っている。
「すべての線を切られて電流を流すことのなくなった電柱。紛れもなく電柱であったものを見続けることで、それが何かを発しようとするアンテナのように見え始めた。『写真を撮る』ということは、まず視覚への刺激があり、そこから撮りたいという欲求が生まれ、撮るという行為につながるのが一般的だ。しかし、カメラという機械に依存するその宿命から、例え意図や欲求が希薄であっても撮れてしまう偶然性を内包し、また、撮影者の思考がまとまる前に記録されてしまう場合があることも知られたところだ。
それゆえ、撮影の場では認識できなかったことが後々存在感を増したり、違った意味を持って迫ってきたりということもある。撮るにしろ見せるにしろ表面だけで存在することが写真の本質でありその奥底などない。だが、ごく稀に、見続けることで増していくなにかしらの意識が、その写真からの静かな主張ではないかと感じると言えば、私と写真との関係性が少し見えてくるだろうか。今回は、それら私に向けてなにかを伝えてきた写真を『personal signals』としてまとめてみた」(プレスリリース より)。
加納満は岡山市生まれ。天晶雅彦、奥宮誠次に師事。1985年雑誌媒体の撮影を主として独立し、後に広告撮影へと移行。近年はアナログプロセスでの作品制作を中心に活動している。とくに魅力を感じていた国・イタリアには1991年からいままで30回ほど訪れており、そこで撮影した写真作品を精力的に発表してきた。本展に寄せて、加納は次のように語っている。
「すべての線を切られて電流を流すことのなくなった電柱。紛れもなく電柱であったものを見続けることで、それが何かを発しようとするアンテナのように見え始めた。『写真を撮る』ということは、まず視覚への刺激があり、そこから撮りたいという欲求が生まれ、撮るという行為につながるのが一般的だ。しかし、カメラという機械に依存するその宿命から、例え意図や欲求が希薄であっても撮れてしまう偶然性を内包し、また、撮影者の思考がまとまる前に記録されてしまう場合があることも知られたところだ。
それゆえ、撮影の場では認識できなかったことが後々存在感を増したり、違った意味を持って迫ってきたりということもある。撮るにしろ見せるにしろ表面だけで存在することが写真の本質でありその奥底などない。だが、ごく稀に、見続けることで増していくなにかしらの意識が、その写真からの静かな主張ではないかと感じると言えば、私と写真との関係性が少し見えてくるだろうか。今回は、それら私に向けてなにかを伝えてきた写真を『personal signals』としてまとめてみた」(プレスリリース より)。