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櫛野展正連載20:アウトサイドの隣人たち 太久磨「生きるための絵画」

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載の第20回は、宗教への傾倒を経て「植物」をテーマに絵画を描く太久磨を紹介する。

自作の絵画の前に立つ太久磨

 案内された部屋は、壁一面に絵が飾られていた。植木鉢から伸びる植物を描いた油彩画の連作で、ほとんどが同じ構図や色づかいで描かれている。シュルレアリスム絵画のような不思議な画面構成は、不条理で謎めいた力を秘めている。

太久磨 自画像としての植物

 作者の太久磨(たくま)さんは、1986年に3人兄弟の末っ子として香川県で生まれた。生まれつきディスレクシア(読字障害)のような症状があり、活字の多い教科書などは10秒も注視することができなかった。授業中は、勉強ができないことで先生から怒られるかも知れないという恐怖心や、答えがわからないことへのプレッシャーで、毎日怖くてたまらなかったそうだ。そんな彼が熱中したのは、漫画を読んだり描いたりすることだった。休み時間や放課後には、友だちを主人公にした漫画を描いたり、独自の遊びを考えたりしてヒーローになった。

 中学に入ると、学校や家庭でのストレスを遊びで発散するかのように、友人たちと8ミリビデオでの映画撮影や釣りやアニメなどの趣味に没頭していった。その一方で、塾などに通って何度も勉強に取り組んでみたものの、いっこうに成績は良くならなかった。周囲が受験勉強に取り組むようになると、ひとり漫画を描いている姿を見た知人たちから「そんなことして将来、大丈夫?」と声をかけられ、自分だけ取り残されていく虚無感を感じたという。4つの高校を受験するも、すべて不合格に終わった。

 そこで、中学卒業後にアニメーターを志して上京し、代々木アニメーション学院へ入学。絵を描き続けることを日課にした生活を送っていたが、制作会社の研修先で今後も部屋にこもって絵を描き続ける人生を想像したとき、途端にやる気がなくなってしまったそうだ。そのため、アニメーション学院を卒業した後、映画監督を目指して日活芸術学院に進学した。1年生の頃に俳優コースに在籍する知人たちと自主制作映画を制作したが、そこで初めて現場を統率する映画監督という仕事の大変さを痛感し、挫折してしまう。

壁一面に飾られた作品群

 結局、学校を中退し香川県に帰郷した。19歳のとき、大阪の国立国際美術館で開催されていた「ゴッホ展」を見たことがきっかけで、画家を志すようになった。アルバイトをしながら独学で油彩画の制作を始め、アニメーターや映画制作の経験から、自分の画風を確立するため貪欲に様々な画家のスタイルを研究していった。

 22歳のときには、画家になることを諦めきれず、再び上京した。村上隆が主催する「GEISAI」にも出展したが、畳一畳分ほどのブースで誰からも見向きすらされず悔しい思いをした。

 毎日あてもなく上野公園で油彩画を描く日々。貯金も尽きかけ自己否定を繰り返していた頃、宗教団体「Aleph(アレフ)」の信徒から勧誘を受け入信した。人体内に存在するとされる根源的生命エネルギー「クンダリーニ」の覚醒を目指して、仕事が終わった後、毎日道場に通いヨガ修行に勤しんだ。煩悩を滅却するため「布施の実践」にも取り組み、17万円ほどの給料のなかから毎月10万円の布施を行った。不思議なことに、布施をすると気分が明るくなったそうだ。1年ほど経って参加した合宿セミナーで、悩みの種だったアトピー性皮膚炎が改善したことで、ますます活動にのめり込み、仕事を辞めてスタッフになる「出家」を目指すようになった。

太久磨 自画像としての植物

 ところが、出家をするために定められた修行や布施の条件が想像以上に厳しく、自分の限界を感じるようになった。活動の中には、かつて太久磨さんがそうであったように信徒を増やすための勧誘活動もある。「その人の人生を変えることになるから、あまり勧誘活動が好きじゃなかったんです。5年経った頃には母親を勧誘して入信してもらったほどです。声をかける対象が社会的弱者ばかりだったんですが、Aleph側としてはもう少し財力のある人を引き込んでほしかったようですね」と語る。入信して6年目に、「自分と団体とは求める幸せの方向性が違うのではないか」と疑問を感じ脱会。29歳のことだった。

 脱会後、住んでいたマンションの屋上にあったアロエに思わず目を奪われ、携帯電話を向け写真に収めた。その写真がヒントとなり、2014年7月から描き始めたのが、この植物の連作だ。都内で再起をかけてネットビジネスの起業塾などに参加するも、受講しただけで長続きはしなかった。借金を抱え、再び香川に舞い戻ったのは2015年5月のこと。1年ほどは失業保険を頼りに、ひたすら自室で絵を描き続けた。ひとつひとつのかたちが微妙に異なっているのは、いまだ表現を模索し続けているからだ。「まだ描きたいし、まだ終わりが見えない」と、これまで描いた作品はペン画も合わせると3年間で100点以上にのぼる。

作品が飾られた部屋

 作品のタイトルは《自画像としての植物》。その題名の通り、この植物は太久磨さん自身を投影したものだという。まず、モチーフとなった「植物」、つまり「自然」という存在は、煩悩や自我のエゴから解放された理想の姿だ。そして、そうした自然崇拝信仰のもとになっているのが、ラテン語のanima(アニマ=生命、魂の意味)。かつて目指していたアニメーションの語源だ。だから彼は「植物」を「自画像」に例えた。

太久磨 自画像としての植物

 さらに、画面に激しく付けられた陰影は、映画技法が影響している。この絵にいたるまでのすべての道筋が、現在の太久磨さんをかたちづくっていると言える。「オウム真理教の事件以降、宗教に対して人々が懐疑的になっています。その影響もあり、みんな上手く感情をコントロールできなくなっていて、それが様々な事件を引き起こしています。これまでの歴史が証明しているように、偉大なる慈悲の心は必要不可欠なんです。誰の心にも仏陀や菩提心があると信じています」と太久磨さんは信仰の必要性を説く。

 そして同時に僕が感じるのは芸術の必要性だ。「どう生きていくか」を突き詰めていった結果、彼はAlephと出会った。身も心も捧げた6年間の修行生活から抜け出し、心にぽっかりと穴が空いたような虚無感を埋めてくれたのは、15歳から目指してきた絵の道だ。紆余曲折を経て、本当にやりたかったことのスタート地点に、いまようやく立っている。無宗教者が多いとされる時代だからこそ、現代の宗教画として彼の絵は求められていく気がしてならない。

太久磨 自画像としての植物

編集部

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