ミュージアムの基礎知識(2):ミュージアムの「祖先」とは? ムーセイオンからヴンダーカンマーへ

2022年、ICOM(国際博物館会議)が新たな「ミュージアム」の定義を採択した。時代とともに変化するミュージアムの世界を、博物館学の専門家である東京藝術大学大学美術館の熊澤弘准教授がご案内する。第2回と第3回では、ミュージアムがミュージアムとなるまでの歴史をたどる。

文=熊澤弘

ダーフィット・テニールス ブリュッセルの画廊における大公レオポルト・ヴィルヘルム 1650-52 ウィーン美術史美術館
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レンブラントの自邸にもあった「美術陳列室」

 連載「ミュージアムの基礎知識」の第2回からは、「ミュージアムの歴史」と題し、ミュージアムが現在の形式となるまでの歴史的経緯を紹介。その端緒として、ここではまず、17世紀オランダを代表する画家・版画家レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn, 1606-69)の邸宅に注目します。

”──レンブラントは、絵画、デッサン、銅版画などあらゆる美術品やあらゆる種類の珍品に対する類稀な愛好家であった。それらを彼は膨大に収集しており、その点において希代の通人であった。かくして彼は大いに評価され推奨された”(ヨアヒム・フォン・ザンドラルト、1675)(*1)
レンブラントハイス美術館(オランダ・アムステルダム)にある「美術陳列室」
© agefotostock / Alamy Stock Photo

 《夜警》(1642、アムステルダム国立美術館)をはじめとする力強い作家活動によって知られるレンブラントは、キャリアのピークにあたる1639年にアムステルダム市内に豪邸を購入し、生活と制作の拠点としており、そこには”kunstkamer"、すなわち「美術陳列室」と呼ばれる部屋が存在していました。上にある画像は、かつてレンブラントの邸宅にあった美術陳列室を、財産目録に記述された内容から想定復元して展示しているものです。

 レンブラントの同時代の画家・著述家ヨアヒム・フォン・ザンドラルト(Joachim von Sandrart, 1606-1688)が伝えるように、レンブラントは様々な美術品──同時代の画家の絵画のみならず、ルネサンス以来の版画・素描群を含む──だけでなく、動物の剥製などの自然物や、鎧や日本の兜など様々な珍品も集めていました。彼の蒐集活動は生前から高く評価されており、彼が熱心に珍品まで蒐集しようとしていたといいます(*2)。そしてレンブラントが集めたコレクションをまとめた部屋が、先に挙げた「美術陳列室」なのです。

 この「美術陳列室」のような形式のコレクション・ルームには、「博物館資料」あるいは「有形及び無形の遺産」が「研究、収集、保存、解釈、展示」されており、ミュージアムとしての「モノ」や「場」がそろっています(前回テキスト参照)。つまり、ここには現在の我々が知るミュージアムの原型を見出すことができるのです。

 では、この「ミュージアムの原型」を、どこまでたどることができるでしょうか。それを、古代から中世、近世へと時代を下りながら探ってゆきましょう。ここで紹介したいのは「ムセイオン」(Mouseion)と「ピナコテーケー」(pinakothēkē)です。

「ムセイオン」(Mouseion)──ミュージアムの「起源」とされるもの