全国各地で次々と姿を消していく秘宝館。そのなかでも、群馬県の伊香保温泉付近にある『珍宝館』は格別だ。ここは”館長兼マン長”の「ちん子さん」が案内役を務めてくれるのだが、この話術が抜群に面白い。時折、時事ネタを挟み込んだ彼女のユニークな名調子を求めて、いつも多くの観光客が訪れている。
「ちん子さん」こと、清水ちい子さんは1948年に群馬県桐生市で4人きょうだいの末っ子として生まれた。中学校卒業後は富士フィルムの桐生支社へ就職。ちょうど富士ゼロックスの複合機が普及してきた時代で、そのレンズを磨く仕事を任された。ところが20歳のとき、親と喧嘩して実家を飛び出したことでそのまま退職してしまう。お金を一銭も持っていなかったため、近所に住んでいた姉のところへ行って「寮がある会社へ入るから、1ヶ月だけ暮らせるお金を貸して」と、3000円を借りたのは懐かしい思い出だ。
その後、「お金がないのはもう嫌だから」と昼間は弁当屋で働き、夜は小料理屋で皿洗いを始めた。あるとき、昼間働いていた弁当屋から、運転免許を持っていたため「配達のアルバイトをしてみないか」と声をかけられ、弁当づくりと配達の仕事を兼務するようになった。「弁当をつくるよりも、お金がうんといいんですよ。だから朝10時まではお弁当をつくって、それからは桐生市内を配達して回ってね。給料が急によくなって、仕事は楽しいしさ、車の運転で外を回るのも楽しくって。その頃、女性の運転手がいなかったから、みんながちやほやしてくれるわけよ。どんな路地から出ようとしてもタクシーでも大型バスでも、全部止まってくれるのよ」と当時を振り返る。幸い就職したのが弁当屋ということもあり、食べ物に不自由することはなかった。実家を飛び出したことは、結果的に人生の大きな転機となったようだ。
24歳まで懸命に働き、貯まったお金で、大好きな車を買おうと思っていたところ、知人から「2階の時計屋が空き店舗になるから、スナックでもやってみないか」と声をかけられた。「石橋を叩いても渡らない」性格のちい子さんだったが、熟考の末に一念発起し、いままで貯めたお金を全部注ぎ込んで「スナック モア」を開店。20代でスナックのママになった。その後、26歳で結婚してからは、義母の面倒を見るため、現在の吉岡町に転居し夫婦で小さな食堂を営んだ。
たくさんの従業員を抱え繁盛したが、ちい子さんの旦那さんが大腸ガンになり入退院を繰り返してるうちに閉店。81年に食堂の隣に「珍宝館」を併設した。「しまっておくともったいないし痛んじゃうでしょ。少しは小遣いになれば良いかなと思ってね」。舅(しゅうと)がコレクションとして持っていた品を展示スペースに陳列したことがきっかけだ。オープンして6年ほどは、現在のような案内があるわけでもなく、自由見学というかたちでやっていたが、伊香保温泉の団体客が送迎バスで偶然立ち寄ったことで転機が訪れた。
「老人会の団体だったから、バスから降りるのにみんな足元がおぼつかないのよ。私がバスから一人一人手を貸して降ろしてあげたら、おじいちゃんおばあちゃんがいろんな質問してくるわけ。それに面白おかしく返したのが始まりかな」。その冗談半分な返答が、お客さんに受けた。バスの運転手が乗客を送った帰りに再び立ち寄って、「またお客さんを連れてくるから説明してくれ」と告げたほどだ。それからは、連日観光バスが立ち寄るようになり、最盛期で1日に2000人、1週間で5000人ものお客さんが押し寄せた。「今は1日100人くらいのお客さんだから少ないのよ」とちい子さんは呟くが、地方で細々と展覧会を開催し、集客に悩む僕からしてみたら、なんて羨ましい悩みだろう。
そんな彼女が「ちん子」と名前を名乗りだしたのは、20年ほど前のこと。驚くことに、その名調子にはまったく台本がない。「酔っ払ってるお客さんとかから、いろんな質問やヤジが飛んでくるわけ。それに即興で返してきたから負けたことがないの。それで鍛えられてった」と教えてくれた。
もちろん、『珍宝館』が多くの人を惹きつけているのは、ちい子さんの魅力だけではない。四十八手が描かれた茶釜、12人の女性の裸体で構成された般若の絵皿、ガラス棚の下から覗くと女性器が丸見えの人形など、3500点以上の多彩なコレクションも魅力のひとつとなっている。なかでも目を見張るのが、2011年に85歳で他界した「高橋氏」が奇木を使って制作した彫刻作品だ。
高橋氏は山師の仕事の傍、鷲や鷹などの猛禽類の彫刻を趣味としていたが、2009年に『珍宝館』へ来館したのを機に、創作スタイルを一新。男女が絡み合い、もたれ合うエロス漂う彫刻をつくり始めた。ちい子さんはその作品に一目惚れし、高値で購入。ほかにも数千万円で購入した品もあり、骨董屋から直接買い付けるなど、現在もリサーチと蒐集を続けているそうだ。そんな『珍宝館』は昨年4月に新館を増設。展示面積が広がったことで、これまで保管したままにしていた展示品も並べることができた。
「30年以上やってるからさ、体調が悪くても少し横になっちゃえば治るからね。早く動けるように、自宅の2階から『珍宝館』へ降りる階段も付けたの」と4年前に平屋だった自宅は2階建てに新築した。旦那さんは受付のサポートに徹するなど、少しでも長く『珍宝館』を続けることができるような体制が整っている。「長男が跡を継ごうかなと言ってくれたるんだけど、私のキャラクターが強すぎるからねぇ」と、ちい子さんは館の将来をも冷静に分析する。
弁当の配達業からスナックのママに転身し、いつの間にか秘宝館の経営者へ。「近所の人の目はあったけど、気にはしなかった。頭悪くて中卒だからさ。なんとか投資したお金を取り戻さなきゃって、自分の仕事に猪突猛進してきたの」とちい子さんは脇目も振らず、3人の子どもを育てるために、がむしゃらに働いてきた。一見、低俗に思われがちな性的な表現だが、人がそこに注ぎ込む情熱を決して馬鹿にはできないし、それを後世に伝えようと奮闘する彼女の生き様に、僕は敬服してしまうのだ。