──櫛野さんが、いわゆるマイノリティと呼ばれる人たちに注目した経緯を教えてください。
大学受験に失敗して、障害者が行く特別支援学校の教員を目指すことになったんです。それまで障害者にはまったく興味がなかったんですが、偶然行った福祉施設でのボランティア活動にすごく感激して、人生が180度変わりました。それからハマって、家の近所の施設で2000年から働くことになったんです。
その施設では、障害者の人たちはものをつくる作業をしていたんですが、僕が入社してすぐにそれをやめて、表現活動に切り替えたんですね。そうしたら、たまたま隣で描いていた人の絵がものすごく面白かった。「これを見てしまったからにはほかの人にも知らせたい」と思って、僕は美術畑の人間ではなかったんですが、自分で展覧会を企画していったんです。それで鞆の津ミュージアム(以下、鞆の津)がオープンする半年前に「お前(キュレーションを)やってくれ」みたいな感じで言われたんです。
──鞆の津では現在、「障害(仮)」展が開催されていますが、この展示を最後に自主企画展は終了するそうですね。櫛野さんが鞆の津にいた3年間を振り返って、転機となった展示はありましたか?
鞆の津で展覧会を企画するようになってからは、地域でものづくりをする方々に目が留まったんです。ヤンキーやスピリチュアル系のような、美術史で取り上げられることなく、「ストリート」「B級」「珍百景」的なものとして扱われている人たちですね。家の近所にそういう人たちがいるなんてそれまでまったく気づかなかったんですけど、鞆の津を始めたことで自分の足下がばーっと見えるようになって。
特に「極限芸術~死刑囚の表現~」展(2013年)は転機になりました。この展覧会をきっかけに、死刑制度について勉強する人がすごく増えたんです。ただマイノリティの人たちを集めてお祭り騒ぎ的に開催して終わりじゃなくて、もっと社会的な意義をもたらすことができる、いまこの時期にやらなければならない展覧会を企画しよう、と意識するようになりました。
鞆の津の来館者も右肩上がりに増えましたし、地元の経済効果にも貢献していました。だから僕としてはまだまだやる気満々だったんですが、鞆の津がそういうことになると、自分がいままでやってきたことが全部できなくなってしまう。だから個人的な活動として「クシノテラス」を立ち上げたんです。
マイノリティがあぶり出す、美術のシステム
──障害者に限らず「マイノリティ」という存在が生まれる構造に関心があるのでしょうか?
そうですね。これまで鞆の津で取り上げてきた人も、みんなから無視されたり気付かれていなかったりするだけで、「異世界の人たち」ではなく実は僕らの身近にいる人たちなんです。展覧会でそれを顕在化させることができたのはよかったですね。
それから、鞆の津で展示した死刑囚の絵画やヤンキーのバイクは、反社会的な方々がつくったものですよね。でも一般の人が観てドキッとするし、美術的に見ても「これは造形的にすごい」とか、一瞬「美しい」と思ってしまうんですよ。「これを美しい、と思っていいのか」とお客さんの心を揺らすわけです。鞆の津での展覧会は「社会的良心とは何か」ということを、お客さんに問いかけることでもあった。
──それはマイノリティに限らず、ヒトラーの描いた絵などにも当てはまりますよね。むしろ櫛野さんの着眼点や活動が、美術のシステムそのものを逆に表してしまっているのだと私は思います。いわゆる「大文字のアート(ART)」に対する反抗意識は?
やっぱりありますよ。例えば障害者がメディアで取り上げられると、「天才」「純粋無垢」「魂の」といった冠言葉がつくケースが非常に多い。だからなかなかちゃんとした姿を伝えられないんです。それに、生まれた時代や場所で評価される/されないの差もある。
たとえば、群馬県にいらっしゃる95歳の稲村米治さんは、自分が採取した昆虫の死骸で1970年と75年に《新田義貞像》と《千手観音像》をひとりで制作しているんです。群馬県の板倉町中央公民館に鎮座する《千手観音像》は全長1m80cmで、約5年がかり、2万匹の昆虫が使われています。このあいだ、エスパス ルイ・ヴィトン東京で展示していたヤン・ファーブルより、おそらく彼の方が先に昆虫で作品を制作しているんじゃないでしょうか。
アウトサイダー・アーティストって、表面的には「世の中の評価はあまり気にしない」と言うけど、話してみると実はそうではなくて、現代美術に近づきたいというか、評価されたい気持ちがある。でも鞆の津がなくなると、そういう作品を見せるスペースがなくなってしまうんです。
僕は美術史を全然勉強してこなかったんですけど、美術史のなかに入っていこうとしても、結局は新しい言葉を生み出して消費されるだけで終わってしまう。だったらそうじゃなくて、いまある「正当な美術史」とは別の、もうひとつの流れをつくらないとダメだな、と思いました。
新プロジェクト「クシノテラス」が伝える表現者とは?
──そうした想いで立ち上げたクシノテラスでは、どういった活動をする予定ですか?
場所をふたつ借りているんですが、ひとつは150人くらい入るけっこう大きなスペースで、そこで定期的にトークイベントをやっていこうと思っています。もうひとつはアウトサイダー・アートを中心に展示、販売ができるギャラリーをつくろうとしています。作家本人に利益を還元できるシステムをつくりたいなと。
──櫛野さんご自身の今後のテーマは?
展覧会をつくることよりも、その前段階にすごく興味があって。つまり、まだ見ぬアウトサイダー・アーティストを発掘して取材して、紹介すること。取材を重ねれば重ねるほど、美術館に持って来られない作品とか、作品を貸し出してはくれないけどその人自身がすごいとか、そういう経験がすごくあって。
だから最近は、品川からバスでそういう作家のもとを周ったりするツアーも企画しているんです。表現者に会いに行くのは、僕にとって展覧会をつくるよりも刺激的だし、面白い。わざわざ括弧付きの「美術」に引き入れるより、そのほうが僕は興味があるんです。
──例えばどんなアーティストがいましたか?
京成小岩駅の近くに「似顔絵コインランドリー」というコインランドリー屋があります。そこには、店主が描いた似顔絵が1000枚以上貼ってあるんです。これがすごいインスタレーションになっていて。天皇陛下の隣に林眞須美の絵があったりする(笑)。
それからいまいちばん会いたいのが熊本の方なんですけど......これ、セルフポートレートなんですよ。轢かれる瞬間を撮影していて。やばくないですか?(笑) どうやら87歳くらいの方らしくて、80歳を過ぎて写真塾で写真を習い始めて、普通の写真ではきれいなお花とかを撮っているんですけど、セルフポートレートだけ狂っているんです!
そんな感じで、人が知らないものを見てしまうと、見てしまった人間の責任というか、「会いに行きたい」「紹介したい」という想いがすっごく募って。
──「抱えていたくない」というか(笑)。
そうそう、そうなんですよ! こういう人たちを紹介していきたいのですが、いまのクシノテラスの構想では明らかに食っていけない(笑)。不安で不安で仕方がないんです。だから、なにか仕事ください! 募集中なんです、本当に(笑)。
PROFILE
くしの・のぶまさ キュレーター。アールブリュット美術館・鞆の津ミュージアムでキュレーターを務める。同館最後の企画展「障害(仮)」(9月12日〜12月13日)では、「障害者」と健常者の境界を問題提起する作品が紹介されている。櫛野は、並行して「クシノテラス」という個人プロジェクトで、トークイベントを企画している。