櫛野展正連載17:アウトサイドの隣人たち 紙を折り続ける日々

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載の第17回は、折り紙を自在に積み上げる、国谷和成を紹介する。

文=櫛野展正

作品と並ぶ、国谷和成・みよ子夫妻
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 行こうと思いつつも、これまで足が遠のいていた場所がある。それは、能登半島の北端にある石川県能登町だ。北陸新幹線の開通により金沢までの移動は便利になったものの、そこからさらに北上した地域へは、やはり億劫になってしまう。ましてや僕の住む広島県福山市からだと、一度関西まで出てそこから特急「サンダーバード」に乗り換え、金沢から高速バスで輪島まで向かい、さらにレンタカーで1時間かけて北上するという、とんでもなく時間のかかるルートしかない。けれど、この機会を逃すともうお会いできないかもしれない、そんなことを考えているうちに僕の足は自然と能登へと向かっていた。

 初めて訪れた能登は、穏やかな日本海に寄り添うように続く町並みが、どこか郷里の鞆の浦を彷彿とさせた。しばらく車を走らせていると、海岸沿いに広がる閑静な住宅街にたどり着いた。そこで待っていてくれたのが、国谷和成(くにや・かずしげ)・みよ子さん夫妻だ。玄関先の下駄箱の上には、東京タワーやカエル、魚やバンビなどの形をした、色鮮やかな立体作品が並んでいる。部屋に上がると、全長1.5メートルの豪華客船をはじめ電飾を備えた巨大な東京スカイツリーや、いまにも歩き出しそうな2頭のチーターなどがいて、思わず目を奪われた。これらはすべて「ブロック折り」という手法でつくられた折り紙だ。ブロック折りとは、長方形の紙を折ってつくった三角形の折り紙を、積み木のように積み重ねていく折り方を指す。ここまで独創的で大小様々な折り紙の作品を、僕は見たことがない。夢中になってカメラを向けていると、国谷さんは「手先を使う仕事は嫌いでねかった。何しろ漁師だから」と教えてくれた。「漁師」と「折り紙」というミスマッチな二つの言葉に、僕は国谷さんの人生にも一気に興味を持ってしまった。

緻密につくられた豪華客船(写真左)

 1943年に5人きょうだいの次男として能登町で生まれた国谷さんは、「あの頃は工作とかはあんまりしなくて、外遊びばっかりでよ。中学を出たら、長男と一緒に親の後を継いで漁師よ。昔はそれが当たり前の時代でな。小さな船を一艘持っとったから船団を組んで、親父と長男と一緒に北海道へサケ、マスやイカ釣りへ行ってな。冬に海が湿気る時期だけ帰ってくる感じだった」と当時を振り返る。

 時代の流れとともに漁師を辞める人も多くなり、47歳ごろまで漁師として働いた後は、ヤンマーに就職。滋賀県の社員寮に入り、見習いとしてエンジンの加工技術などを基礎から学んでいったそうだ。単身赴任だったため帰省できるのは盆正月のみ、という生活を3年間送った後は、富山のアルミサッシ会社に転職し、65歳で定年を迎えるまで働いた。「あの頃は景気がよかったから転職できた」と笑って語る。富山は滋賀に比べれば自宅から近距離だったため、仕事が休みの土日には帰省することができた。国谷さんが制作を始めたのは、ちょうど定年が間近に迫った9年前のことだ。

 ある日、富山から帰宅した際に国谷さんは、みよ子さんが習ったキティちゃんのブロック折り紙を楽しむ姿を目にした。机の上に広げられたブロック折りの束を眺めているうちに、「俺もやってみよう」と手本を見ながら小鳥などの制作を開始。やがて、「決まったもんばっかりつくってもつまらねぇ」とオリジナル作品づくりを志すようになった。漁師の経験を生かして最初に制作した魚は、知人にプレゼントした。夫婦で試行錯誤を重ね、次第に技術は向上。みよ子さんが紙を折り、国谷さんが設計と組み立てを担当するという、二人三脚で制作を進めた。数ヶ月かかる大作にも挑戦し、6年間でつくった作品は150体を超える。

 制作の方法は、まずダンボール板に横向きの絵を描いて、もう一枚のダンボール板を中心で十字に交差させる。あとは実物の膨らみを想像して、木工用ボンドをつけた折り紙を差し込んでいき、隙間に新聞紙を詰めていく。写真や図鑑などの資料を参考に立体の造形を想像するというから、その空間認識能力の高さには度肝を抜かれてしまう。ダンボールへの下書きもさることながら、いちばん大変なのは紙を折る作業だ。2匹のチーターをつくるのに費やした折り紙は、100万枚にのぼる。ライトアップする仕掛けの東京スカイツリーは、完成途中と完成後の2作品を制作した。透明な下敷きを加工したスカイツリーの小窓や、お菓子の木箱に折り紙を巻いた台座など、各所に工夫を施した。

掛け軸以上の高さを誇る、東京スカイツリー

 話をうかがうと、使用する材料のほとんどは100円均一の品で揃えているそうだ。地元では折り紙の色数が豊富にないため、定期的に金沢まで買い出しに行くこともあるのだとか。表現することに高価な道具は必要ない。身近な素材を工夫することで、人は想像と創造を行うことができる。

 こうした夫婦の活動が知られるようになったのは、制作を始めて4年ほど経ったときのことだ。地域の公民館での作品展に鯛や鶴など5点ほど出品したところ、それが話題となり地域の人たちに知られるようになった。以後、毎年この作品展には出しているが、ほかの公募展や美術展には出していない。

制作途中の魚。ダンボール板の上に折り紙を重ねていく

 

漁師の経験をもとに制作された魚(写真左)と、東京タワー(写真右)

 折り紙制作に飽きてきた3年ほど前からは、折り紙の代わりにタオル生地などを使った動物の制作を始めた。中に詰めているのは、ブロック折りと同様に丸めた新聞紙だ。最初は、帰省時に孫たちも手にとって遊んでいたそうだが、やがて「アレルギーがあるから触らんようになった」と笑う。

 倉庫に収納できなくなった作品は、どんどんほかの部屋にも侵食を続けている。まるで、家中を闊歩し自由に飛び回る作品たちの中に、国谷さん夫妻が居候しているかのようだ。「わしらぁ、もう歳だから誰かがこれを勉強して、もっと上手なのをつくってくれたらいいかな」と語る謙虚な姿に、僕の胸は熱くなる。地域の人以外には誰にも知られることなく、今日もアートワールドの外で制作を続ける夫婦が、ここにはいる。