SERIES / 今月の1冊 - 2017.12.28

【今月の1冊】平成の「現代美術」を証言する『最後の場所 現代美術、真に歓喜に値するもの』

『美術手帖』の「BOOK」コーナーでは、新着のアート&カルチャー本の中から毎月、注目の図録やエッセイ、写真集など、様々な書籍を紹介。2018年1月号の「今月の1冊」は、南嶌宏の著書『最後の場所 現代美術、真に歓喜に値するもの』を取り上げた。

文=近藤亮介(美術家)

南嶌宏著『最後の場所 現代美術、真に歓喜に値するもの』の表紙

南嶌宏著『最後の場所 現代美術、真に歓喜に値するもの』の表紙

反近代主義者の「現代美術」論

 熊本市現代美術館館長、女子美術大学教授を歴任した美術評論家・キュレーターの南嶌宏のエッセー集。美術評論集『豚と福音』(1997)発表後に書かれた約20年間の論考を収録した本書は、著者が2016年1月に急逝する直前まで準備していた原稿と構成を基に、3人の編集委員が「補遺」と「あとがき」を加えて完成された。したがって、本書は個別の作家・展覧会を中心に、20世紀末から現在までの「現代美術」を俯瞰する内容となっている。

 そこには、草間彌生やマリーナ・アブラモヴィッチ、そしてVOCA展やヴェネチア・ビエンナーレなど、国内外の作家・展覧会が含まれるが、とりわけ興味深いのは、日本人作家の幅広さである。大御所から若手まで、そして洋画やいけばなといったジャンルまで、南嶌は臆せず「現代美術」として扱った。ついには、江戸時代の生人形までもが「現代美術」に加えられた。

 そのような南嶌の縦横無尽な評論に通底するのは、反近代主義の精神である。それは換言すれば、西洋中心主義やアカデミズム、資本主義への抵抗であり、画一的になってゆくグローバルな世界に「複数」性を取り戻す挑戦である。だから彼は、近代の産物である――善きものとして無批判的に奨励される――アイデンティティをまず疑い、それをテーマに繰り返し展覧会や講演を行った。その背景には、バブル経済に翻弄され、1990年代にインディペンデント・キュレーターとして東欧の旧共産主義圏で見聞を広めた経験も関係しているだろう。しばしば主題である芸術作品よりも著者自身の体験を前景化させているように見えてしまう点は否めないが、その情緒あふれる主観的な書き振りは、南嶌の人間的な熱っぽさを伝えている。

 あとがきのひとつで保坂健二朗が冷静に指摘する通り、「ソーシャリー・エンゲイジド・アート(社会関与の芸術)」が市民権を得た現在において「アイデンティティの忘却」を例証するのに宮島達男と川俣正だけでは不十分であるし、また「彼〔南嶌〕のテキストが、今後、個々の作家研究の際に参照されることはあまりない」かもしれない(もっとも保坂は、南嶌特有の冗長な語り口を、近代的「批評」ではなく反近代的「評論」として肯定的に解釈しようとしているが)。そうであったとしても、一美術評論家の風変わりな「日記」として読むことはできる。つまり本書は、今後の美術評論史・キュレーター史の研究において、平成時代の「現代美術」を証言する一次文献としての可能性をはらんでいる。

 (『美術手帖』2018年1月号「BOOK」より)